りゃ?刺身の上のかぶせものを取ってから撮影すべきでしたね、本日新年会の幕の内弁当。
今年はケーキセットも頼んでおきました。下段は会員さんからの差し入れで、タツノオトシゴの金太郎飴とおめでたい正月らしい菓子の詰め合わせ。ずらりと並んでた景品、撮るの忘れた、残念。
さて、毎年念頭にあたり会員さんに今年の目標を紙に書いてもらうのですが、偽らざるみんなの願いでもあるのでしょう、「健康」というのが多かったですね。
そんな中、一人の会員が「正」と書いて「正という漢字は一に止まる、で構成されています。がむしゃらに進まず一呼吸おいて何が正しいか見極めた上で、正しく生きて行きたいと思います。」という風なことを言ってたのですが、もひとつ釈然とせず帰宅してからちょっと調べてみたら、『正の字は一つところに止まれり 良き心にぞ止まる確かさ』というのがあって、もちろん前者の考え方が間違ってるというわけではないのですが、わたくしの胸には後者の言葉の方がストンと落ちました。
『良心という一に止まる』ということなんですね。
ただ、それよりも私がその会員さんの言葉を聞きながら、思ったことは(正しいとか正義とかの定義をどこに置くかで、アナタの正しいがワタシの正しいにはならないし、“正しく生きる”なんて胡散臭いというか眉唾物のような気がするなあ)でした。もちろん議論の場ではないので、口には出しませんでしたが、翻ってみれば目標というのは現在自分が出来てないことを掲げるものであろうから、それはそれでその人に必要なものなのかも知れません。
それから、他の会員さんの「日本語を(もっと深く)学びたい」というのもありまして「例えば、霏霏としての意味が分からなかったのです、分かりますか?」と聞かれました。さすがに、即、「雪や雨が絶え間なく 降るさま」ですよねと答えた教養高い会員さんが何人かいらっしゃいましたが、わたくしは知りませんでした。他にもいくつか、わたくしには初耳だった日本語の麗しい表現が挙げられてました。コチラはわたくしも倣いたいと思いましたが・・・。
あと、クイズで単位の呼び方などもあり、イカを「いっぱい」と呼ぶのは足を取って胴体で水を「一杯、二杯」と汲むところから来てるンですよなんて雑学も仕入れました。
わたくしの親友のYさんは徳新に載ってた「メビウスの帯」の実験小道具を揃えてクイズ形式でその不思議体験を楽しませてくれたりと今年も源氏の新年会は盛り上がりました。
まだまだレポートの種はあるのですが、今日はこの辺で。
明日は恒例の「グループに分かれて干支の動物お絵かき」でものした傑作をご紹介します。