人を愛せないほど不幸なことはない。
愛されなくても愛することができる人が幸せだ。
(カンボジアで銃殺された中田厚仁さんが、父の武仁さんから言い聞かされていた言葉)
中田武仁さんはすっごく立派な方。おそらくクリスチャン。
クリスチャンじゃないとこんな言葉は吐けない?
子育ての答え合わせは、いつ、出る?
子育ての答え合わせ。
子育てって、正解がない、試み。暗中模索。正解だと思ってやっていても、5年10年経って、「あれはマズかったかなぁ」「もっとああしておけばよかったかなぁ」なんてうじうじ考えてしまう。
それが子育て。
子育てに答え合わせがあるとすれば、それはいつ?
数年前、子どもの中学受験を終えた同世代知人が、「これで私もひと仕事終えました」的に振り返っていた。
すっごく違和感を感じた。
良い中学に入れただけじゃないか。
まだ人生始まっちゃいねえよ。『キッズ・リターン』のたけし監督がブチギレますよ。
じゃあ、答えはいつ出るんだ。
子どもが就職したら?
結婚したら?
子どもが死んだとき?
否。
もっと後。
子どもが幸せでも、その子ども(つまり孫)がダメなら、子育て失敗。
要するに、二世代後。
なぜか。
売家(うりいえ)と唐様で書く三代目
この川柳を私は強く価値あるものと思っている。
一代目の創業者は頑張る。
その貯金で二代目もなんとか踏ん張る。
でも、三代目は、遊んじゃって、「唐様」でカッコつけて書く書道とかは覚えるけど、遊び人だから、身代を潰す。
一代目と二代目が築いてきた財産も暖簾も、引き継げない。大きく立派な家を売る羽目になる。零落する。
その「売家」という張り紙を、唐様でカッコつけて書く。
それが、「売家と唐様で書く三代目」。
世の、甘えん坊で世間知らず、苦労知らずのボンボンの三代目を揶揄した言葉。
一代目が出世して、金持ちになって、二代目がそのおかげで下駄を履いた恵まれた人生を送ったとする。
でも、苦労していない二代目に育てられた三代目は、、、
売家と唐様で書く羽目になる。
そこまで考えて私は子育てしている。
つまり、自分が一代目として、二代目の子どもたちに贅沢はさせないようにしている。
三代目が、売家と唐様で書かないために。
だから、私の場合、子育ての答え合わせは、「孫が死んだとき」ですかね。孫がきっちり育って、まともな人生を送って、いい死に方をしたら、私の子育てが間違っていなかった。
そう答え合わせができる。
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ってのは、いままでも20年くらい、考えていたこと。
これを定量化すると、、、 私が死ぬのが今から30年後の80歳とする。
私の子どもたちが死ぬのが、その35年後くらいの、今から65年後。
その下の世代の、私の孫たちが死ぬのは、、、 さらに35を足した、ちょうど100年後かぁ!
私って、100年後のために、子育てをしているんですね。
そう考えると、さらに、私の日々の振る舞い、言動について、100年後にも生きるような、真剣さを持たねばならぬ、と思います。
気合を入れ直します!
次男六年性の将来の夢。
卒業アルバムに書く、そのドラフト。
それを妻がチラ見して、私に送ってきてくれた。
プロ野球選手と、もう一つは、、、
べ、弁護士だと。
なぜか。
父の仕事する姿がカッコいいからと。
う、、
私は家で仕事の話をすることはあまりない。
もっとしたほうがいいと思っていますが、、、
たまに私のことが記載された新聞を見てもらっているくらい。
主に家庭連合案件。
その案件が世間的に攻撃されている案件だということは、家族も知っている。
それでも、そんな父を見て、父と同じ、弁護士になりたいと。
私は朝は家族を犠牲にして、朝飯を家族と一緒に食べることは年に3日くらいしかない。
年に360日は事務所で働いて、家族に姿を見せていない。
元旦ですら早朝から事務所で働く超ワーカホリック。
それでもそんな弁護士になりたいと。
私が見せてきた背中は間違っていなかったようだ。
息子くん。
弁護士は修羅の道でっせ。
プロ野球選手の方がいいかもよ(笑)
プロ野球選手になってからその後に弁護士にでもなって送んなまし!
冬休み最後、長男が地元の大きな書店に行っていた。
何の本を買ってきたのかは知らない。好きな野球の本もあるようだ。
嬉しい。
冬休みに、ゲーセンに行くでもなく、本屋に行く。
そういう中2に育ってくれただけで、嬉しい。
妻や周りの方々のおかげ。
私なんか、中2のころ、「自分で大きな本屋に行く」なんてしなかったな、、
中3か高1の頃、本を読まない私に業を煮やしたか、父親が「お前は自己啓発をしとらんな。人間は自己啓発しなきゃならん」って言って、地元の成瀬のそれなりに大きな書店に連れて行ってくれたのを思い出す。
科学の、流体かなんかのブルーバックスの新書を買ったのを覚えている。たしか一冊だけだったか、、、
それくらい私も本を読まない高校生でした。
慶応大学を受験するときに、愛読書を書く欄があって、選ぶのに苦労したというか、青バット大下弘を描いた辺見じゅん『虹の生涯』を書いたのを覚えている。
ほとんどこれしか選択肢がなかった。
どうやら私より知的に育っているようだ。後生畏るべし。
私より世のため人のために自己を使い切る人間になってくれれば嬉しい。
冬休み9日中、長男が遊びに行った1日を除いて、8日、毎日1時間、500球のバッティング練習をしました。
バトミントンのシャトルを私道から家/庭に向かって打つ。
私が下投げで投げて。
合計4000球。
長男には「これだけやった」という自信になっただろう。
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次男も中学で野球部に入るだろうから、次男が2年後に、私もこれくらいのことはやってあげる覚悟をしないと。
自分へのプレッシャーの意味でも記録しておきます。