つまがリズム

きままな、ひとりごと

ブラックアウト、を読んでメモ

2024年09月14日 | 読書感想
2024 年9月14日㈯

ブラックアウト
アメリカ黒人による、”民主党の新たな奴隷農場”からの独立
2022年4月28日 第1版第1刷発行

著 者  キャンディス・オーウェンズ
訳 者  我那覇真子
監訳者  ジェイソン・モーガン
共同訳者 福島朋子
発行所  ㈱方丈社

を、読んでメモ



① 「民主党は黒人の味方、共和党は白人至上主義」は正しくない

② (歴史)
 1 南北戦争が始まる直前の1860年には、400万人の黒人が白人の民主党員によって奴隷にされていた。
   そして、共和党員で奴隷を所有していた人はほとんどいなかった。
 2 リンドン・ジョンソン大統領は公民権運動の歴史において英雄視されている。
   それは、1964年の公民権法に大統領として署名したから。
   しかし、実際は違っていた。
   彼は黒人を軽蔑しており、票田として黒人を民主党に取り込む計画の一環としての計画だった。
   「私は今後200年間、クロンボたちに民主党に投票させる」
   民主党政府は黒人女性に対して援助を与えることで、男性の存在なしで子供を育てることを推奨した。
   奴隷制廃止後に黒人社会が進めてきた、家族を守るための運動の多くは、
   政府から無料配布される資金の魅力に押し流され、すぐに後退した。
   その結果、結婚している非白人の割合
     1963年・・・72%
     2017年・・・27%
   そして、父親不在の悪影響が目立つようになった(学校での成績、社会性や情緒の発達、健康、仕事での成功など)
   民主党は、黒人に「魚の釣り方」を教えずに「魚」だけを与え続けることにより、
   家族を壊し「民主党」を頼るように仕向けている。
 3 現代、民主党は、黒人にさらに多くのものを与えると公約している。
   例えば、賠償金、無料の医療、学生ローンの免除、大学の授業料の無料化など。
   しかし、これでは、黒人を依存体質・被害妄想にして、いつまでも独立することができない。
 4 民主党は新たな票田として、「移民」を考えている。





    
   


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悪魔を出し抜け! を、読んでメモ

2024年09月09日 | 読書感想
2024年9月9日(月)

悪魔を出し抜け!
ナポレオン・ヒル著
田中孝顕 訳
2013年11月2日 第1刷発行
きこ書房 発行
を、読んでメモ
***********************************************************


願いは心に強く念じることによって現実のものとなる。
そのために必要なのは、明確な目標と、それを支える明確な計画。
そして、ピプノティック・リズム時間という大自然の法則を味方につけること!


このメッセージを世に広めたい。
そう願ってヒル博士がこの本を書いたのは1930年代の事だった。
しかし現実には、この原稿は金庫の奥底に隠されてしまった。
そして2011年のいま、ようやくメッセージは私たちの前に現れることになった。
それにはちゃんと理由がある。
あなたはもう準備ができているだろうか?

ピプノティック・リズムの説明
 音楽の練習を例にとる。
 ①一つ一つの音符を記憶する
 ②それをメロディとリズムに合わせてつないでいく
 ③繰り返し練習する。
 ④繰り返し練習することで、そのメロディとリズムを体に覚えこませる
 
 あらゆる思考のひらめきも、
 「習慣」を通して何度も意識の中で繰り返されることにより一定のリズムを作り出す。
 望ましくない習慣を壊すことは可能だが、それはこのリズムが作り出される前でなければならない。
 リズムとは習慣の最終段階なのだ。
 そんな思考も、どんな体の動きも、何度も繰り返されるうちに、習慣の原理によって
 最後はあるリズムを形成する。
 そうなると、それは、大自然に取り込まれ永久のものになっている。

 『ヒプノティック・リズムを使えば、自分の目的や計画や目標を何度も思い描くことで、それを現実の形に転換できる。
 ヒプノティック・リズムは彼らの思考習慣を固定化し、永久的なものにする。』(P211)

 『大自然は、あらゆる場所でその環境特有のリズムを生み出している。そして、そのリズムの及ぶ範囲にあるものは、すべてそのリズムに同調するように作られている。
 唯一人間だけが思考によって自分独自のリズムを作り出す力を持っている。
 ただし、ヒプノティック・リズムによってまわりの環境に影響されるようになってしまったら、この特権はもう使えない。
 どの家庭にも、どの職場にも、どの町にも村にも、どの通りにもコミニティセンターにも、他とはっきり区別することのできる独自のリズムがある。
 それぞれの通りを持つリズムがどれほど違うか知りたいのなら、歩き比べてみるといい。
 たとえば、ニューヨークの五番街と下町のスラム街を!あらゆるリズムは時間と共に永久化される。』(P220)

 『成功した人間はみな、意識的にしろ無意識にしろ、成功を期待し、その実現を強く願うことによって、ヒプノティック・リズムを生みだし、
 その結果、同調するものは引き寄せられるという「引き寄せの法則」により、願いが現実のものとなる。』(P221)
 

 時間の説明
「時間」とは、人間の経験を知恵にまで熟成させるのに必要なスパイスのようなものだ。
人間は生まれながらにして知恵を持っているわけではない。
しかし、考えるという能力は誰でも持っている。
だから、その能力を使って、時間の助けを借りながら、知恵の道を探っていくのだ。


 


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日航123便墜落事件 JAL裁判 を読んでメモ

2024年08月18日 | 読書感想
2024年8月18日(日)

日航123便墜落事件
JAL裁判
青山透子 著
2022年11月30日 初版発行
を、読んでメモ
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日航123便墜落事件の不透明な事故処理によって、遺族や関係者たちは苦難に満ちた歳月を過ごしてきた。
そして事件から36年後の2021年3月26日。
事故で夫を亡くした遺族と、副操縦士の遺族として乗客たちへの贖罪の念を抱える関係者は、
JALが持つフライト・データの開示情報を求め。裁判闘争を開始した。
綿密な論拠を元に膨大な証拠を提出する原告と、僅かな反論しか提出しない被告・JALとの攻防。
そして2022年10月31日、判決の日を迎えた、、、

(以下メモ)
①裁判の終盤で裁判長が交代した。
  東京地方裁判所
   三輪方大裁判長 ⇒ 加本牧子裁判長
②「最初から結論ありの裁判だったのだなあ」、の印象を持った。
③原告が当初2名から1名に
  (当初)
   ・夫・吉備雅男さんを失った吉備素子さん
   ・副機長・佐々木祐さんの姉の市原和子さん
  (最終)
    吉備さん1人に
④市原和子さんの事
   市原和子さんの弟である副機長・佐々木祐さんは熊本大学工学部出身でJALの教育機関でパイロットになった。
   日航123便の当日のフライトは、副機長から機長になる最終試験だった。
   姉の市原さんは、夫を亡くした後、重い病気の娘さんと同居していた。
   市原さんは、弟やJALのせいで多くの人が亡くなったと懺悔の気持ちにかられていたが
   青山さんの本を読んで、心を開くようになり、遺族会ともつながった。
   長い間、カトリック信者として信仰を共にしてきた仲間にも、弟が副操縦士だったことを伝え、
   仲間たちも、裁判を応援してくれていた。

   ところが、市原さんが熊本市内のE老人ホームに入居したころから、様子がおかしくなった。
 
以下著作よりP134~P136

【第1回口頭弁論期日までに裏で起こっていたこと】
  2021年3月26日 ・東京地方裁判所にて訴訟記者会見
     4月9日  ・市原和子さんに対して、叔母の訴訟のせいで
             「(市原さんの)甥が機長になれない」
             「裁判のせいで親族のJAL社員が会社を辞めなければならない」
           と親族(医師)が発言。
     4月19日 ・市原和子さんが九州記念病院に入院したという連絡が三宅弘弁護士に伝えられた。
           病院に見舞いに行った教会関係者が教会の冊子などを差し入れたら大変喜んでおられた。
     5月上旬 ・娘さんも別の病院に入院した。教会関係者と楽しい会話をしたと聞いた。
     5月20日 ・突然、娘さんから教会関係者に不自然な手紙が届く。
           母親の訴訟を止めさせたい旨が書いてあった。
     5月25日 ・九州記念病院からの隊員が数日後に迫ったこの日、市原和子さんより、
           娘の手紙のことを知ったうえで、改めて三宅弁護士と青山さん宛てに
           「裁判をよろしくお願いします」というメッセージが届いた。
     6月1日 ・市原和子さんが九州記念病院を退院して熊本市内のE老人ホームに入居。
     6月上旬 ・吉備素子さんに共同通信社記者から取材依頼
     6月6日 ・教会関係者から青山に連絡あり。
            市原さんへの教会の冊子、手紙、電話取次ぎを、このE老人ホームによって
            全部拒否された。親展の手紙も届かない。
     6月12日 ・吉備素子さんに共同通信社H記者が不可解なインタビューを実施。
     6月14日 ・吉備素子さんへのインタビューについて、赤石弁護士からH記者へ取材内容及び
           マナー違反の通知をだす。
     6月中旬 ・教会関係者が市原さんのE老人ホーム経営者の院長へ直接面会を求める。
           院長の妻の事務局長が「市原和子さんは教会の人に騙されたと言っている。
           信仰を捨てたから面会できない」とかたくなに面談を拒否。
           さらに、「市原さんはロザリオをゴミ箱に捨て、認知症の傾向がある」と事務局長が発言。
     6月21日 ・JAL訴訟代理人弁護士から答弁書が提出される。
     6月22日 ・共同通信社H記者が赤石弁護士に謝罪の手紙を投函。
     6月28日 ・第1回口頭弁論期日

※注釈
  ・このE老人ホームの事務局長のC・K氏は、元日本航空客室乗務員だった。
   日航123便で殉職した木原幸代さんと同時期の1974年入社で、木原さんと同じで熊本出身だった。
  ・「甥が機長になれない」に対して。 甥は2016年にすでに機長になっていた。


以下著作よりP141~P143

【E老人ホーム入居から2か月後、事態は強制的に動いた】
 2021年 8月5日  ・突然、市原和子さんの親族から三宅弁護士に訴訟を取り下げたい旨の電話があった。
            前述の医師ではない別の親族から。
            三宅弁護士は市原さんから委任状をいただいているから、本人確認が必要と伝えた。
     8月31日  ・突然、東京地方裁判所に民事部37部から三宅弁護士に連絡が入る。
            市原和子さん名義で、裁判所に直接、取下書が提出されたとのこと。
            驚いた三宅弁護士がE老人ホームに直接電話して確認を試みたが、C・K事務局長に拒否される。
            直接本人確認ができないため、取下げの医師の確認をE老人ホームに送付。
            この時点でまだ電話連絡が一切なし。
     9月1日   ・次回の原告側準備書面提出予定が、取下げにより保留。
     9月7日   ・東京地方裁判所から三宅弁護士宛てに、事務連絡のファックスが届く。
            市原和子さんの取下書とJAL代理人弁護団の取下同意書が一緒に届いた。
     9月8日   ・東京地方裁判所に原告側弁護団が上申書提出。
            いまだに市原和子さんと連絡がとれないため、9月13日に予定されている第2回口頭弁論の
            取消しと延期を上申する。
     9月10日  ・9月13日予定の第2回口頭弁論期日取消。延期。
            同日、速達で原後綜合法律事務所(三宅弁護士)に市原和子さんから葉書が届く。
     9月14日  ・次回期日が10月18日午後3時、706号法廷と決定。
   
  ※参考 10月19日 第49回衆議院議員総選挙公示 熊本1区 元日本航空社員・木原稔立候補
      10月31日 熊本1区 元日本航空社員・木原稔当選

【木原稔氏メモ】
 2004年 日本航空を退社
 2005年 自民党かながわ政治大学校第9期終了。 自民党選考会で公募者17人のなかから熊本1区支部長に選出。
     同年9月の第44回衆議院議員総選挙に熊本1区から立候補し、民主党の松野頼久氏に敗れたが、
     比例九州ブロックで復活当選した。
 2009年 第45回衆議院議員総選挙では、民主党の松野頼久氏に敗れ比例九州ブロックでも復活当選ならず落選。
 2012年 第46回衆議院議員総選挙では、日本維新の会に鞍替えした松野を破り熊本1区で当選。
          以下省略

 彼が落選した2009年、中曽根康弘首相時代の官房長官・藤波孝生の息子、藤波清孝氏がJAL熊本支店長として赴任した。
 2009年は日本航空の倒産(2010年)直前でゴタゴタしている最中であり、リストラも激しさを増していたその時、
 わざわざ元日本航空社員が落選した縁もゆかりもない熊本に、藤波氏は支店長として勤務した。その藤波氏のおかげで
 木原氏は、2012年第46回衆議院議員総選挙で再度議員に復活できたともいわれている。
 秘書のR・Sも昭和57年入社の元日本航空社員である。

               



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明治から大正の危機を救った大隈重信の功績、を読んでメモ

2024年07月21日 | 読書感想
2024年7月21日(日)

明治から大正の危機を救った大隈重信の功績
 鈴木荘一 著
 2023年10月10日 初版第1刷発行
 共栄書房 発行
を、読んでメモ


①大隈登場
  維新の三傑は、西郷、木戸、大久保。
  大隈は倒幕・新政府樹立に功績がなかったので、無名だった。
  そんな大隈が注目されたのが「浦上四番崩れ」だった。
  明治新政府は政権発足直後、「浦上四番崩れ」というキリシタン弾圧をおこなったところ、
  英国公使パークスから猛烈な抗議を受け窮地に陥った。
  このとき、大隈は、佐賀藩士として長崎で各国領事・外国商人と日本側とで毎日生じるもめごとを裁いており、
  パークスに対応できるのは大隈しかいなかった。

②日本人キリシタンには2種類あった。
  (1)アンロジー・ザビエル系カトリック(←作者命名)
     ザビエルは、マラッカで鹿児島出身の日本人アンロジーと会い、日本に関心をもった。
     アンロジーを通訳として布教したが、日本人が受け入れやすいように、
     「天国は極楽浄土です。キリストは大日如来です。マリア様は観世音菩薩です。」と説いたので、
     人々は、これは「天竺宗」という仏教の一派と思って信じた。しまばらの乱後も途絶えなかった。
  (2)真正カトリック
     のちの宣教師が日本人が受け入れた多神教的な(1)があまりにも日本的に歪曲されたこと事実に対し、
     本来の厳格なカトリックに改宗させた。島原の乱をおこし全滅したのは、(1)のカトリック。

③浦上崩れ(「崩れ」とは検挙事案のこと)
  一番崩れ・ニ番崩れ・・・検挙された者たちが、「キリスト教」ではないと主張し踏み絵をしたので、無罪放免。
  三番崩れ・・・・・・・・密告したのが内情を知る棄教した元キリシタンだったので、今まで通りにはいかなかった。
              捕縛された15人のほとんどが獄死し、「浦上村にキリシタンはいない」という報告をした。 ←互いにいわるゆる「大人の対応」
              ※なお、長崎奉行所のこの裁判記録は160余年たった現在でも保存されている。
               幕府の誠実さと公正さを示していると思う(作者談)
  四番崩れ・・・・・・・・幕末1865年3月17日に、浦上村の住人十数人が天主堂を訪れて、
              その内の一人、杉村百合52才がフランス人カトリック宣教師に自分たちがカトリックであることを告げた。
              宣教師は感動し、地区へ出向き多くの隠れキリシタンを発見し洗礼を授けた。
              これを問題視した長崎奉行所は、隠れキリシタン68人を摘発したものの、
              「外国人と会ってはならない、キリシタンと誤解されるような言動を慎め」と厳重注意し、村に返して庄屋預けとした。
              この事態に対して、フランス公使ロッシュが幕府に厳重抗議を行ったので、ロッシュと徳川慶喜との交渉の結果、
              「外国人神父は日本人に布教したり洗礼を授けたりしない、幕府は日本人信徒に手荒なことはしない」との
              穏便方針で合意した。
                   ↓
              この2か月後に大政奉還があり、この問題は明治新政府に移管された
                   ↓
              この件について、明治新政府を代表して木戸孝允が長崎を訪れ、キリシタンの摘発・賭博を進め、
              600余名が命を落としたといわれる。

④明治新政府2つのグループ
   (1)岩倉使節団組 1871年11月~1873年9月 
        岩倉・大久保・木戸・伊藤ら
   (2)西郷留守政府組
        西郷・大隈・江藤新平・渋沢栄一ら

⑤西郷留守政府
   「イギリス・フランス・アメリカをお手本にした国造り」を2年間でおこなった。
   ・地租改正、徴兵令、学制(国民皆学)、土地の私有制度を確立、四民平等、キリスト教を容認
    鉄道(新橋~横浜間)、富岡製糸場、太陽暦、国立銀行条例、郵便制度、司法制度、近代警察組織の確立。
   ・岩倉大使一行が欧米視察に出かけた留守に留守番を言いつかった我輩は「もはや彼等の帰るを待つまでもなく、
    世界の文明はその空気にふれておおよそ知れ切っていたものだから、なに構うことはない、先回りして
    ドシドシ改革を断行してしまえ、というんで、片端から手をつけた。木戸、大久保らが岩倉公を奉じて
    帰ってくる頃までには、もはや改革すべき主なるものはだいぶ改革し終わった。木戸公らはこれを聞いて
    だいぶ立腹した。(早稲田清話)

⑥第一次世界大戦参戦
   第二次大隈内閣は日英同盟に基づき第一次世界大戦に参戦した
   (その影響)
     ・アメリカ
       参戦前 「オレンジ計画」にて日本を敵対
       参戦後 日本海軍は、尊い犠牲を払って日英同盟の責任を果たし英国の信頼を得た。
           また、アメリカの友軍となってドイツと戦ったことで、一旦「オレンジ計画」は空洞化した。
     ・ロシア
       ロシアも連合国の一員だったので日本陸軍の対ロシア恐怖心も軽減した

     ・日本は戦地から遠く離れていたため経済的利益を得た。
      日露戦争後に苦しんできた①不況 ②失業増加 ③低賃金・社会不安 ④外債の償還困難 ⑤貿易赤字・外貨不足
      の五重苦が一挙に解決した。

⑥明治天皇
     ・・・伊藤(議会政治への道を開いた文治派)と山形(陸軍・内務省・警察に基盤を置く武断派)の2枚のカードがあった。
          ※伊藤を愛し、山形を嫌った。

⑦大正天皇
     ・・・伊藤が暗殺されたので、山形1枚のカードになった。
          ※山形を嫌った。
          ※大隈を信頼していた。


   

  

   
     
  

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バナナと日本人 を読んでメモ

2024年07月19日 | 読書感想
2024年7月19日㈮

バナナと日本人
 ~フィリピン農園と食卓のあいだ~
 鶴見良行 著
 ㈱岩波書店 発行
 1982年8月20日 第1刷発行
 を、読んでメモ



私がフィリピン産バナナを食べるまでにかかわった人
 ①もともとの先住民バゴボ族ら(土地を奪われた)
 ②もともとの先住民を追い出して地主になった人(入植したクリスチャン・フィリピーノら)
 ③デルモンテなどの多国籍企業
    多国籍企業は、②の地主から土地を借りてバナナ農園を展開した。
      A)多国籍企業は土地を借りて、多国籍企業が農園経営する形態
         ⇒安い賃金で働かせ、労働者を借金づけにした
      B) 地主がバナナ農園を経営して、多国籍企業に出荷する形態
         ⇒地主(契約農家)は、化学肥料や農薬をセットで買わされて、
          また、商品としてのバナナの買取価格も多国籍企業の事実上の言いなりになった。
          地主(契約農家)は借金づけになり、不利な状況でバナナ栽培を続けるしかなくなった。
          地主(契約農家)に雇われている労働者は、さらに厳しい状況。
          その状況に耐えかねて、逃げ出すものもいるが帰る故郷がなければスラムの住人となるしかない。
 ④日本での関係者
    輸入元 ⇒ 問屋集団 ⇒加工・配荷業者 ⇒小売業者 ⇒消費者

□弱い人から搾取する手段は、多国籍企業は容赦ないというイメージ。
□ミンダナオ島がバナナ農園になる前(戦前)は、日本人が先住民から不法に土地を取り上げ、
 麻農園を行っていたものもいた。そのため、住民との関係性は悪く、時折、日本人が殺害される事件もあった。
 そのようなことがあっても、日本人社会では、事を大きくすることなく、皆で「気をつけよう」と
 いい合うにとどめた。
□多国籍企業も、日本人入植者も、弱いものから搾取する構図は同じ。
 しかし、その搾取の程度は、あきらかに違うと思った。

    



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