ままごと「あゆみ」の話。
4/25(水)に、新潟のりゅーとぴあで、ままごとの「あゆみ」というお芝居を観て来ました。
僕は3月にままごと主催の柴さんのWSに出ていた事もあり、非常に楽しみにしていました。
で、会場に入ってびっくりしたのが、なんと客席が一番大きいホール・・・のステージ上!
幕を下ろしたステージ上に向い合せで客席を作り、客席に挟まれた四角い空間がアクティングエリアでした。
特に舞台装置らしきものはありませんでした。
で、そこに8人の女性が登場。
特に目立った衣装を着ている感じではなく、みんな同じ白い服(だっけ?)を着ていました。
舞台上で演技というよりは、暫くみんな普通のおしゃべりをしている。
本当に、役者と言うより、普通の女の子が立ち話をしているだけと言う感じ。
なんだか不思議な始まり方だなあ・・・とか思っていると、変化は唐突に現れる!
突然、8人の女の子が声を揃えて、一つの長い台詞を口から発し始める。
それは、音楽のようにリズムに乗って、途切れることなく会場に流れる。
時に8人が手を繋いで円になって踊りながら、時にそれぞれが向かい合いながら、時に全員で全然違う方向を見ながら。
またある時は誰か一人だけの台詞になったり、再び全員の台詞になったりしながら、途切れることなく続く。
それはまるで一人の女性が自分の中にいる何人もの自分と話しているような、過去と未来の自分と話しているような不思議な感覚。
その不思議な感覚に、開始数分で一気に引き込まれます。
この現代劇とミュージカルの融合というか、演劇と音楽の融合と言うか、これぞまさに、柴さんの得意技って感じ。
圧倒的なクオリティの言葉の掛け合いに、すでに感動していた俺です。
で、本編が始まる。
これだけ不思議な始まり方をして、一体8人のうち誰が主役なのかが気になるところですが・・・
結論から言うと、8人全員が主役を演じます。
ここに、このお芝居の画期的な部分がある。
例えば物語の最初の方の部分。
買い物帰りの母と、幼い娘「あみ」が歩いてくるシーン。
舞台の左から右へ(向こう側の席の人にとっては右から左だけど)、親子が歩いてきます。
二人は何気ない会話をしながら、そのまま舞台の端へ消える(消えると言っても、舞台の一番端の照明の当たらないところに立っているだけ)
と思いきや、今度は違う二人の役者が、先程親子が登場したところ(俺から見て左端ね)から歩いてくる。
この二人が、先程の親子と全く同じ親子という設定。
正確にはこの二人は、先ほど舞台の端に消えた"直後の"親子。
だから、先ほどの会話の続きをしながら登場します。
で、これを次から次へと役者が変わりながら延々と繰り返す。
これが、役者が入れ替わりながら、歩き続ける親子のシーンを確実に表現しているのです。
この、全員が主人公を演じていいっていうルールがあるために、表現がすごく自由になっている。
というのも、舞台のこっちにいた人が、一瞬であっちに現れる、ということも可能になる。
そして、それは空間の使い方の可能性もすごく広がっている。
限られた舞台の空間の中で、物理的には有り得ない道のりを歩き続ける表現を見せることが出来る。
(うーん、言ってること伝わってるかなあ・・・)
要するに、一人の女性の人生を代わる代わる8人の女性が演じる物語ですこれは。
8人全員の「はじめのいーっぽ!」の掛け声とともに、初めて女の子が立って歩いた!というシーンから始まったこの物語。
お母さんに欲しい靴をねだる幼い頃の話から、小学校の下校のシーン、高校で憧れの先輩との出会い、大学に通うために母と上京、就職先で出会った後輩との初めてのデート、そして結婚・・・と、主人公の女性の人生を次から次へと表現していく。
ここまでのシーンで、良かったと思ったのが照明の使い方。
一番最初の「はじめの一歩」のシーンでは、女の子の頭上から一つのスポットライトが落ちてるだけなんですね。
でも、その直後の母と二人で買い物をするシーンでは、暗い空間に、親子が歩く場所だけが、一本の道のように細長く照明で照らされている。
小学校の通学路のシーンではその、道が丁字路のように三つに分かれ、次のシーンでは十字路のように四つに分かれ・・・
という風に、少しずつ照明に照らされる空間が増えて行って、最終的に舞台全体が明るくなる。
これがまるで、少しずつ選択肢というか可能性が増えていく彼女の人生を表現しているようで、とても良かったです。
で、暫く見ていると、再び照明は一本の道のような照明になる。
これは最初の親子が買い物をしていた時と全く同じではないか・・・
と思っていると、物語の最初で観たのと全く同じような会話をしながら親子が歩いて来るのですが・・・
この親子というのがですね、母になった主人公「あみ」とその娘「あゆみ」なんです。
分かりますか、最初のシーンでは、主人公は幼い女の子だったんです。
娘から母への変化をこのような形で表現するこのシーン、いわばこの物語の起承転結の転に当たる部分だったと思います。
その後は、母となった主人公の女性の物語となって行きます。
かつて母から言われたのと似たような言葉を娘に投げかけるシーンという、遊び心も。
それにしても、柴さんの台本の面白いところは、それぞれの人生のステージで演じる場面の選択の仕方。
例えば結婚のシーンでは、プロポーズや結婚式のシーンではなく、二人の残業中の会話、同棲中に喧嘩して仲直りするシーンなど。
それは見ていると、「あれ?いつの間に付き合ってたの?同棲してたの?結婚してたの?」という感じで、ちょっと意外にも思える。
また、父が急変して娘と新幹線で故郷に向かう途中、新幹線の中で父の死を聞くシーン。
ここでも、死んだ父に向き合う病因のシーンや、葬式のシーンは描かれない。
新幹線の中で泣き出してしまった主人公と、娘の会話を、じっくりと見せる。
こういう部分に人間の人生の面白さを見出すあたりが、本当に柴さんらしいと思います。
その後、物語では、冒頭であったような、役者達の掛け合いのシーンが再び始まる。
「そっちはどう?」「こっちは楽しいよ」みたいな感じで。
これは、同じ人間だけど、「あの時ああしていたら」の先に生きている自分達と、今の自分が会話している感じでした。
で、ここから「あの時ああしていたら」の回想シーンが始まる。
そこで登場する「あの時ああしていたら」のシーンも、違う学校に行っていたらとか、違う仕事についていたら、とかじゃない。
例えば小学校で仲良かった友達と喧嘩してしまった事をちゃんと謝れていたらとか、高校の卒業式に先輩にちゃんと好きだって言えていたらとか、そういう部分ばかり登場する。
多分、あの時友達に謝っていても、先輩に告白して(そして振られて)いても、この主人公の人生に大きな変化はない。(ように見える)
でも、何か自分の中では大きなもの、自分しか分からないすごく大事なもの。
これを見ると「ああ、分かる」って思っちゃうんです。
人生にとって大事なことって、案外そういう些細な出来事かもしれない訳です。
で、これを見ると思い出すのは、演劇WSで柴さんがやっていたこと。
例えば自己紹介の時に、年齢や職業より「あなたが人生で一番長く続けていることは?」だったり、
住んでいる街の説明をさせる時に、住所とかよりも「あなたにとって、その街で何があるか?」にスポット当てていたのと似ている。
事実をただ見せるのではなく、その人にとってその出来事はどういう意味を持っているのか?に注目するセンス。
だからこそ、普通の女性の一生なのに、ものすごくドラマティックで魅力的なものに見えてしまう。
ここらへんが、柴さんのすごいとこなんだろうなあ。
長くなったから続く。
4/25(水)に、新潟のりゅーとぴあで、ままごとの「あゆみ」というお芝居を観て来ました。
僕は3月にままごと主催の柴さんのWSに出ていた事もあり、非常に楽しみにしていました。
で、会場に入ってびっくりしたのが、なんと客席が一番大きいホール・・・のステージ上!
幕を下ろしたステージ上に向い合せで客席を作り、客席に挟まれた四角い空間がアクティングエリアでした。
特に舞台装置らしきものはありませんでした。
で、そこに8人の女性が登場。
特に目立った衣装を着ている感じではなく、みんな同じ白い服(だっけ?)を着ていました。
舞台上で演技というよりは、暫くみんな普通のおしゃべりをしている。
本当に、役者と言うより、普通の女の子が立ち話をしているだけと言う感じ。
なんだか不思議な始まり方だなあ・・・とか思っていると、変化は唐突に現れる!
突然、8人の女の子が声を揃えて、一つの長い台詞を口から発し始める。
それは、音楽のようにリズムに乗って、途切れることなく会場に流れる。
時に8人が手を繋いで円になって踊りながら、時にそれぞれが向かい合いながら、時に全員で全然違う方向を見ながら。
またある時は誰か一人だけの台詞になったり、再び全員の台詞になったりしながら、途切れることなく続く。
それはまるで一人の女性が自分の中にいる何人もの自分と話しているような、過去と未来の自分と話しているような不思議な感覚。
その不思議な感覚に、開始数分で一気に引き込まれます。
この現代劇とミュージカルの融合というか、演劇と音楽の融合と言うか、これぞまさに、柴さんの得意技って感じ。
圧倒的なクオリティの言葉の掛け合いに、すでに感動していた俺です。
で、本編が始まる。
これだけ不思議な始まり方をして、一体8人のうち誰が主役なのかが気になるところですが・・・
結論から言うと、8人全員が主役を演じます。
ここに、このお芝居の画期的な部分がある。
例えば物語の最初の方の部分。
買い物帰りの母と、幼い娘「あみ」が歩いてくるシーン。
舞台の左から右へ(向こう側の席の人にとっては右から左だけど)、親子が歩いてきます。
二人は何気ない会話をしながら、そのまま舞台の端へ消える(消えると言っても、舞台の一番端の照明の当たらないところに立っているだけ)
と思いきや、今度は違う二人の役者が、先程親子が登場したところ(俺から見て左端ね)から歩いてくる。
この二人が、先程の親子と全く同じ親子という設定。
正確にはこの二人は、先ほど舞台の端に消えた"直後の"親子。
だから、先ほどの会話の続きをしながら登場します。
で、これを次から次へと役者が変わりながら延々と繰り返す。
これが、役者が入れ替わりながら、歩き続ける親子のシーンを確実に表現しているのです。
この、全員が主人公を演じていいっていうルールがあるために、表現がすごく自由になっている。
というのも、舞台のこっちにいた人が、一瞬であっちに現れる、ということも可能になる。
そして、それは空間の使い方の可能性もすごく広がっている。
限られた舞台の空間の中で、物理的には有り得ない道のりを歩き続ける表現を見せることが出来る。
(うーん、言ってること伝わってるかなあ・・・)
要するに、一人の女性の人生を代わる代わる8人の女性が演じる物語ですこれは。
8人全員の「はじめのいーっぽ!」の掛け声とともに、初めて女の子が立って歩いた!というシーンから始まったこの物語。
お母さんに欲しい靴をねだる幼い頃の話から、小学校の下校のシーン、高校で憧れの先輩との出会い、大学に通うために母と上京、就職先で出会った後輩との初めてのデート、そして結婚・・・と、主人公の女性の人生を次から次へと表現していく。
ここまでのシーンで、良かったと思ったのが照明の使い方。
一番最初の「はじめの一歩」のシーンでは、女の子の頭上から一つのスポットライトが落ちてるだけなんですね。
でも、その直後の母と二人で買い物をするシーンでは、暗い空間に、親子が歩く場所だけが、一本の道のように細長く照明で照らされている。
小学校の通学路のシーンではその、道が丁字路のように三つに分かれ、次のシーンでは十字路のように四つに分かれ・・・
という風に、少しずつ照明に照らされる空間が増えて行って、最終的に舞台全体が明るくなる。
これがまるで、少しずつ選択肢というか可能性が増えていく彼女の人生を表現しているようで、とても良かったです。
で、暫く見ていると、再び照明は一本の道のような照明になる。
これは最初の親子が買い物をしていた時と全く同じではないか・・・
と思っていると、物語の最初で観たのと全く同じような会話をしながら親子が歩いて来るのですが・・・
この親子というのがですね、母になった主人公「あみ」とその娘「あゆみ」なんです。
分かりますか、最初のシーンでは、主人公は幼い女の子だったんです。
娘から母への変化をこのような形で表現するこのシーン、いわばこの物語の起承転結の転に当たる部分だったと思います。
その後は、母となった主人公の女性の物語となって行きます。
かつて母から言われたのと似たような言葉を娘に投げかけるシーンという、遊び心も。
それにしても、柴さんの台本の面白いところは、それぞれの人生のステージで演じる場面の選択の仕方。
例えば結婚のシーンでは、プロポーズや結婚式のシーンではなく、二人の残業中の会話、同棲中に喧嘩して仲直りするシーンなど。
それは見ていると、「あれ?いつの間に付き合ってたの?同棲してたの?結婚してたの?」という感じで、ちょっと意外にも思える。
また、父が急変して娘と新幹線で故郷に向かう途中、新幹線の中で父の死を聞くシーン。
ここでも、死んだ父に向き合う病因のシーンや、葬式のシーンは描かれない。
新幹線の中で泣き出してしまった主人公と、娘の会話を、じっくりと見せる。
こういう部分に人間の人生の面白さを見出すあたりが、本当に柴さんらしいと思います。
その後、物語では、冒頭であったような、役者達の掛け合いのシーンが再び始まる。
「そっちはどう?」「こっちは楽しいよ」みたいな感じで。
これは、同じ人間だけど、「あの時ああしていたら」の先に生きている自分達と、今の自分が会話している感じでした。
で、ここから「あの時ああしていたら」の回想シーンが始まる。
そこで登場する「あの時ああしていたら」のシーンも、違う学校に行っていたらとか、違う仕事についていたら、とかじゃない。
例えば小学校で仲良かった友達と喧嘩してしまった事をちゃんと謝れていたらとか、高校の卒業式に先輩にちゃんと好きだって言えていたらとか、そういう部分ばかり登場する。
多分、あの時友達に謝っていても、先輩に告白して(そして振られて)いても、この主人公の人生に大きな変化はない。(ように見える)
でも、何か自分の中では大きなもの、自分しか分からないすごく大事なもの。
これを見ると「ああ、分かる」って思っちゃうんです。
人生にとって大事なことって、案外そういう些細な出来事かもしれない訳です。
で、これを見ると思い出すのは、演劇WSで柴さんがやっていたこと。
例えば自己紹介の時に、年齢や職業より「あなたが人生で一番長く続けていることは?」だったり、
住んでいる街の説明をさせる時に、住所とかよりも「あなたにとって、その街で何があるか?」にスポット当てていたのと似ている。
事実をただ見せるのではなく、その人にとってその出来事はどういう意味を持っているのか?に注目するセンス。
だからこそ、普通の女性の一生なのに、ものすごくドラマティックで魅力的なものに見えてしまう。
ここらへんが、柴さんのすごいとこなんだろうなあ。
長くなったから続く。