「私たちは常に心の波風とともに生きています。
ときには嵐のように吹き荒れることもあるでしょう。
世の中には思い通りにならないことがたくさんあります。東京オリンピックもそうですね。
そんな人生において、平常心を保つにはどうしたらよいでしょうか。
思い通りにならないことがあるときこそ、他者を思いやり、これまでに受けたご恩を思い出して、周りの人や社会にお返しする気持ちを持ってみましょう。
思いやる気持ちは心に平和をもたらします。
昔上司から「君は風のような人だね」といわれました。その詳しい意味は忘れましたが、何となくありがたいとお礼を言った記憶があります。人のために生きるという言葉に「無心風来吹(むしんにかぜきたりふく)」という言葉があります。
夏の暑い日に、そよそよと風が吹く。一時の涼をもらうことができます。しかし、風は私たちを涼しくさせようとして吹いているわけではありません。ただ無心に吹いているだけです。幸せとは分け与えるものではなく、自分が何も持っていないのに他人に与えることを幸せを分けるといいます。まわりの人の幸せを願い無心になって一陣の風になる。
思いの風が届きますように。
「20歳のときハンサムでなく。
30歳のとき強くなく。 40歳のとき財がなく。 50歳のと賢くなけりゃ一生なんでもない。」
(イギリスの諺)
自分の事のようで耳が痛く感じました。この真意は分かりませんが
イギリス様、私なりに解釈すると、「一生なんでもない」生き方をするのは一番大変な事だと思います。人様に迷惑ばかり掛けて生きて来た自分です。それもなんでもない人生と言うのなら素晴らしい言葉だと思います。父、母、兄弟、子ども達に合格点をあげられます。「なんでもない平凡な人生が一番」と思います。
中国の古典で作者不詳の言葉に
「生年(せいねん)は百に満たず常に千歳(せんざい)の憂(うれ)いを懐(いだ)く。昼は短く夜の長きに苦しむ何ぞ燭(しょく)をとって遊ばざる。」
生きられるのはせいぜい百年に過ぎない。それなのに千年先のことまでも心配している。
昼は短く、悶々とする夜は長い。いっそのこと、灯りをつけて、夜通し遊ぼうではないか。不安や苦しみで寝つかれない夜はあるものだ。眠れない夜は、暗いことではない、明るいことを考えればよい。誰にもあるものです。不安や苦しみ。それが、人生なのです。だから、そんな時こそ遊んだり、楽しいことを考えていれば乗りきれるものだという意味です。
振り返ってみても食うこともできない幾多の苦難も今では懐かしく思えるものです。皆様の力になりますように。
今日は気分を変えて古代の悲恋物語を紹介しましょう。
小野小町の所へ100夜通ったら、思い通りになりますと約束された深草少将は99夜目に雪に凍えて死んだとされています。その為、世間では小野小町は冷たく思いやりのない女性との不評があったようです。そのためか、後世にこんな話がある記事を見つけました。ある綺麗なお姫様の所に
つけ文(ぶみ)をする一人の男がいました。今夜から百夜(ももよ)通ってきたら、きっとお会いしましょうと返事が来ました。入り口に毎晩しるしを刻んでくださいといわれました。そこで、雨の日も、風の日も通いつめて九十九夜となりました。
しるしをつけて帰ろうとすると腰元が出て来て「もうあすで百夜ゆえ一夜くらいおまけしましょうとお連れしなさいとお姫様が申しておいでです。さあどうぞ」。
しかし、男はもじもじしていると、腰元が重ねてうながすと男は「あのう、実は私は1日いくらでやとわれた者で、本人ではありません」と述べたという。当然話はこわれてしまったという事件がありました。小野小町事件以来、女性は思いやりや、優しさを持たなくてはと感じて考えた事。男性は死なない為にと考えた策。
しかし、どちらも裏目になってしまったのです。どちらも悲恋物語になってしまいました。
今ならストーカーに間違われてしまいます。恋はハッピーエンドでおわりたいものです。
少しでも心の癒やしになればありがたいです。
外国の諺に必ずでてくる女性アイリン・キャディー(エジプト生まれの哲学者、神秘家。北スコットランドに聖なる楽園フィンドホーンを設立)。今日は彼女の言葉を紹介したいと思います。『自分のまわり中に、ひどい騒音があった。やがて、その騒音は完全におさまって、完璧な静寂が訪れた。その静けさの中で、時計の時を刻む音にも似たかすかな音が聞こえた。その音に熱心に耳を傾けていると、それは次第に大きくなり、ハッキリとしてきた。その時、私は言葉を聞いた。「私はここにいます。でも、あなたが私と私の聖なる存在に気づかない限り、あなたは私の声を聞くことはできません。ですから、内なる声を聞くためには、外にあるものを静めなさい」』(この私とは神様の声だと思います。マザー・テレサの言葉で共鳴したのが、「神様は静寂がお好き」。だから私は夜更けの3時頃目覚めるのです。草木も眠る丑三つ時に起きていたのです。そして、内なる声を聞くようになったのです。あらゆる神の声を聞くようになったのです。雨音や風の音しかしない静寂な時、私を必ず目覚めさせてくれる力があることに感謝しています。一日の内で、あなたは何度立ち止まって、あなたの内なる声や、外部の音に耳をすましますか?あなたが耳をすまして、まわりのいたるところにある生命について、どんどん気がつくようになったら、今度は、内なる不思議な声に耳を傾けてはいかがですか?
また、生きる力を得る為に、ここで導きの言葉を見つけてください。生きる力が出ますように。