つまがリズム

きままな、ひとりごと

おもいつき

2014年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

平成26年7月16日(水)

◎梅雨の合間
 天気がよいと、なぜ、うきうきしてくるのだろう。
 がぜん、やる気が出てくるのが、不思議。

◎犬を散歩しているとき よく言われるフレーズ。
 「あ、ワンワンだ!」
 「大きい犬だね。」
 親子(母と園児)の場合には、90%の確率です。

◎腰痛がやっとよくなった。
 歩き方にも原因があることが判明する。
 今後、注意せよ!

 


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ラプソディー・イン・ロンドンから

2014年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

平成26年7月10日(木)

「ラプソディー・イン・ロンドン」
菊池哲郎著、を読んで、メモとして。

イキリスの「ヘリテッジ」・・・
ヘリテッジの訳語は、遺産、世襲財産。 その意味を超えて、イギリスの自然、天候、野生動物、鉱山資源や地質など、そしてストーンヘンジ時代からローマ帝国、バイキングなど占領者たちのもたらした建物、道路、食事の仕方、洋服の着方、教育などの有形無形のあらゆるものと考え方。
次が、歴代の王様、シェイクスピア、ニュートンなど歴史上の人物たち、そしてイギリスの政治と法律、生活風俗、文化宗教。
→ つまり、イギリスのヘリテッジとは、イギリスの「いいところ」。他の国の人がみたら悪いところでも、例えば、どんよりとした空でさえ、だから晴れた時のさわやかさが素晴らしく、それがイギリスにあるかぎり、イギリスにあるからという理由でヘリテッジになる。(186Pより)

IRA(アイルランド共和軍)の理論 (216P~)
先進国イギリスで、なぜ北アイルランドだけで、時代遅れの宗教戦争をやっているのか。 

★そもそもは、300年も前に、周辺をカトリック国に囲まれて情勢が不利になったイングランドが、(いじめてばかりいるイングランドが嫌いであるが故にカトリックになった)アイルランドにプロテスタントを植民として送り込んだことに始まる。
はじめはあちらこちらに送り込んだが、歴史が浅いプロテスタントがじわじわと追い返され、北アイルランドにだけかろうじて生き残った。
これは余談だが・・・150年ほど前に、アイルランドで飢饉がおきた。イングランドは助けてやらなかった。そこで、食えなくなった主として北アイルランド人が大量に次々にアメリカに逃げ出していった。これがアメリカのアイルランド・コネクションのルーツである。

★1922年にアイルランドが英国の植民地から独立した際、北アイルランドは考えた。北アイルランドがアイルランドになってしまうと、カトリックになかにプロテスタントは絶対的少数派となる。そこで、北の6州だけが英国に合併してもらった。 そのかわり北アイルランド自身の議会をもって、半独立国扱いとなった。 しかし、こうなると、北アイルランド在住のカトリックは面白くない、ということになる。

★1960年代の一連の植民地独立に刺激されて、この少数派カトリックが少数派の権利確保運動に立ち上がった。この運動に不安を感じたプロテスタントは69年ついに武力攻撃に出た。
内乱状態になってしまったので、仕方なくイギリス軍が本土から押し寄せて鎮圧を図った。 味方だと思ったイギリスがカトリックを助けにきたため、ことは非常にこんがらがってしまった。

★こうした環境のなかでカトリック側は当然、自衛を始めた。 その結果できたのが、IRA、アイルランド共和軍である。

★72年、イギリス軍が、今度は、ロンドンデリーで不法な抗議デモを行っていたカトリックを襲って、何十人も死亡者がでた(血の日曜日)。 このあたりから、混乱極まる。

★議会運営もできない、といって、イギリスは「北アイルランド議会」を解散し、直接支配下におく。

★このため、今度は、プロテスタントが怒りだし独立運動を始めた。 プロテスタント・ロイヤリストという別の動きは、北アイルランドは完全に英国の一部になるが良いと活動する。そんななか、プロテスタント、特にロイヤリスト側は、IRAに対抗して「アルスター義勇軍(UVF)」などの軍事組織をつくり、事実上は内戦状態となって現在にいたっている。


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