聞いた話し。
毎年良く咲く古い桜の木の根っこに、大きな石が乗っかっていました。村人達はさぞ長い間、桜の木は辛い思いをしていただろうと、石を取り除きました。すると桜の木は枯れてしまったのです。人も木も皆それぞれ、重荷を背負って生きるもの。あるがままの生き方が良かったのです。石の重みが生きる力になっていたのかも知れません。一病息災ということもあります。だから、気を張り生きる力になっていたのだと思います。
「桜の根の石」が皆さまの参考になれば?
「この世は自分で願ったものではなく、無明(苦の根源)を父として生まれてきたもの。死もまた望みではないが、因業(いんごう)の鬼神がやって来て私を殺すのだ」 (空海)
過去の悪業が原因となって鬼が我を殺すというなら、いまこの世でともに修業して、それを断ち切ればよいのだ。過去にこだわるな。鬼と戦う自分を作れば良い。いまを生きよと述べています。
心を奮(ふる)い立た
せてくれる言葉です。
さて、鬼と戦うにはどうすればよいのだろうか。どんな修業をすればよいのだろうか。
「修業」とは未熟な者が成熟するために修めることといわれています。まずは未熟な私が修業して、鬼に勝にはどうしたらよいのだろうか。私なら、まず鬼を恐がらず追い返してやる気迫を持とう。それと前世や過去の悪業を問い詰められたら「今を見よ!」と答えるだろう。献身的な奉仕に無心に努めていればよい。これを修業としてとらえよう。
また、イエス様は12使徒に悪霊を制する言葉を授けました。そのひとつに「天の御国が近づいた」と宣(の)べなさいがあります。
いかなる苦も気にならない心も鬼退治になれると信じます。 皆様も「鬼神に勝つ力」がつきますように。