私は「神の音」で何度も救われたことがありました。そこで、今日は音の不思議な力について話したいと思います。「訪れ」の語源は衣(きぬ)の音擦れから来ています。靴の音や衣の擦れる音を聞いて、あの人がやって来た!と昔の人は気付いたからといいます。また、音信不通の事を便りがないと使ったりしました。この音信を「おとずれ」とも読んでいるようです。私は山や道に迷った時、笛や鈴の音が聞こえて来て道先案内されて助かったことがありました。先日ラジオで雅楽の演奏を聴いていたのです。すると狂言や能楽師の方たちの座談会があり、音について話していました。雅楽の楽器の中に高い音が出る多種類の笛などは、音ずれ(音信・訪れ)といい神様がその音を聴いて降りてくると言ってました。舞台で演じている時に、神様が来てくださったと感じて緊張すると話していました。何か分かる気がします。毎日リュックに沢山の鈴の音を響かせて歩いていると、神様が近くに感じるからです。お地蔵さまや千手観音様が手に持っている、錫杖(しゃくじょう)は音で悪魔を退治する意味があると言われています。皆様も音を響かせてご先祖様を身近に感じてはどうですか。音のありがたさに気づいた日です。
日本の諺に「熱火(あつび)を子に払う」があります。子供と二人で並んでたき火にあたっている。火の中の木がパチパチはねたはずみに火の粉が飛んで来て、親の体の胸のあたりにくっつきました。慌てた母親は火の粉を手で払う。その火の粉が隣にいた子供にあたり火傷をおってしまうという意味です。
我が身にふりかかった災難を慌てて振り払い自分が守ってやらなければならない者に移してしまう事。
熱火(あつび)は払うのではなく自らの手で消す事が大事です。
災難や厄もそうです。「厄払い」するというよりも「厄を浄化」することが大事と私は考えています。自らの力で厄を消す。そんな力を持って頂きたいと思います。自然の力や神仏の力を借りたり、ここで生きる力が湧く言葉を身につけることが厄除けにもなるからです。