出会いの話。Part3
一つ前の記事の続きです。
昨年、ヨーロッパ企画の永野さんや、後藤ひろひとさん、掟ポルシェさんに会った話を書いていたら話がどんどん発展し、最終的にへきれきとNegiccoが繋がってしまった!という話でした。
一つ前の記事では、音楽関係者の方々について熱く語ってしまったので、この記事では演劇関係者の方々について熱く語ろうと思う。
そもそも、最近は会いたい人に会ったら頑張って話しかけろ!をモットーに生きている俺ですが、この話の裏には一つの悲しい記憶が、と言ったら大袈裟だけど、すごくカッコ悪い思い出があります。
この話をする上で欠かす事の出来ない人物、それが大泉洋さんです。
昨日から、次から次へと意外な人物が登場するこのブログですが、ここにきてまさかの大泉洋さんの登場です。
と言うのも、実は俺は大泉洋さんに会ったことがあるのです。
あれはちょうど、大学3年、21歳の時のこと。
当時、農学部のある伊那市に住んでいた俺は、「ローメン屋うしお」というお店でアルバイトをしていました。
そのお店に取材に来たのが、北海道のローカル番組「おにぎりあたためますか」だったのです。
作製しているのは、「水曜どうでしょう」でお馴染みのHTB、出演者はTEAM NACSの大泉洋さん、戸次重幸さんと、HTBの佐藤アナウンサー。
当時、TEAM NACSのことは名前くらいしか知らなかったし、だからシゲさんのこともよく知らなかったし、「おにぎりあたためますか」なんて番組のことはもちろん知らなかったんですけど、それでも大泉さんのことは好きだったんですよね。
だから、バイト先に大泉さんが来るって知った時は本当に嬉しかったし、絶対に会いに行こうと思ったのです。
その日は授業が午前中だけで、撮影は午後からだからちょうど行ける時間だったんですね。
で、いざローメン屋うしおの前に行ってみると・・・なんともう店の中では収録が始まってしまっていたではないか!
あちゃー、もっと早く来てれば何気なく潜り込めたのに、出遅れた!って思いました。
それで、さて、どうするか・・・となった訳です。
今思えば、あの番組なら撮影中にバイトの学生が店に入ってくるくらいの展開は余裕で許してくれたと思うんですよ。
今の俺なら絶対そうしたと思います。
でも当時の俺は、今よりはるかに人見知りで、全くそれが出来なかったのです。
結局、店の前で悩んでいるうちに収録が終わって、店から皆さんが出てきたところで挨拶に行くという微妙な展開に。
それで、握手だけしてもらったんですけど特に何も話せなかった、という何ともやり切れない思い出になってしまったのです。
俺が頑張って積極的に人と話そうと思うようになったのはそれからです。
多分、あれが無かったら演劇とかもやっていなかったんじゃないかなって気もします。
ちなみに、この話をおもケンにしたら喜んでいたんですけど、おもケンも大泉洋さんが大好きなので、いつか絶対再会できる!と言ってました。
そこで話したんですけど、大泉洋さんなら、いつか本当に会えた時に「何だ君あの時いたのかよー!話しかけてくれれば良かったのにー!」とか言ってくれるかも知れないですね!
一つ前の記事の続きです。
昨年、ヨーロッパ企画の永野さんや、後藤ひろひとさん、掟ポルシェさんに会った話を書いていたら話がどんどん発展し、最終的にへきれきとNegiccoが繋がってしまった!という話でした。
一つ前の記事では、音楽関係者の方々について熱く語ってしまったので、この記事では演劇関係者の方々について熱く語ろうと思う。
そもそも、最近は会いたい人に会ったら頑張って話しかけろ!をモットーに生きている俺ですが、この話の裏には一つの悲しい記憶が、と言ったら大袈裟だけど、すごくカッコ悪い思い出があります。
この話をする上で欠かす事の出来ない人物、それが大泉洋さんです。
昨日から、次から次へと意外な人物が登場するこのブログですが、ここにきてまさかの大泉洋さんの登場です。
と言うのも、実は俺は大泉洋さんに会ったことがあるのです。
あれはちょうど、大学3年、21歳の時のこと。
当時、農学部のある伊那市に住んでいた俺は、「ローメン屋うしお」というお店でアルバイトをしていました。
そのお店に取材に来たのが、北海道のローカル番組「おにぎりあたためますか」だったのです。
作製しているのは、「水曜どうでしょう」でお馴染みのHTB、出演者はTEAM NACSの大泉洋さん、戸次重幸さんと、HTBの佐藤アナウンサー。
当時、TEAM NACSのことは名前くらいしか知らなかったし、だからシゲさんのこともよく知らなかったし、「おにぎりあたためますか」なんて番組のことはもちろん知らなかったんですけど、それでも大泉さんのことは好きだったんですよね。
だから、バイト先に大泉さんが来るって知った時は本当に嬉しかったし、絶対に会いに行こうと思ったのです。
その日は授業が午前中だけで、撮影は午後からだからちょうど行ける時間だったんですね。
で、いざローメン屋うしおの前に行ってみると・・・なんともう店の中では収録が始まってしまっていたではないか!
あちゃー、もっと早く来てれば何気なく潜り込めたのに、出遅れた!って思いました。
それで、さて、どうするか・・・となった訳です。
今思えば、あの番組なら撮影中にバイトの学生が店に入ってくるくらいの展開は余裕で許してくれたと思うんですよ。
今の俺なら絶対そうしたと思います。
でも当時の俺は、今よりはるかに人見知りで、全くそれが出来なかったのです。
結局、店の前で悩んでいるうちに収録が終わって、店から皆さんが出てきたところで挨拶に行くという微妙な展開に。
それで、握手だけしてもらったんですけど特に何も話せなかった、という何ともやり切れない思い出になってしまったのです。
俺が頑張って積極的に人と話そうと思うようになったのはそれからです。
多分、あれが無かったら演劇とかもやっていなかったんじゃないかなって気もします。
ちなみに、この話をおもケンにしたら喜んでいたんですけど、おもケンも大泉洋さんが大好きなので、いつか絶対再会できる!と言ってました。
そこで話したんですけど、大泉洋さんなら、いつか本当に会えた時に「何だ君あの時いたのかよー!話しかけてくれれば良かったのにー!」とか言ってくれるかも知れないですね!
テレビというメディアの作り出したキャラでしかないかもしれないが、好漢だったよ。
(ちなみに前の方に座っていた俺は結構喋ったのだが、俺の出演シーンは全カットだった。)
素の櫻井くんがどういう人なのかは知らないけれど、テレビで見る限りでは真面目で一生懸命な人ってイメージだな、俺も。
たまに、実際に会うとガッカリしちゃうような芸能人もいるって言うけど、そうか櫻井くんは生で見ても好漢だったか、それは嬉しい話だ。
でも、カットされちゃう悲しさって分かるなあ。
たまにテレビが街中のイベントとかを取材しているのに居合わせることがあるけど、そうすると俺やおもケンはBLUESのチラシを持ってさりげなくカメラに写る場所に行く。