つまがリズム

きままな、ひとりごと

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ(4)

2024年04月20日 | 読書感想
2024年4月20日(土)

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」(4)
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

(7)悪魔の薬
サリドマイド禍から50年たった2010年に薬の機序が判明した。
・半田宏先生(東工大)と小椋俊彦(東北大)
・サリドマイドはプロテアーゼの1つを構成するタンパク質と結合して
その働きを阻害することがわかった。
その結果、手足の成長を促すタンパク質FGF8が阻害して奇形を発生させる。

(8)福音の薬
・1965年イスラエルの医師が、ハンセン病患者に鎮痛薬としてサリドマイドを処方したところ
 ハンセン病に改善が見られた。
・その他、エイズやがんその他の難病に対する効果もみられた。
・(7)によりサリドマイドの機序が判明したことにより、さらに研究が進められている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ(3)

2024年04月19日 | 読書感想
2024年4月19日㈮

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」(3)
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

(6)グリュネンタール社によるサリドマイドの回収が決定した後の各国の状況

①アメリカ
既にカナダでメレル社がサリドマイドを販売していて、1960年9月に米国に申請した。
これを審査するのは、フランシス・ケルシーというFDA入社したての新米の女性だった。
当時の米国の審査方法では、試薬として市場に出して60日以内に安全性に問題がなければ
自動的に新薬として認可をうけることができた。
だが、末梢神経炎の副作用があることから、ケルシーは追加データを求めた。メレル社は
ケルシーの頭越しに上司に苦情を申し立てたが、上司はケルシーに特に指示をしなかった。
ケルシーが申請を慎重に検討した結果、米国でのサリドマイド被害はなかった。

②日本では回収が遅れて被害が広まった
 1961年11月27日、ドイツではサリドマイドの販売中止と回収を開始した。
 11月30日、スウェーデンを除く北欧
 12月2日、英国
 12月18日、スウェーデン
 1962年9月13日、日本
ドイツで回収を始めた後、欧州諸国は遅い国でも21日で回収を始めた。
日本は295日後に回収を始め、実際の回収作業が完了したのは1963年半ばから末頃と考えられるので
ドイツでの回収より2年半近く遅れてしまった。
日本のサリドマイド児の多くは、レンツらがサリドマイドの催奇性を指摘した後に、この薬を服用した妊婦から生まれている。
なぜ、日本ではこのように遅れてしまったのだろうか。
  ***************************************************************************************************************
 レンツ警告に始まる西独、北欧諸国、英連邦での薬剤回収にもかかわらず、我が国においては、薬を回収させる
特別な措置は講じられていなかった。厚労省から西独に派遣された調査官による、「レンツの報告は科学的根拠が乏しい」
との一言で片づけられてしまった。
 このような日本の厚労省官僚と政府がとった態度を合理的に説明するには、
「裁判による結論がない限りサリドマイドが実際に胎児奇形の原因であるとは実証できない」ということになる。

③豪州
 シドニーにあるクラウン街婦人病院の青年医師ウイリアム・マクブライドは1961年5月4日、
生まれて初めて海豹肢症の新生児をみた。それか3週間以内に同じような新生児をみた。このような例は今までなかった。
詳細にしらべていくと、二人の母親はサリドマイドを服用していることがわかった。さらに、また奇形児が生まれ
サリドマイドの服用がみられた。
1961年5月、同病院はサリドマイドの調査を実施した。
このような早い時期での取り組みがあって、豪州ではサリドマイドの被害は少なかった。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ(2)

2024年04月19日 | 読書感想
2024年4月19日㈮

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」(2)
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

(5)情報はどこから漏れたか?
 レンツ博士はまだ駆け出しの、あまり有名でない小児科医で、社会的影響力もさして大きなものではなかった。
ではなぜ、グリュネンタール者は急遽サリドマイドの回収に踏み切ったのか。
 それは、グリュネンタールがサリドマイドについての新聞記事を抑えることが出来なかったことに加え、
英国の販売元であるディスティラーズ社から、豪州の支店を通じて、ウィリアム・マクブライドからも同様な指摘があった
という情報を入手していたことが理由の一つだと言われている。
 
 しかし、なぜ11月25日の国際プレスの配信で、疑惑の薬がサリドマイドと特定され、内務省が販売中止を決定したと
誤情報が伝わったのか。11月18日のデュッセルドルフでの学会の席でも薬の名前を公表しなかったことや、
彼の人柄から、レンツ自身によってこのことが漏れたとは考えられない。情報提供者については長い間不明であった。
2013年のナップ博士の供述から推測すると、彼の母親がジャーナリストであったことから、ナップとその母親経由で
情報が伝わったと考えるのが合理的だと思われる。

 それでは、国際プレスの記事が誤報として取り消したにもかかわらず、翌日の新聞『ヴェルト・アム・ゾンターク』に
詳しい記事が書かれたのはなぜか? 事の真相について、レンツは1992年の論文で、この特ダネは有名なジャーナリストで作家の
プラウス博士によって書かれた記事であることを明らかにしている。
 レンツは、サリドマイド疑義の結論に至る前に、ハンブルグ小児医学界のヴェソロスキー博士と議論した。プラウス博士は
ヴェソロスキー博士の兄である。この兄弟はレンツの疑惑を公にすべきだと考えたのであった。
 ここで大切なのは、特ダネを書いたプラウス博士も、疑義の薬の名前を明らかにしていない。前日の国際プレスの誤報で
サリドマイドと特定していたことと組み合わさり、つまり情報メディア戦によって、
グリュネンタール社の早急なサリドマイド回収が実現した。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」を読んでメモ

2024年04月19日 | テレビ メモ
2024年4月19日㈮

サリドマイド 復活した「悪魔の薬」
 栢森 良二(かやもり りょうじ)著
 2021年6月14日 第1版第1刷発行
を、読んでメモ

 

(1)1960年代、大衆薬に含まれていたサリドマイドを服用した妊婦から手足が欠損した子供が生まれる
 という、「サリドマイド薬禍」は社会に大きな衝撃を与えた。

(2)サリドマイドはどのようにしてできて、どのように販売されたか。
  ①サリドマイドは1953年スイスのチバ製薬で、グルタミン酸の誘導体として最初に誕生したが、
   チバ製薬は薬理的な効果がないとして、それ以上の研究を中止する。
  ②ドイツのグリュネンタール社の科学部長ハインリッヒ・ミュクターは、1954年にサリドマイドを合成し、
   その開発に着手した。グリュネンタール社は、同年4月に臨床試験を試みている。
  ③グリュネンタール社は、最初、サリドマイドを抗てんかん薬として販売したが、あまり効果がなかった。
   そのかわり、鎮静作用や睡眠効果があることから、1967年10月コンテルガンという商品名で、睡眠薬、精神安定剤として販売した。
   サリドマイドを含む薬品は瞬く間に各国で販売されたが、後に書く事情で米国では販売されなかった。
  ④日本では、大日本製薬の研究員が、グリュネンタール社のミュクター博士が薬学雑誌に発表した文献を見て
   異なった合成法でサリドマイド剤を独自に開発した。
   (日本では薬剤などの物質が特許の対象にならず、薬剤製法が特許の対象になっていたという事情による。
   このため、後に大日本製薬とグリュネンタール社との間に法的な争うが生じた)
   大日本製薬は、1958年1月にイソミンの名前で発売した。

(3)被害の出始め
   1959年にコンテルガンの売上が爆発的に増加すると、便秘・めまい・血圧低下・健忘症・感覚障害などの症状が報告されてきた。
   四肢の低成型、海豹肢症の子供が目立って多く生まれるとの報告はあったが、それがコンテルガンと関係あるとは推測できなかった。

(4)レンツ博士と販売中止にいたるまで
  ①1961年6月にハンブルグ大学の小児科講師ビドユキンド・レンツ博士は、青年弁護士カルル・シュルテ・ヒレンから相談を受ける。
   1961年3月に生まれた自分の姪も、1961年4月に生まれた自分の子も同じように奇形児でその原因が分からなかったのだ。
  ②翌日、知人の産婦人科医に電話をかけて、このほかにも同じような奇形児が急増していることを知った。
   1961年11月、レンツ博士は、所属するハンブルグ大学に頼み、すべての医局の義務から解放してもらい、
   助手のクラウス・ナップとともに本格的な調査を開始した。
   次第に、共通してサリドマイド服用していることがわかり、彼らは小児医局に戻り、シェーファー教授に報告した。
  ③1961年11月15日、レンツ博士らはグリュネンタール社に報告した。
  ④1961年11月18日、デュッセルドルフでの小児科研究会で、自分の疑義を公表した(レンツ警告)
  ⑤1961年11月20日、(午前)グリュネンタール社と会合、(午後)ハンブルグ保険局も交えて会談を行った。
   グリュネンタール社は、頑なに拒否し、記録をすべて引き渡すよう要求した。
  ⑥1961年11月24日午前10時、ノルトライン=ヴェストファーレン州内務省において、会談を行った。
  ⑦1961年11月25日、国際プレスの配信が、「ノルトライン=ヴェストファーレン州内務省が、先天奇形の疑義から
   サリドマイドの販売を中止した」と伝えた。このニュースはまもなく間違えだと取消されるが、その前に全世界の新聞に配信された。
   1961年11月26日、ドイツの新聞が「薬剤による奇形~世界的に流通している薬に疑義あり」というニュースを掲載した。
  ⑧この結果、サリドマイドに対するマスコミや世論の圧力が高まり、11月27日、グリュネンタール社はサリドマイドの回収を決定した。






   
   

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新薬の罠 を読んでメモ

2024年04月04日 | 読書感想
2024年4月4日(木)

新薬の罠
鳥集徹(とりだまり とおる)著
2015年5月25日 第1刷発行
を、読んでメモ



 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする