敗戦国の焼け跡の都会をあきらめた父は、何を考えたのかアメリカ軍の軍艦が駐屯している港町に引っ越し家を建てた。屋根がまだできていない内に私は生まれた。良く月が見えることから「月月幸せ」と朋幸と名づけたという。
まるでイエス様の馬小屋での誕生みたいと感じたものです。しかし私は病弱で長く床についていた。大人になって医師から聞いて気づきました。結核の跡があると言われた。往診医師が母に言っている言葉を思い出した。5人に3人は亡くなる病気だと。私は何度も血を吐いたので結核ではないかと言ったが死ぬまで母は狂ったように否定した。私はそれならと短い命なんだからと陸上部に青春をかけた。無理がたたり、大学は陸上をあきらめた。趣味だった放送部に入り卒業して放送局に入った。私は体が弱かった体験から同じ悩みの人に送るメッセージの番組を作った。地球の女神ガイアだった。今は他局が放送している。制作中にいろんな不思議な力が味方してくれた。神の力を感じた。人のために何かをしようとすると、神は力を貸してくれると感じた。それを皆様に伝えたいと思います。「人を助ける思いは神をも動かす」。
合掌 amen