ごんつまのあかるく・たのしく♪

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京都府・亀岡市「丹波亀岡城址」

2020-07-19 16:18:58 | お出かけ・京都府

こんにちは~

 

   きょうは気温も30℃を超えましたが、サラッと!!!

     洗濯物がよく乾きます~

 

先月末に、梅田へ必要な買い物があって、3カ月ぶりに平日の昼間の比較的に乗客の少ない時間帯をねらって

空いていてゆっくり間隔を開けて座れこれなら大丈夫かな?と、

買い忘れたものがあってその1週間後にもう一度!

しかし・・・それから徐々に感染者が増えてきて・・・

そろそろ旅行の計画も!と思っていましたが、まだまだですね、、、しばらく自粛です。

 

そんな日を過ごして引きこもってましたが、車でならと・・・

ずーーっと行ってみたかった、京都府亀岡市にある「亀岡城址」へ行ってきました~

JR亀岡駅の真正面にある「南郷池」

「明智光秀像」

亀岡城堀跡の「南郷公園」

すこし上がって行くと、城跡らしい雰囲気です

 

出かける前にサラッと下調べを・・・(観光協会HP)

宗教法人大本(丹波亀山城跡)

観光協会HPによると、宗教法人の聖地らしい・・・

紹介

光秀が1577年ごろに築城した亀山城は、1610年・岡部長盛の時代に城郭・城下町がほぼ完備されました。明治維新のあと廃城令により解体されましたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣などが修復され、往時を偲ぶことができます。見学の際は、大本本部の総合受付にお申し出ください(観光協会HPより)

受付をすませて(検温・住所など記入)

 

光秀の丹波攻略と平定の拠点「亀山城」

亀山城

亀山城天守古写真(美田村顕教撮影)

明智光秀は、天正5 年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8 年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2 年後に「本能寺の変」が起こります。

亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長15 年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。現存する古写真は、明治初期に撮影されたものです。」(観光協会HPよりお借りしました。)

 

大正より、荒廃を嘆いた宗教法人大本(おほもと)の教祖である出口王仁三郎(おにざぶろう)によって城は管理されるようになり、現在も亀山城は大本の所有です

 

来場者は少なそう~

坂道がつづきます

この辺りに「大名たちが残した刻印」があるらしい、、、

 

江戸時代以前からあった井戸跡とされる石組みがあります。

さあ~天守台へ・・・

復元された天守石垣。下から約1/3は光秀築城当時の穴太(あのう)積みが残っている。

上がって・・・

見学場所はほんの少し!左手は神域。で、撮影できませんでした、、、

天守台から下りて、少し先へ・・・

ここから先は「神域」で行かれないので、引き返します。

明治初頭の廃城令を受けて、多くの遺構や石垣までもが切り売りされ、荒れゆく亀山城の様に憤慨した

宗教法人「大本」の教祖が、大正八年(1919年)に買い取り復元したと。

すべて残っていれば、どんなにか・・・

苔いっぱいの石垣に古を偲んできました~