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電車に乗るや否や、人に先駆けて、我れ先にと席を取ろう(座ろう)とする人がいる。
私も昔、やったことがある。
卑しい。さもしい。せこい。みっともない。美しくない。かっこよくない。浅ましい。
そういう美しくないことをしない。
こう教える教育は、、なかなか学校では教わらない。家庭で教えるべきことですかね。
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いや、学校でもある程度は教わる。
私の父親は教師をしていた。中高の社会科。地理。
20年前、定年退職する際に、自身の職業人生を振り返って、
「俺は、生徒が寺社の山門を通るとき、<敷居は踏むものではない。跨ぎなさい>と教える教師だった」
と言っていた。そこに自負と矜持があった。
「敷居を跨ぐことを教える教師」として記憶されたかった。
そういうことを言う教師は他に多くなかった、いや、ほとんどいなかったのだろう。
父は、神奈川の桐蔭学園高校の社会科主任を長く務め、21期では理数科主任。進路指導の副部長でも実績を残した。
その、「進学校の教師としての実績」に誇りを持っていたのではない。
敷居を跨ぐという、「人としての教え・あり方」を伝える教師であったことに誇りを持っていた。
そんな父を私は誇りに思っている。