国分寺金堂ライトアップが、『素敵な夜のお寺を開放します』と市広報に載っていた。
10月28日(月)~31日(木) 18時〜21時
各種イベント 10月29日(火) フォークソング親交会
10ガツ30日(水) 邦楽コンサート
【いずれも19時〜20時】
国分寺まつり実行委員会(☎22-0996)
最終日(31日)に5時半ごろ着いた。裏の方にある駐車場に車を置いた。そこに咲いていたフヨウの花には驚いた。
色はマゼンダ色の大輪。見たこともないあでやかさ。今日は、ライトアップを見に来たのでした。
金堂(重要文化財)の西側を通り奥に進む。
金堂と大きな木が、夕日に染められ、キレイだった。
左側の木は、樹齢約800年の欅です。金堂・木々も染められています。
写真を、見ると、お地蔵さんが頭の方だけ!眩しくて お地蔵さんが、見えませんでした
今日(2019/11/04)、撮り直しに、行きました。

先ず、歩いて正面の周防国分寺の入り口の門まで戻りました。
ここで、周防国分寺の紹介をします

周防国分寺(すおうこくぶんじ)は、山口県防府市にある仏教寺院で、高野山真言宗の別格本山である。山号は浄瑠璃山。本尊は薬師如来。(Wikipediaより参考)
周防国分寺は多数の文化財を保存した極めて歴史的な価値の高い古刹である。北に多々良山を負い、南には防府市街を通して三田尻湾を望む景勝の地にそびえ立つ大伽羅は、創設当時の地にあり、国分寺の偉容をあらわしている。
当時は金光明四天王護国之寺または金光明寺など、色々な寺号があったが、後に浄瑠璃山国分寺と称せられるようになった。奈良時代の天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって、国家の鎮護と国民の景福を祈願するために国ごとに建立された由緒ある官寺の一つである。
本社が創設された奈良時代は、わが国律令制度の栄えた時で国分寺は宗教によって国家を統治する勅願所で、皇室との因縁が特別に深く、住昔の規模が壮大であったことは、その寺域の面積が六十一町歩余りにまたがり、七堂伽羅と二十五ケ寺の塔頭と末寺を擁していたことでもうかがえる。
後世、寺領の減少や維新後の寺院制度の変革などにより、その規模は縮小され、現在では往時の遺構遺跡と建造物の一部を残すのみになった。が、今なお仁王門をくぐると荘重な大金堂がある。ここには多数の国宝的仏像が安置されており、他の歴史的文化財と共に宗教上、学術上、学術上の一大宝庫をなしており、旧態を現存することにおいては、全国国分寺中、極めて稀である。本尊は創建当初丈六の釈迦如来であったが、奈良時代の終わり頃から平安初期には薬師如来に替わっている。
寺格は現在高野山真言宗に属する別格本山である。
本寺がこうして旧格を維持し、歴史の各時代にまたがる豊富な霊仏至宝を保存してきたことは、実に聖武天皇と聖徳と歴代天皇の信仰の賜であり、また周防国府の力や大内氏、毛利氏の歴代国主の崇仏保護が非常に厚かったからである。
多数ある寺宝の中で後奈良天皇宸筆般若心経及び金堂、並びに堂内の薬師如来、日光・月光菩薩立像、四天王立像及び持仏堂内の阿弥陀如来坐像など、八躯が国の重要文化財に指定され、国分寺旧境内は史跡に指定されている。
道路から、写真を撮りました。

左右に見えるのは、左右の塀の中から出ている楠です。樹齢約600年。

楼門の紹介です。


6時になったら、灯篭に火が付きます。


仁王門(県指定文化財)です。


今日、芙蓉の写真を撮ってきました。風が強くて( ^ω^)・・・

