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明治から大正の危機を救った大隈重信の功績、を読んでメモ

2024年07月21日 | 読書感想
2024年7月21日(日)

明治から大正の危機を救った大隈重信の功績
 鈴木荘一 著
 2023年10月10日 初版第1刷発行
 共栄書房 発行
を、読んでメモ


①大隈登場
  維新の三傑は、西郷、木戸、大久保。
  大隈は倒幕・新政府樹立に功績がなかったので、無名だった。
  そんな大隈が注目されたのが「浦上四番崩れ」だった。
  明治新政府は政権発足直後、「浦上四番崩れ」というキリシタン弾圧をおこなったところ、
  英国公使パークスから猛烈な抗議を受け窮地に陥った。
  このとき、大隈は、佐賀藩士として長崎で各国領事・外国商人と日本側とで毎日生じるもめごとを裁いており、
  パークスに対応できるのは大隈しかいなかった。

②日本人キリシタンには2種類あった。
  (1)アンロジー・ザビエル系カトリック(←作者命名)
     ザビエルは、マラッカで鹿児島出身の日本人アンロジーと会い、日本に関心をもった。
     アンロジーを通訳として布教したが、日本人が受け入れやすいように、
     「天国は極楽浄土です。キリストは大日如来です。マリア様は観世音菩薩です。」と説いたので、
     人々は、これは「天竺宗」という仏教の一派と思って信じた。しまばらの乱後も途絶えなかった。
  (2)真正カトリック
     のちの宣教師が日本人が受け入れた多神教的な(1)があまりにも日本的に歪曲されたこと事実に対し、
     本来の厳格なカトリックに改宗させた。島原の乱をおこし全滅したのは、(1)のカトリック。

③浦上崩れ(「崩れ」とは検挙事案のこと)
  一番崩れ・ニ番崩れ・・・検挙された者たちが、「キリスト教」ではないと主張し踏み絵をしたので、無罪放免。
  三番崩れ・・・・・・・・密告したのが内情を知る棄教した元キリシタンだったので、今まで通りにはいかなかった。
              捕縛された15人のほとんどが獄死し、「浦上村にキリシタンはいない」という報告をした。 ←互いにいわるゆる「大人の対応」
              ※なお、長崎奉行所のこの裁判記録は160余年たった現在でも保存されている。
               幕府の誠実さと公正さを示していると思う(作者談)
  四番崩れ・・・・・・・・幕末1865年3月17日に、浦上村の住人十数人が天主堂を訪れて、
              その内の一人、杉村百合52才がフランス人カトリック宣教師に自分たちがカトリックであることを告げた。
              宣教師は感動し、地区へ出向き多くの隠れキリシタンを発見し洗礼を授けた。
              これを問題視した長崎奉行所は、隠れキリシタン68人を摘発したものの、
              「外国人と会ってはならない、キリシタンと誤解されるような言動を慎め」と厳重注意し、村に返して庄屋預けとした。
              この事態に対して、フランス公使ロッシュが幕府に厳重抗議を行ったので、ロッシュと徳川慶喜との交渉の結果、
              「外国人神父は日本人に布教したり洗礼を授けたりしない、幕府は日本人信徒に手荒なことはしない」との
              穏便方針で合意した。
                   ↓
              この2か月後に大政奉還があり、この問題は明治新政府に移管された
                   ↓
              この件について、明治新政府を代表して木戸孝允が長崎を訪れ、キリシタンの摘発・賭博を進め、
              600余名が命を落としたといわれる。

④明治新政府2つのグループ
   (1)岩倉使節団組 1871年11月~1873年9月 
        岩倉・大久保・木戸・伊藤ら
   (2)西郷留守政府組
        西郷・大隈・江藤新平・渋沢栄一ら

⑤西郷留守政府
   「イギリス・フランス・アメリカをお手本にした国造り」を2年間でおこなった。
   ・地租改正、徴兵令、学制(国民皆学)、土地の私有制度を確立、四民平等、キリスト教を容認
    鉄道(新橋~横浜間)、富岡製糸場、太陽暦、国立銀行条例、郵便制度、司法制度、近代警察組織の確立。
   ・岩倉大使一行が欧米視察に出かけた留守に留守番を言いつかった我輩は「もはや彼等の帰るを待つまでもなく、
    世界の文明はその空気にふれておおよそ知れ切っていたものだから、なに構うことはない、先回りして
    ドシドシ改革を断行してしまえ、というんで、片端から手をつけた。木戸、大久保らが岩倉公を奉じて
    帰ってくる頃までには、もはや改革すべき主なるものはだいぶ改革し終わった。木戸公らはこれを聞いて
    だいぶ立腹した。(早稲田清話)

⑥第一次世界大戦参戦
   第二次大隈内閣は日英同盟に基づき第一次世界大戦に参戦した
   (その影響)
     ・アメリカ
       参戦前 「オレンジ計画」にて日本を敵対
       参戦後 日本海軍は、尊い犠牲を払って日英同盟の責任を果たし英国の信頼を得た。
           また、アメリカの友軍となってドイツと戦ったことで、一旦「オレンジ計画」は空洞化した。
     ・ロシア
       ロシアも連合国の一員だったので日本陸軍の対ロシア恐怖心も軽減した

     ・日本は戦地から遠く離れていたため経済的利益を得た。
      日露戦争後に苦しんできた①不況 ②失業増加 ③低賃金・社会不安 ④外債の償還困難 ⑤貿易赤字・外貨不足
      の五重苦が一挙に解決した。

⑥明治天皇
     ・・・伊藤(議会政治への道を開いた文治派)と山形(陸軍・内務省・警察に基盤を置く武断派)の2枚のカードがあった。
          ※伊藤を愛し、山形を嫌った。

⑦大正天皇
     ・・・伊藤が暗殺されたので、山形1枚のカードになった。
          ※山形を嫌った。
          ※大隈を信頼していた。


   

  

   
     
  
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