狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

水底の石さへ照らす日を受けて 川の面さらず蜻蛉むれ飛ぶ

2014年09月18日 20時31分43秒 | 季節の御挨拶



 本日9月18日は、ティベリウスがローマ皇帝に即位した日で、クリュソポリスの戦いでローマ帝国の西の正帝コンスタンティヌス1世が東の正帝リキニウスを破って帝国全土の単独皇帝となった日で、スペイン王ジョゼフ・ボナパルトへの忠誠を拒否したスペイン植民地チリが植民地統治を行う政治委員会の設立を決議した日で、シーボルトが幕府禁制品の日本地図などを持ち出そうとしたことが船の座礁により発覚した日で、奉天付近の南満州鉄道線路上で爆発事件が起こった日で、日本で九・一八停止令「賃金統制令」・「価格等統制令」が公布されて賃金・物価が同日の水準で固定化された日で、朝日新聞がGHQから2日間の発行停止命令を受けた日で、日清食品が世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売した日で、韓国東海岸で座礁した北朝鮮の潜水艦が発見された日で、日本プロ野球史上初のストライキが行われた日です。

 本日の倉敷は晴れたり曇ったりしていましたよ。
 最高気温は二十五度。最低気温は十八度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 爽涼の秋となり、朝夕はめっきりとしのぎやすくなってまいりましたね。
 虫のすだく声に秋の風情を感じ、耳傾ける今日この頃でございます。

 皆様、つつがなくお過ごしでしょうか? 

 季節の変わり目です。
 風邪など召されませぬようお身体ご自愛下さいませ。
 爽やかな秋を過ごされますようお祈り申し上げます。

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『ハンナ・アーレント』

2014年09月18日 08時23分07秒 | 映画・ドラマに関する日記





 昨日の夜は、映画『ハンナ・アーレント』のDVDを観ていました。


 1960年。ナチスの戦犯で元親衛隊中佐・アドルフ・オットー・アイヒマンがイスラエル諜報特務庁によって逃亡先のアルゼンチンからイスラエルに連行される。
 彼は元ゲシュタポ・ユダヤ人課課長でヨーロッパ各地からユダヤ人をポーランドの絶滅収容所へ列車輸送する最高責任者として「人道に対する罪」や「ユダヤ人に対する犯罪」および「違法組織に所属していた犯罪」などの15の犯罪で起訴される。
 1961年。イスラエルのエルサレムでアイヒマンの裁判が始まる。
 1963年。傍聴席でアイヒマンの裁判に立ち会った哲学者のアーレントは、ニューヨーカー誌で『イエルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』を発表するのだが……。

 監督は、マルガレーテ・フォン・トロッタ。
 出演者は、バルバラ・スコヴァ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ、ウルリッヒ・ノエテン、ミヒャエル・デーゲン、ニコラス・ウッドソン、サーシャ・レイ、ヴィクトリア・トラウトマンスドルフ、クラウス・ポール、フリーデリーケ・ベヒト、ミーガン・ケイ、トム・レイク、ハーヴェイ・フリードマン、など。

 この映画は、ドイツ系ユダヤ人の哲学者であり政治理論家であったハンナ・アーレントについて『イエルサレムのアイヒマン』の論争に的を絞って描いています。



 多分、当時の多くの人が望んでいたのはアイヒマン=極悪人という図式だったのでしょう。
 何が何でもアイヒマンを極悪人に仕立て上げる。その邪魔をする者は悪である。そう考えてしまうほど復讐心や怒りが渦巻いていたのでしょう。

 それに対してハンナ・アーレントはまず裁判そのものの正当性に目を向けます。
 そしてアイヒマンという人物がどのような人物なのか先入観無しで判断しようとします。
 アイヒマン個人が巨大な悪とするなら、もしアイヒマンが存在しなかったら数百万の命が救われたのだろうか? 彼の悪とは何か? を見定めようとします。


 多くの人達が望んでいたものとハンナ・アーレントが発表したレポートにはギャップがあります。
 そのギャップが多くの人のハンナ・アーレントに対する批判の基となっています。

 アイヒマン=極悪人という図式を望んでいた人達は感情に囚われているのだけれども、そのことに自分では気が付きません。
 感情が先に立って思考停止状態になっています。そして彼ら・彼女らの思考停止状態は、思考状態であったが故に悪を為したアイヒマンと酷似しているのだけれども、彼ら・彼女らはそれが理解できないでいます。
 このあたりの描き方はすごく上手くて引き込まれました。


 私達も、否、わたくしも同じ過ちを犯しているのではないか? と不安になりましたよ。
 正しいと思っていることが本当に正しいのか?
 感情に囚われて何も見ていないのではないか?
 巨大なやりきれない出来事が起こった時に無意識にやるせなさや怒りをぶつける生贄を探していないか?
 槍玉に挙げられた人が血祭りされる姿に酔って本質的なものに目を瞑っていないか?
 思考停止状態に陥ってはいないか?

 それは気が付きにくいことなのだから、自戒しなくちゃ。



 色々と考えさせる映画でありました。
 お勧めです!

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