川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

キリスト教の本質

2025年02月25日 | 宗教
ワシントンで出会ったサイエントロジストに誘われ、録画のテレビ番組に出ます。

そのネタというか私の考えをまとめている。

私の人格に影響を与えたキリスト教、その本質は、マタイ16:25の

Whoever wants to save their life will lose it, but 
whoever loses their life for me will find it. 

ではなかろうか。暗証していなかったので改めて。

   ※ これはNIVだが、KJVとかでもほとんど同じ英語

save, lose, find って動詞をキーワードとして覚えればいいのかな。

フランチェスコ訳だと:

自分の命を救おうと望むものはそれを失い、
私のために命を失うものはそれを得る。

キレがいいですね。
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子どもにも愛メッセージ

2025年02月24日 | 教育・子育て
愛メッセージはIメッセージ。

君が◯◯してくれると私は嬉しい。

その逆は、Youメッセージ。

君は◯◯しなさい!

常に、どんな人に対しても、I(愛)メッセージを使いたい。

____________

一番、愛メッセージが難しい(Youメッセージになりがち)のが、自分の子供に対して。

どうしても上下関係(親子関係)のもと、上から目線になってしまう。

いけない。

これでは子どもの人格を尊重することにならない。

子どもを勇気づけることにならない。勇気をくじいてしまう。

子どもにも、愛メッセージを。

今日、私が実演できた。

玄関の靴が揃っていない。

子どもに、「◯◯さん、玄関の靴を揃えてくれたら、お父さんは嬉しいなぁ」と言った。

言えた。

アドラー心理学を学んでいるヒューマン・ギルドの、特にスマイルってコースだったかな、ここで学ぶのは、要するに「子どもにも愛メッセージを」ってこと。

このスマイルコースを受講した昨年あたりにはできなかったけど、コース受講終了後しばらく経って、できるようになりました。
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贈与が作る上下関係

2025年02月24日 | 人間心理・心理学
贈与が上下関係を作る。

漱石『坊っちゃん』の、山嵐が坊っちゃんに氷代を奢った件が、好例。

以下、青空文庫から該当部分を抜粋。『坊っちゃん』で一番好きなくだり。

~~~以下引用~~~

ここへ来た時第一番に氷水を奢ったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、おれの顔に関わる。

おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払はらわしちゃない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。

おれは清から三円借りている。その三円は五年経たった今日までまだ返さない。返せないんじゃない。返さないんだ。

清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにしてはいない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。

返さないのは清を踏みつけるのじゃない、清をおれの片破(かたわれ)と思うからだ。

清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵みを受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。

割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちでありがたいと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。

無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊いお礼と思わなければならない。

おれはこれでも山嵐に一銭五厘奮発させて、百万両より尊い返礼をした気でいる。

山嵐はありがたいと思ってしかるべきだ。それに裏へ廻って卑劣な振舞いをするとは怪しからん野郎だ。あした行って一銭五厘返してしまえば借りも貸しもない。そうしておいて喧嘩をしてやろう。

~~~引用終わり~~~

先日、横浜の実家に行って、近くのレストラン サンマルク ベーカリーでだいぶ食べた。

私が払おうかなと思ったけど、九州男児の父親は、自分で払いたい(それにより最年長の家長として威厳を示したい)だろうと思ったので、父親に払ってもらって、父親の顔を立てました。

「奢ってもらったままにする」ってことが、相手への礼儀になることがある。下手に返礼(お返し)をしないほうがいいこともある。

以下の本を読みながら思い出した、愛読書の一つ『坊っちゃん』に敬意を表して。

 
『坊っちゃん』の上記引用部分は、大好きなので、暗唱してしまいたいくらいだ。

 
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【子育て備忘録】 次男の水泳トレーニング

2025年02月24日 | 教育・子育て
小6で中学受験を終えた次男に水泳トレーニングを施している。

子ども3人いて、塾とかに通わせるので忙しくて(私が多忙のため送迎できないことが一因で)、クロールや平泳ぎで25メートルを泳げるに至っていない。

そこで、受験後、私がプールで水泳指導をしている。長男のときの2年前にはインストラクターを付けたけど、私でもできるかと思って。

ちなみに私はトライアスロンオリンピックディスタンスをしたことがあるから、普通の人以上には泳げる。

今日でレッスン5回目。すでに平泳ぎ25メートルは泳げるようになりました!

クロールは、
  • レッスン1回め:計測なし
  • 2回め:8m
  • 3回め:10m
  • 4回め:計測なし
  • 5回め:20m!

次の6回目で25メートル行けばよい。

次男は12回くらい?かかったような気がする。プロのインストラクターより私が教えた方が上達が早いのか?

自戒のレッスンが楽しみだ。
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2月は読書量少ない

2025年02月24日 | 日記・雑記・独り言
個人的な備忘のためで恐縮です。

この2月は読書量が少ない。理由:

  1. 後藤徹さんの対鈴木エイト完全勝訴後にギア上げて広報活動
  2. 月初にワシントンに
  3. 次男の受験終了→水泳トレーニング開始

ってイベントがあったため。

インプット少ないため、ちょっとストレスたまりがち。

ゆっくり本が読みたい。
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勇者は独り立つとき最も強し

2025年02月24日 | 言葉
シラーの一節。

「財界総理」と恐れられた経団連会長・石坂泰三が好きだった言葉。


内村鑑三の名著『キリスト信徒のなぐさめ』所収の「愛する者の失せしとき」に書いてあったとは。

石坂泰三もクリスチャンだったか不明ですが、たしかかなりキリスト教は勉強していたはず、、

石坂泰三が内村鑑三を読んでいたに違いない。

調べればわかりますが、取り急ぎ。




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内村鑑三 「愛する者の失せし時」

2025年02月24日 | 
内村鑑三は膨大な著作を遺した。

中でも評判がいいというか、内村の本質を表す書として定評があるのが、『基督信徒のなぐさめ』所収の、巻頭の「愛する者の失せし時」。

愛妻かず(加寿子、2人目の妻)と死別した2ヶ月後に著した。


ヨブ記「主は奪う」を引用したりして、失意と絶望のどん底にあることを、恥ずかしげもなく、赤裸々に語っている。












人は、死者を想うことで、生死の境を乗り越えることができる。

死者を想い、心中に死者を蔵することによって、幽明隔てる垣根を、取り払うことができる。

To live in hearts we leave behind, is not to die. 
死後にどれだけ「生き残る」かが、勝負。

私はそう思っている。





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中島敦『李陵』の中で、後藤徹さんを思わせるフレーズ

2025年02月24日 | 言葉
私が毎朝の朝焼けのランニングの時に聴いているAudibleの『李陵』。

無人島に1冊だけ持っていくなら、聖書でもなく、論語でもなく、この『李陵』。それくらい好き。

以下のフレーズが、この李陵のクライマックスと思われるのですが、ここを聴くたび、私はいつも12.5年監禁された後藤徹さんのことを想っている。

~~~以下引用~~~

想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもこれから死に至るまでの長い間を)平然と笑殺していかせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄まじくも壮大なものと言わねばならぬ。 

飢餓も寒苦も孤独の苦しみも、祖国の冷淡も、己の苦節がついに何人(なんぴと)にも知られないだろうというほとんど確定的な事実も、この男にとって、平生の節義を改めなければならぬほどのやむを得ぬ事情ではないのだ。

 ~~~引用終わり~~~

これを後藤徹さんに当てはめると:

想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもいつまでも続くか分からぬ長い間を)平然と笑殺していかせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄まじくも壮大なものと言わねばならぬ。 

飢餓も寒苦も孤独の苦しみも、家族の冷淡も、己の苦節がついに何人にも知られぬかもしれないというほとんど絶望的な事実も、この男にとって、平生の信仰を改めなければならぬほどのやむを得ぬ事情ではないのだ。

____________

「蘇武持節」ってのは中国では四字熟語的になっている。こちら

『李陵』を愛して30年になりますが、「持節」とか「節を持す」って言葉は、蘇武の故事から生まれた、ってことを、本日初めて知った、、、
 

 ※ 「節義」の「節」までが蘇武由来かは今日のところは未確認

蘇武が胡地で節を持していたのは19年。伝説の19年。19年も祖国漢を思い、使者の証である「節」を持していた。だから「蘇武持節」が故事になった。

後藤さんが信仰を持ち堪えたのは12.5年。「後藤持節」ならぬ「後藤持信」(信仰を持つ)も四字熟語になっていい。

後藤徹さんに敗訴した鈴木エイト氏や拉致監禁に深く関与してしらばっくれていらっしゃる紀藤正樹弁護士にも、この中島敦の名作『李陵』を読んでいただきたいものである。

 
 後記:リンク貼れませんが、日蓮聖人もこの蘇武の逸話を引用している文献が8個もある。日蓮も蘇武好きだったか、、
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ガンディと聖と俗

2025年02月24日 | 宗教
【執筆原稿より抜粋】

ガンディと聖と俗

マハトマ・ガンディ

渋沢栄一『論語と算盤』の文脈で挙げたい国際人が、インドのガンディです。

本書のテーマである「正しさと美しさ」の文脈では欠かせない人物です。世俗・物質の反対概念である、精神・宗教性を極めた人でした。だからマハトマ(聖者)と渾名されました。

ガンディは弁護士出身ですが、社会を変えるためにはまず自分を変えねばならぬと考え、欲望を極限まで抑えることに挑戦しました。その自分の禁欲的な姿が説得力を持つと信じていました。

具体的には、食欲、性欲、睡眠欲、所有欲を極限まで削りました。

まず、食欲を抑え、あの痩せぎすの姿になりました。

次に、37歳で妻との性交を絶ち、晩年には自分の性欲が失くなったことを試すために若い女性と同衾して寝るという変な実験をしています。そのためガンディをロリコン呼ばわりする人もいます。

また、睡眠時間も極限まで削り、朝2時ころに起きて10キロの散歩をすることを日課にしていました。

さらには、所有欲も削ぎ落とし、死後に残したのはメガネ・杖・時計・食器(木製お椀とスプーン2本)・服(着る綿布2枚とサンダル2足)以外は3冊の聖典のみでした。文字どおり、無所有・無一文で死んだのです。

ちなみに、無一文・無所有で死んだのは足尾鉱毒事件の田中正造と同じで、田中の場合は小石3つとマタイ伝のみでした。

「7つの社会的罪」

このガンディはヒンズー教徒ですが、ヒンズー以外にもいろいろな宗教を学び、7つの社会的罪(Seven Social Sins)を唱えました。

  1. 理念なき政治
  2. 労働なき富
  3. 良心なき快楽 
  4. 人格なき学識 
  5. 道徳なき商業
  6. 人間性なき科学
  7. 献身なき信仰

この7つの「罪」はいずれも良くないものとして納得できますが、2つ目の「労働なき富」が渋沢の唱えた商業道徳と似ています。

現代的な価値観からすると、「労働しないで儲ける」ことはむしろラクでコスパも良く素晴らしいことと受け入れられがちです。

不労所得を得て早く仕事を辞めるFIRE(Financial Independent, Retire Early)が勝ち組だよと考えている方も多いでしょう。

しかしガンディはそれを「社会的な罪」だと言うのです。少し掘り下げてみましょう。

「労働なき富」は、「少なく働いて多く稼ぐ」(More with less)ことです。効率的にラクして儲けることです。世俗的・物質的な価値観では「正しい」です。

一方、その反対の「多く働いて少なく稼ぐ」(Less with more)という精神的・宗教的価値観もあります。

ボランティアや修行僧やマザー・テレサがイメージできます。彼女は「貧しいことは美しいこと」「所有すればするほど、捕らわれてしまう。少なく所有すれば、より自由でいられる」と言っています。

イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんも「大きな努力で小さな成果を生みなさい」と説いています。

この対比を表にすると冒頭画像(以下で再掲)のようになります。



世俗的な「正しさ」は、ラクして儲けること。でもそれは宗教的な価値観からすると「醜い」。

一方、宗教的な「美しさ」は、犠牲になる辛い道。それは世俗的な価値観からすると「誤り」。

「世俗的には誤りであることが美しい」と言うと違和感を感じるでしょうが、例えば、三浦綾子『塩狩峠』の主人公が良い例です。

この主人公は他者の犠牲になって死にます。その犠牲的精神に美しさを感じますが、資本主義社会における世俗的・金銭的価値観からすると「誤り」といえます。

聖と俗

この物資(世俗)と精神(宗教)との対比は、有史以来繰り広げられてきた聖と俗の問題です。かつては政教一致でしたが今は政教分離になりました。

しかし、アメリカ大統領の就任宣誓で聖書に手を置くように、政教は完全に分離されていません。どうバランスを取ればいいのでしょうか。

私の卑近な例で言えば、私も常に聖と俗の間で揺れています。

私は弁護士事務所の代表として、組織維持のために売上を上げる必要があります。そうでなければスタッフとその家族に迷惑がかかります。ですから私はお金が欲しい俗物です。

とはいえ、ガンディや田中正造の心の美しさに惹かれているため、できるだけ安価な法律サービスを提供してクライアントに喜んでもらいたい。

具体的には、本来なら20万円の仕事に25万円の請求書を送るのは、良心が許しません。とはいえ、胸を張って20万円もらえるのに15万円しかもらわないと、経営が圧迫され、スタッフのボーナスに皺寄せが行きます。

このように、私は常に「たくさん儲ける」と「少なく儲ける」の間で揺れています。

人間は私のように常に揺れているものだと思います。

我利我利亡者に見える人でも1%くらいは自分のアコギさに良心の呵責を感じている。

一方、ガンディや修行僧のような聖者でも名利を求める下卑た心は1%くらいはある。品性と修練によってそれを表現していないにすぎません。

このように、人間はみんな聖と俗の中間をふらふら行ったり来たりしているのです。人間みんなちょぼちょぼなのです。完全な聖者も、完全な悪人もいません。

自分の心の中で常に聖と俗が戦っている。そういう自覚をもつバランス感覚が、論語で孔子が言う「中庸」なのだと思います。 

本書では、この聖と俗、物質と精神、哲学用語で形而下と形而上と言いますが、この両者を「正しさ」と「美しさ」という言葉・切り口で対比しています。

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内村鑑三と文鮮明は同じことを考えていた

2025年02月24日 | 宗教
若松英輔の『内村鑑三 悲しみの使徒』を読んでいる。たぶん再読。

再読のはずだけど新しい発見がすごく多い。

内村鑑三の再臨運動(1918〜)の若松さんの解釈が、さすがに内省的というか深奥に迫るというか。



他者の痛みを「私」の痛みとする。

それが内村鑑三にとってのキリスト教の道だった。

それどころではない。

さらに踏み込んだ解釈を若松さんはしている。

内村鑑三は、宗教をなくそうとして再臨運動をしていた。

内村の使命は、この世から宗教をなくすことであった。




これって、文鮮明と同じじゃないか、、、

内村や文の他に、「宗教をなくそう」と思っていた宗教家っているんでしょうか。

寡聞にして知らない。

どなたかご存知であれば、教えてください。




家庭連合の教義の詳細はよく知りませんが、「内村鑑三の唱えた再臨運動」そのものをごっそり教義化して取り入れたのが家庭連合とも言えそう。

 ※ 文の生年(1920)が内村再臨運動の直後だという事実から、内村の再臨運動を高く評価する家庭連合信者がいらっしゃることも知っています。



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水泳(クロール)も外旋→内旋

2025年02月23日 | 食・健康・カラダ
腕の「外旋→内旋」は、すべてのスポーツに共通。

次男に水泳を教えていて、あ、水泳も「外旋→内旋」なんだね、って思った。

この「すべてのスポーツで外旋→内旋」をこのブログで確認しようと思ったら、3年前に

 水泳も外旋→内旋だ

って書いていた、、、 こちら

3年経ってすっかり忘れてました。

こうやって、何でもこのブログに記載していると、人間の記憶力の限界(要するに自分の記憶力のなさ)を痛いほど知らしめてくれる。

これもブログの功といえる。

書くことにより、書き残すことにより、謙虚になる効果があります。



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森永卓郎さんの効率的な受験勉強

2025年02月23日 | 教育・子育て
次男の受験が終わって横浜の実家に挨拶に。

実家では産経新聞を購読しており、2月12日の産経新聞に、先日亡くなった森永卓郎さんのいい記事が。

■ 小学校の時、通知表は1か2だったけど、卒業間際に理科が「5」に。

 んなわけないと思って先生に正直に訊いたら、

 「もうすぐ卒業でしょう。あなたに一度5を見せてあげたかった」

 と理科の先生が。

 それで森永少年は嬉しくなって、中学生から勉強を始め、いずれ東大に。

■ 超効率的な大学受験勉強。

 模試を受けまくって、間違えた問題ばかりを勉強する。

 だから東大入学後に徳川家康も知らなかった。東大模試に徳川家康は出ないから(笑)
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ガンディの禁欲

2025年02月23日 | 人物
執筆原稿から抜粋

____________

本書のテーマである「正しさと美しさ」の文脈ではインドのガンディは欠かせない人物です。

ガンディは弁護士出身ですが、社会を変えるためには自分を変えねばならぬと考え、欲望を極限まで抑えることに挑戦しました。その自分の禁欲的な姿が説得力を持つと信じていました。

具体的には、食欲、性欲、睡眠欲、所有欲を極限まで削りました。

◆ 食欲を抑えてあの痩せぎすの姿になりました。

◆ 37歳で妻との性交を絶ち、晩年には自分の性欲が失くなったことを試すために若い女性と同衾して寝るという変な実験をしています。

そのためガンディをロリコン呼ばわりする人もいます。

◆ 睡眠時間も極限まで削り、朝2時ころに起きて10キロの散歩をすることを日課にしていました。

◆ 所有欲も削ぎ落とし、死後に残したのはメガネ・杖・時計・食器(木製お椀とスプーン2本)・服(着る綿布2枚とサンダル2足)以外は3冊の聖典のみでした。

文字どおり、無所有・無一文で死んだのです(ちなみにこれは足尾鉱毒事件の田中正造そっくりです)。

~~~引用終わり~~~

私もガンディのように無所有無一文で死のうかなぁ。日暮れて道遠し。


 
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渋沢栄一ってどんな人

2025年02月23日 | 人物
執筆中の原稿から抜粋:

渋沢栄一の『論語と算盤』から何を我々は学べるのでしょうか。

まずは2024年から発行された新紙幣の顔・渋沢栄一その人を振り返ってみましょう。

どんな人

渋沢栄一は、みずほ銀行、日本郵船、東京海上日動、その他名だたる日本の企業500社の創設に関わり、「日本資本主義の父」と言われています。

経営学者P.ドラッカーも渋沢栄一を激賞し、「経営の『社会的責任』について論じた人物の中で、渋沢栄一の右に出る者を知らない」とまで言っています(『マネジメント』、1978年)。

慈善家としても知られ、600の公益事業に関わりました。最晩年には国際平和に尽力し、2度もノーベル平和賞の候補になりました。

渋沢栄一は自己顕示欲が強かったのか、韓国併合時に一度お札の顔になりました。ですからお札になるのは今回で二度目です。

人物像

渋沢栄一の生まれは高杉晋作の1年後、伊藤博文の1年前です。幕末の志士の中のやや若手世代です。

一万円札の渋沢栄一の肖像は、解像度が低いせいか老けたお猿さんっぽく見えますが、若い頃の彼はとてもハンサムでした。

甥で養子にした渋沢平九郎が「最もイケメンの幕末の志士」と言われています。

平九郎の苦み渋った眼光は「男でも惚れる」凄みを持っていますので、検索してご覧になってください。

平九郎は戊辰戦争で渋沢の代りになるように戦死しました。渋沢栄一はフランス留学中で戊辰戦争を経験していません。

渋沢栄一の従兄・渋沢成一郎は、上野戦争で知られる彰義隊の隊長でした。目黒の八芳園を造り、その美しい日本庭園は今でも国賓級の要人との会食で利用されます。

渋沢の身長は153センチであり、当時でもやや短躯でした。山椒は小粒でもピリリと辛いのです。

生まれ育った埼玉の深谷と、晩年に住んだ東京北区の王子に渋沢栄一の記念館があります。史跡巡りをするにはまずはこれらがお勧めです。

玄孫の澁澤健さんが、サステイナブルな金融業の展開を通じて渋沢栄一の遺志を継いでいます。

士農工商すべてを経験

渋沢栄一の人生の最大の特徴は、「士農工商」を全部経験したことです。

渋沢は、大きな家に住む豪農として生まれ、生家で青色の原料になる藍を工夫して製造し、「農」と「工」を経験しました。

1863年、攘夷のための「横浜居留地焼き討ち」を実現直前まで計画するなど、テロを厭わぬ血の滾った志士でした。幕末に最後の将軍・一橋慶喜の家臣になり、正式に武「士」になりました。

その後フランスに留学し、明治初年の帰国後に大蔵省に勤めて官僚になりましたが、明治4年に辞めて実業家になり、「商」人になりました。

このように、士農工商を全部経験したからこそ、人情の機微に通じ、多様な人を巻き込む人間力を身に付けました。

欧州留学

渋沢を渋沢たらしめたのは、欧州経験でしょう。戊辰戦争の直前、27歳のときに2年弱、フランスなど6か国に留学し、最も初期に欧州留学をした日本人の1人となりました。行くときは和服に丁髷でしたが、帰国時には洋装洋髪です。

留学の数年前には攘夷を叫ぶ志士でしたが、帰国時に惚れたフランス女性を連れて帰ろうとして振られるなど、下半身にはだらしないところがあり、これは死ぬまで治りませんでした。

建白魔

渋沢栄一にはバイタリティがあり、若い頃は3日間徹夜をしても平気でした。

欧州経験のある渋沢には明治政府の頑迷固陋さが歯がゆかったのでしょう、大蔵省時代には2週間に1本の建白書を提出し、「建白魔」の異名をとりました。

最晩年には世界平和のために何度も渡米しました。飛行機ではなく船で行くため何日もかかるでしょうが、4回目の最後の訪米時は81歳でした。

大正時代の81歳は、今の100歳に相当するのではないでしょうか。92歳で大往生を遂げました。

徳川慶喜への忠誠

渋沢は、20代で数年仕えただけの最後の将軍・徳川慶喜を生涯尊敬し、忠誠を尽くしました。20年かけて徳川慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』を作ったほどです。

渋沢がなぜ慶喜に惚れこんだのかというと、慶喜が一切言い訳をしなかったからです。

毀誉褒貶の多い慶喜ですが、特に「戊辰戦争時に大阪城から逃げた」ことは、将軍の振る舞いとして今でも強く非難されています。

しかし、慶喜は一生、一切、弁解をしませんでした。逃亡の是非はともかく、何らの弁解をせずに生涯沈黙を守ったことは評価するに値します。

その武士道的人間性に感動した渋沢栄一は、自らが編纂した慶喜の伝記の中で、かつての主君を「大いなる犠牲的観念、偉大な精神がある、偉大なる人格だ」と手放しで礼賛しています。

沈黙を貫いて静かに余生を過ごした徳川慶喜を、渋沢は侍としてのロールモデルにしていました。

実業家になってからの渋沢栄一を悪く言う人がいないのも、慶喜由来の言い訳しない人格が寄与していたに違いありません。

ライバル・岩崎弥太郎

三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎と渋沢栄一はほぼ同世代です。

両者を比較して、「弥太郎は財閥を作ったけど、渋沢栄一は私利のために財閥を作らなかった」と渋沢を美化する向きもあります。

たしかにそういう側面もありますが、歴史的事実としては渋沢財閥は存在し、戦後にGHQから財閥指定も受けています。

渋沢が大財閥を作らなかったのは、子育てに失敗したからともいえます。

外では論語や商業道徳を説いていながら、私生活ではお妾さんと同居し、多くの婚外子がいました。

長男の篤二はそんな言行不一致の父親を見てグレた遊び人になり、渋沢から廃嫡されました。相続権の否定です。

当時の価値観に鑑みて女性関係に寛容になりたいものの、篤二廃嫡はやはり渋沢の汚点ではないでしょうか。

当時でも福沢諭吉のように一切女性問題を起こさない潔癖で理想的な家庭人もいました。

なお、「岩崎四代」として知られる三菱財閥の草創期のトップ(弥之助、弥太郎、小弥太、久弥)は、子育てと事業承継に成功しました。

子どもには貧乏させ、留学させ、そして財閥トップを50歳前後で次世代に譲ったのです。岩崎家は家庭教育で渋沢家に勝ったといえます。

渋沢が女性問題を起こさずに篤二が立派に育っていれば、渋沢財閥が三菱を凌いでいたかもしれません。
 
以上、渋沢栄一の人生について簡単に述べました。次は、『論語と算盤』についてです。

~~~引用終わり~~~

続きはおってまたシェア差し上げます!

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『論語と算盤』と『プロ倫』

2025年02月23日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
【執筆原稿から抜粋】

『古典から学ぶ経営の真髄』(仮題)って本を執筆中です。

執筆原稿から抜粋して皆様の知的興味の肴にいたします。

____________

マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

 『論語と算盤』に似ている本に、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下『プロ倫』)があります。

いずれも資本主義の勃興期に倫理や道徳を説いたという共通点があります。『プロ倫』は『論語と算盤』より10年前に刊行されましたが、渋沢がこの本から影響を受けたかは不明です。

『論語と算盤』との対比の文脈で『プロ倫』から学ぶべきは、プロテスタント、特にピューリタンの禁欲的な節制です。

マックス・ウェーバーは、キリスト教のうちラテン系に多いカトリックの国よりも、ゲルマン系に多いプロテスタントの国の方が経済発展していることに気がつきました。

そしてその理由を、プロテスタントの高度な倫理観に求めました。予定説で知られるカルヴァン派やピューリタンが職業を「天職」と考えて高度な倫理観を維持したため、資本主義の発展に寄与したというのです。

その高度な倫理観を維持している代表的な人物として、避雷針を発明する等の多彩な能力を発揮し、今でも100ドル紙幣の顔として尊敬されているアメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンが紹介されています。

世界的なベストセラー『フランクリン自伝』で、忍耐、勇気、節約などの13の徳目を表にして、今日はこれ、今週はこれというように、毎日1個ずつフランクリンが埋めて修養した工夫が書かれています。

読者の皆さんが、いわゆる発展途上国に足を運んだ経験があれば、この倫理観が経済発展に影響するという説明は腹落ちするのではないでしょうか。

発展途上国では、約束の時間や交通法規等の社会のルールが守られないことが多いです。法律が法律どおり施行されず、賄賂が横行しています。社会生活全般に合理性が浸透していない。

そのような国の経済レベルは低いです。渋沢が生きていた100年前の日本でも、似たようなものでした。

このような歴史的・国際的な視点で見ると、渋沢が『論語と算盤』で道徳を説いたことが、単に古臭い東洋の古典を復古的に持ち出してきたのではない、ということがお分かりいただけるでしょう。
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