つまがリズム

きままな、ひとりごと

わたし的、TPPの正体(3)

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

平成25年4月29日

昨日NHKスペシャル、シリーズ日本再生「TPP交渉どう攻める、どう守る(生放送)」をみた。 

『TPPとは何だろう』 って再度考えたときに、私はこうも思った。

            

今までの永い歴史を積み重ねて日本の社会と日本人の生活がある、良いも悪いもね。 それを変えたいと為政者が思ったときに、『外圧』を使ったら、案外、摩擦少なく変えられるかなあ、なんて考えたのです。

農家を例にしてみよう。
①現在、補助金を出して、また、「輸入米」に関税をかけて、農家を守っている。 
②為政者は、「これはおかしい、日本はそこまでしてコメを作らなくても安いコメを輸入すればいいではないか」と思っている。
③でも、農家の特権をなくすことはなかなかできない。
④TPPできまりました、ごめんね、って感じ。

このさい、TPPのせいにして、何でもかんでも変えちゃえってこと、アリかなあ、ナシかなあ?


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わたし的、TPPの正体(2)

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

平成25年4月29日

昨日NHKスペシャル、シリーズ日本再生「TPP交渉どう攻める、どう守る(生放送)」をみた。 

『TPPとは何だろう』 って考えたときに、私はこう思った。

        

帝国主義、植民地時代に、日本は、欧米の先輩国のマネして東南アジアや東アジアに進出したよね。 で、気がついたら、帝国主義の時代は勝手に終わりにされてハジゴをはずされた感がある。 今回も同じでないか注意が必要だ。

        

例えばゲームをするときに、そのルールは自分に都合の良いものが断然有利だよね。 しかも、一旦決めたルールを変更するには、すっごいエネルギーが必要になるという意味で、「ルール」は重要である。

「武力」で支配する時代は終わり、「ルール(経済)」で支配する時代に入った。 アメリカに遅れまいと、「ミニアメリカ」気分で新興国を支配(経済面で)していたら、気がつかないうちにハシゴはずされた、ってことないよね?

甘利大臣、そもそもTPPがなぜ必要か、どうしても納得できません。 
優木まおみさんの、「地元の商店街がさびれた」という話や、柴山先生だったか、TPPになったら、大企業は利益が拡大するけれども、雇用が失われて政府は莫大な補助金を支出することになる、という意見の方が、附に落ちるのですけど・・・


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わたし的、TPPの正体(1)

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

平成25年4月29日

昨日NHKスペシャル、シリーズ日本再生「TPP交渉どう攻める、どう守る(生放送)」をみた。 

三宅民夫キャスターで出演者は次の通り。
甘利経済再生担当大臣、中川淳司(東大教授)、水野和夫(日大教授)、真山 仁(作家)、柴山桂太(滋賀大准教授)、優木まおみ(女優)

        

甘利大臣のいうTPP参加の意義・・・

◎日本は少子高齢化となりGDPは減少していく一方。それを補うためには、成長しているアジアの力を取り入れる必要がある。 日本はチェンジしなければならない。 ①日本で作ったものを輸出する。 ②企業が海外進出し、国内は空洞化、のステップから →  ③企業が海外進出し、そこで得たお金を日本に還元する。そのお金で日本は商品開発などに特化する。 その商品を海外で作り売る、の循環へ。

◎新興国は未成熟な産業を守るために多くの産業で規制をかけている。それに対して、日本は様々な規制を撤廃してきた。撤廃していない規制は農業や酪農などの一部なので交渉に有利と考えている。 また、2国間で新興国と交渉をすると、新興国は規制緩和に関して厳しくならざるをえない。 しかし、TPPのように12カ国ぐらいでの交渉になると、参加国の様々な利害を調整でき落としどころがみえてくるので、お互いにWINの関係が持てると思われる。

(その2)へ続く        


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五家荘 (2)

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

平成25年4月29日

昨日、夫と「五家荘」に行った。

そこで知った鬼山御前の話。

            

平家の敗北を印象づけた「屋島の戦い」。 平家側の船の扇の的を、源氏側の那須与一が射るという名シーンがあるよね。 その扇をもっていたのが、玉虫御前と呼ばれる美女。

その後、平家は敗北し追討される。 玉虫御前も「鬼山御前」と名前を変え、五家荘に通じる泉町柿迫の岩奥といわれるところでひっそりと暮らすことに。 

しかし、ここにも追手がやってくる。 しかも、それは那須与一の嫡男である那須小太郎であった。

小太郎は平家一族が隠れ住む五家荘に入ろうとするが、鬼山御前は小太郎を「保口地区」まで追い、引き留める。 そのうち、愛が芽生え夫婦になって幸せにくらしたと・・・。

            

小太郎は、こんな田舎で一生くらせたのか・・・、という疑問はこの際考えまい。 鬼山御前は機転のきく魅力的な人だったのだろうね、きっと。


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五家荘 (1)

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

平成25年4月29日

昨日、夫と「五家荘」に行った。

『休日で天気も良いので、どこか行こうか!』 と、軽いノリで出かけたものの、途中の山道の厳しいこと。 離合できない道もあり、また、落石も多く、ちょっと大変だった。 でも、舗装されていない道はなかったよ。 さすが、日本♪とありがたく思う。

で、後先になりますが、五家荘のお勉強をしました。

        

◎五家の荘とは、①樅木(もみき) ②仁田尾(にたお) ③椎原(しいばる) ④久連子(くれこ) ⑤葉木(はぎ)の、五つの地区の総称をいう。 ①と②は、菅原道真の失脚の際に、道真の子(兄弟)が追っ手を逃れてたどり着いたところ。(菅原から左座太郎、二郎と改名) ③④⑤は、平清盛の孫である清経が大分の緒方氏経由で逃れてきて、その子孫が暮らした地区と伝えられている。(平から緒方へ改名)

◎「五家荘」は、中世までは、「五箇庄」といわれていた。 

◎そして、「五箇」がつく地名は、島根県隠岐の五箇村、京都府峰山町の五箇村、福井県大の市の五箇村など全国に多くあり、総じて落武者伝説が伝えられているという。

        

思いつきの小旅行であったが、山の木々は美しく、山水はおいしく、また、料理にでてきた、「イタドリ」のお漬物がとてもおいしかったので、帰りに収穫したりと、楽しい旅行だった。


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