世界三大幸福論の一角を占めるアラン。
彼の言葉でいちばん有名なのは、
悲観主義は気分であり、楽観主義は意志である
ってもの。普通に考えて、普通に生きていると、悲観主義に陥る。
だから悲観主義は気分。「自然」って意味。
しかし。
意志を持て。
歯を食いしばれ。
やせ我慢せよ。
意志の力で、楽観的になれ。
何が起こっても「ラッキー」と思え。まずそう思え。
それから「どの点でラッキーか」を考えよ。
すべての出来事に、プラスの意味があると、こじつけよ。
「こじつけ力」を身に着けよ。
それがアランの「楽観主義は意志である」の意味。
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これを私が好きな司馬遷『史記』伯夷列伝「天道、是か非か」に当てはめてみる。
普通に、気分で生きていると、天道は、非です。だから悲観主義になっちゃう。
違う。
意志で、天道を、是と思え。
5年10年で天道がたとえ非だとしても、30年50年かけて、または、死後の次の世代のために何かを仕込んで、50年100年後には、天道が是になるように各員一層奮闘努力せよ。
※ 東郷平八郎・秋山真之の有名な言葉は「奮励努力」でした
それが「天道、是か非か」の意味ではないか。
天道、是か非か。
東洋の運命論でいちばん有名なこの問いかけは、要するに
お前は気分で生きるのか、それとも意志で生きるのか
って問いかけだ。
悲観主義は気分であり、楽観主義は意志である
非であるところの天道を、なんとかして、無理くり、痩せ我慢して、是にしてみろよ。
歯を食いしばって、意地で、意志で、是に転化してみろよ。
我々はそういうボールを天から投げかけられている。
最近知った。
西洋文学はすべてヨブ記を淵源としている。
山本七平あたりがそう言っている。ググってもそう出てくる。
そうなんだろう。
要するに、すべての文学は問題提起。
こんな境遇でも、こんな素晴らしい態度を示した人がいるよ。
お前はどうなんだ、と。
ヨブ記42:4の You shall answer me だ。
お前が答えよ。
我々は常に回答者。質問者ではなく。
いつ何時も、四六時中、その一挙手一投足が、見られている。
天から見られている。神から問われている。
例えば。
- 上司から心無い言葉を言われたとき。
- 部下がひどいパフォーマンスを示したとき。
- 親からバカにされたような言葉を言われたとき。
- 子どもが生意気な態度を示したとき。
- 配偶者が不機嫌な反応をしたとき。
- 仕事でヘマをしたとき。
- 友人からマウントを取られたとき。
常に我々は問われている。回答用紙を求められている。
どんな態度を示すのか。
それがヨブ記であり、フランクル心理学の「態度価値」であり、西洋文学。
東洋文学だってそうだろう。
司馬遷『史記』伯夷列伝の「天道、是か非か」は、ヨブ記的問いかけだと受け取ることができる。
※ これは別稿で解説しました こちら
そこまでの「コペルニクス的転回」(フランクル心理学)はできなくても、常に我々は
天から見られている神から問われている
そう考えるだけで、我々の一挙手一投足は、違ってくる。
西郷隆盛の
人を相手にせず、天を相手にせよ
もそういう文脈で理解できる。
かつての、例えば戦前とか明治の日本人ってのは、こういう道徳・倫理観を、今の日本人よりは強く持っていた。
ヨコとタテのバランスが、最近は崩れてヨコに流れている。 こちら
そういうことなのでしょう。
アドラー心理学のアドラーの言葉。
刺さった、大事な言葉をいくつか抜粋。




アドラー心理学を学んだ人と学んでない人は、違う。
自転車に乗れる人と乗れない人と同じくらい、違う。
泳げる人と泳げない人と同じくらい、違う。
アドラー心理学ととても近いのがフランクル心理学。
フランクル心理学で有名なのは「コペルニクス的転回」。
人生の意味を求めるのではなく、人生の意味は問われている、ってヤツ。
ヨブ記の「You shall answer me」(お前が答えよ)ってヤツ。
その逆境における、その態度が、お前の人生に対する態度であり、価値観だよ。
どんな時にもお前は神から見られている。天から見られている。
どんな態度を示すか。
四六時中、問われている。
我々は神に質問する質問者ではない。
我々は常に神に回答する回答者。
我々が示す態度によって、神に回答する。
我々が示す一挙手一投足が、天に提出する回答用紙。
それがフランクル心理学であり、アドラー心理学。
アドラーやフランクルに興味ある方におすすめの一冊!
サクッと読めます。