一日ずれましたけど、恒例なので講義レポートします。
と言っても今回は時事にからませて、歴史的見地(いやいやもちろん、そんなりっぱなものではありません、頭がぼーッとして他の言い回しが思い浮かばないだけです)からお話いじって参ります。
源氏が亡くなった妻の両親宅を訪ねて帰ろうとした時に、大宮(妻、葵の上の母上)から、今は眠っている愛息夕霧が起きてからでもいいじゃないかと言われ次のように歌を詠むんですね。
「鳥部山もえし煙もまがふやとあまのしほやく浦みにぞゆく」
これは
(葵上を火葬にした時)鳥部山に燃えて立ち上がった煙にも、見違える程に似ている煙があるかと(もしあったならば、その似た煙で、葵上を追憶しようと思い)私は海士が塩を焼く煙を見るために、須磨の浦に参りまするよ
と言った感じの意味ですが、当然「浦みに」というのは「恨みに」が掛けられてます。
ここであら、と思い出したのが、今上天皇陛下の「土葬から火葬へ」発言。
この頃は火葬だったんですね。
で、調べてみると、室町時代中期以降、崩御した天皇は火葬されることが続いたが、承応3(1654)年の第110代・後光明天皇以降は土葬されている(皇族については火葬)ということらしいのですね。
塩を焼くというのも製塩がこの頃から行われていたということでしょうか、1000年前の物語から生活者の営みの片鱗を伺うことができるのは読書の役得のひとつですね。
この後で、「ただ今よく眠っております人(息子)に今朝また逢ってまいることは、私の旅の思い立ちを躊躇(ちゅうちょ)させることになるでございましょうから、冷酷であるでしょうがこのまままいります」とちゃんと返してます。
ただ変わらないのかなあと思ったのが、源氏が二条院に戻り、留守をしていた紫上に一泊を言い訳して
「あなたは何か疑って、くやしがっていませんでしたか」などとぬけぬけと言うところ。
男と女の埋まらない溝を感じます。男がスケベでなければ人類が滅びるなんて戯言、男の勝手な言い草でしかありません。
1000年経っても男と女の関係は変わらない部分があって、お互いに解かりえないからこそ、惹かれるのかもしれませんが。
お菓子は紅葉屋さんのおまんじゅうと(以前にわたくしも土産に貰った)友人のカナダ土産のメイプルクッキーでした。