日本の諺に「熱火(あつび)を子に払う」があります。子供と二人で並んでたき火にあたっている。火の中の木がパチパチはねたはずみに火の粉が飛んで来て、親の体の胸のあたりにくっつきました。慌てた母親は火の粉を手で払う。その火の粉が隣にいた子供にあたり火傷をおってしまうという意味です。
我が身にふりかかった災難を慌てて振り払い自分が守ってやらなければならない者に移してしまう事。
熱火(あつび)は払うのではなく自らの手で消す事が大事です。
災難や厄もそうです。「厄払い」するというよりも「厄を浄化」することが大事と私は考えています。自らの力で厄を消す。そんな力を持って頂きたいと思います。自然の力や神仏の力を借りたり、ここで生きる力が湧く言葉を身につけることが厄除けにもなるからです。
「恋は砂時計
心満たされると
頭は空っぽ
人は砂時計
お腹満たされると
頭は空っぽ
世界は砂時計
コロナコロナで
頭は空っぽ
ここの仲間は砂時計
悩みが消えて
頭は空っぽ」
私は人に言えない試練を何度も何度も体験して来ました。食べる為にトリプルワークを何年もして来ました。寝る時間は通勤の車中のみ。寝床で寝るのが一番の幸せでした。ある日、5メートルの大きな黒い影が私の足元から抜け出して行きました。『おもしろくない奴だ!』『苦難を与えても何にも感じない住みにくい奴だ。』と言って去って行きました。私はその後ろ姿に声掛けました。『アハハまた来てくれ!』それ以降貧乏神は来ませんでした。皆様お分かりですね。人を困らせるすべての貧乏神は悲しみの涙が大好きです。苦しみ悩む心が栄養剤です。それを追い出す力は自分が強くなることです。苦しみ悲しみはあなたを成長させる「心の肥料」になります。
負けるなあなた!
負けるな自分!
生きる力になれば。
「人は思い出を残す旅人」
父は青春を戦争に捧げ、亡くした戦友の思い出を生きる力にしていた。
私は健康になりたくて、医師の助言で都会から転地療法として、山や川、海の学校へ転校させられた。そのためか、友よりも自然の思い出が多かった。
「人は明日に希望を持って歩む旅人」
満足な仕事もできないのに、胸の病に倒れ窓際に2年過ごした新人だった。生きる希望を失い、いつも窓の外を眺めていた。ひまわりが僕を励ますように咲いてくれた。
「人は愛を求めて歩む旅人」
何をしても失敗、間抜け、ドジというイメージが定着していた。いつからか、皆が考えもしなかった事をする人だというイメージが生まれた。それは人を思う気持ちから生まれたのだ。それを愛というのかもしれない。
人はそれぞれ何かを求めて歩む永遠の旅人。
真実は足下にあるのに人は旅をするのだ。
人間が持っている「業(ごう)」とは、欠けているものを埋めたいと思う強い欲望やないものに対する不満をいいます。
男性は出世欲、金、名誉等。女性は美貌、宝石や衣裳、愛情等。
手に入らない苛立ちや思い通りにならない環境に不満、不安、憎しみ、悲しみ、怒りで心を乱します。
自ら苦しみを作ってしまいます。反面私はお金はないけど、「健康」という体を持っている。私は美人やイケメンではないが「明るさ」という心を持っている。出世はできないが「安らぎの家庭や仲間」がいる。
幸せとは欠けているものを埋めるという欲望ではなく、欠けているものを認めて生きるエネルギーだと思います。
ないものを求める「青い鳥」ではなく、あるものを育て、欠けた生き方もあるのです。
今の自分を受け入れれば心も安らぐと思います。私はどじで間抜けですが天真爛漫自然児だからいいや!と思っています。こんな私でも生きていけるのだから皆様は大丈夫ですよ。