明日から9月、もう秋ですね。花材も楽しみなものが増えてきます。写真は少し前にアピカで撮ったもの。花器もおもしろい。
布の色がシックでいいよなあ。
O師匠が所属している手芸教室の定期的な作品展、ふれあい健康館で月曜から昨日までの開催だったようだ。
連絡をくれたので最終日の昨日、昼休みに会社から車を走らせてさっと見せてもらってきた。
毎度思うけど私には無理っぽいものばかり。時間をかけてていねいに仕上げてある。
ラグビーボール型のお財布やお隣、たくさんのポケットがあったカードケース。
ミニタペストリーやマカロン型お財布、全ての作品、ほんとに色合いが最高。
わたくしもまたボチボチ布いじり始めます。
今、何が楽しみって日経新聞に連載されている浅田次郎の「黒書院の六兵衛」を読むこと。ほんとうに楽しみである。
徳島新聞連載、渡辺淳一の「愛ふたたび」にはがっかりだし、幸田 真音の「天佑なり」は読み進むにつれて読み辛さが増してきて、ほとんど斜め読みである。アレは経済小説になるんだろうか、少なくとも女性には人気薄とみるが・・・。
その点、「黒書院の六兵衛」はおいしい。
時は江戸城明け渡しの交渉のさなか、正体不明の的矢六兵衛という書院番(将軍の警護役のようなものらしい)の何者たるかを探りつつ、無血開城と言われた歴史のターニングポイントを突き進んでゆく。
ここな辺のお話しは今までもどこかで見たり聞いたりして珍しい題材ではないのだが、武家社会の階級制度や城内での行儀作法といった緻密な時代考証を基に、的矢六兵衛のなぞを明かすべく、きっちりと飽きさせない濃い筆運びが続いてゆくのである。
笑ってしまうが、最近、ここに登場する人物たちの古式ゆかしい“ものいい”をつい、頭の中でなぞって真似してしまいそうになるほどである。
そういえば、先日、広島土産をくれた友人もお気に入りで、“蔀を閉てい”=“しとみ を たてい” の「閉てい」に反応して思わずメモしたと言ってましたね。『徳島では「戸を閉っといて」っていうけど、これよ』ですと。
つい先日も“六兵衛の老母が深くも浅くもなくころあいの会釈をした”の後に“これも百姓町人にはありえぬ科(しな)である”という文章を目にしたが、こうした言葉の使い方が物語とあいまって全体の雰囲気を盛り上げてるんだな。
的矢六兵衛なる人物が、作者の生み出した架空の人物なのかどうかは知らないが、その筆致の解き明かすまま、どこまでも追いかけて正体を見極めたいと胸躍らせてしまうのである。
余談だが、本日の日経の“春秋”に“獺祭=だっさい”のことが書かれている。
依然末っ子が土産に買って帰った酒の銘柄で、ここでもちょっと触れたが、この語源が
かわうそには捕まえた魚を食べる前に並べておく習性があって、これが祭りのお供えのように見えることから、というふうなことらしい。
かわうそが絶滅危惧種から絶滅種に変わったというニュースに応えてのコラムだが、もはや昔話にしか出てこないのかと思うとやはり悲しい気持ちになる。
写真は週明けにもらった社員の平泉土産。平泉って岩手県?世界遺産て中尊寺とか?ふ~ん。
以前にここでも紹介したことのある人気猫ブログの“でぶねこめんまさん”、今月一杯で『人気ブログランキング』から抜けることにしたそうで、非常に寂しい。
ランキングでは概ね二桁順位だったが、“めんまさん”のにゃん相がとても好みで、個人的には一番人気だったからだ。
ランキングに参加して常に更新し続けていくには、ファンの応援が励みになるだろうが、当然、責任やプレッシャーもついて回る。
ブログそのものは続けるようなので、そこから開放されて、自分のペースでのんびり更新していくのも悪くはないだろう。
もちろん私は“お気に入り”に登録して追っかけていくつもりだが、一方自分のブログにしても、アクセス数というのはひとつの励みになってるのは間違いない。
ただそれに引きずられないのが、ランキングに参加してないブロガーの気安いところ。
数値がグンと下がった日には「ふふふ」と笑っているが、かと言ってブログは更新こそ命と言うところがある。
たかがブログ、しかし“継続は力なり”はどこにでも当てはまりそうである。
何かを見つけて行ければいいなと思います。
写真が人形になってますけどね~、無理やり源氏物語の姫君に当てはめるとしたら、左が“紫上”、右が“六条御息所”。
無茶振り過ぎるか。
さて、結局パソコンに向かうのは夜になってしまうんですけどね。
軽く先月の源氏にも触れて、チャッチャッと書いてしまおう。
先月の源氏で印象に残ってるのが、御厠人(みかわようど)と言う便器の掃除婦までもが、源氏には何かと恩恵を受けていて辺境の地、須磨へ落ちて行く源氏の身を悲しんでいるというくだりがあったこと。
この頃は便所と言うものはなかったんですよね、部屋に便器を置かねばならない状況では、“香”の需要にはすごいものがあったんでしょうね。
もうひとつ、実は藤壺(この頃は入道ですが)との子である、次期天皇の東宮への挨拶の文を、桜の散り透きたる枝につけたという表現について。
この度の不遇の身にふさわしく、花びらの散ってしまった桜の枝という小道具で、ビジュアル的にもちゃんとコーディネイトしているというところに、紫式部という作家の細かな演出性を感じました。
そして、今月は自分のために人物の系譜確認をしときます。
いよいよ京都から難波、難波から須磨へと向かうんですが、大江殿というところで
「いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る波かな」と歌を口ずさむんですね。
これは源氏ではなく、在原業平の歌らしいんですが、これの後に引き歌として
「~藻塩垂れつつ侘ぶと答えよ」が出てくるんですが、この歌の作者が業平の兄の行平なんですね。
で、この兄弟の父君が阿保親王。天皇にならなかったので、親王。で息子たちは臣籍降下(しんせきこうか)して在原性を名乗ることになる。
なるほど、源氏のモデルが在原業平ではないかという説があるのが頷けます。
というところで、まだまだおさらいしたいことはたくさんあるのだけど、今日はこの辺にしときます。
夜はやっぱり目がダメなのじゃ。