作ることは、全て我々の生活に繋がり、有形のもの無形のものも含め、広い意味からの”作る”ことは私達の生活の中では、大切なことであり、作れなくなったら生活その物が成り立たなくなると言っても間違いではない。
作ることは、つまり生み出すことであり、人も物も、考えも生み出さないと増えてはいかない。
ただ、今の時代は自らが生み出す事をわすれ、生み出された物を使う側に廻っており、流行に乗り、ラベルを求め、本来の作り出す価値を忘れかけているようにも思える。
長年家づくりに携わっていると、それが良く分かり、物づくりの情熱が年々薄くなって来ているようにも思える。
多分、時代の流れの中で、出来上がった商品ばかりの中で、作る事を考えず、作られた物を自分の生活の中に当てはめる事を考える事が増え、作る情熱が徐々に薄らぎ、自分の個性も何処か大切に思わなくなってきているのだろう。
”おしきせ”と言う言葉があるが、 おしきせは、嬉しい言葉ではなく、また喜べる行為でもないが、それが一つの流行の中では”おしきせ”が流行となって受け入れられているのは驚きでもある。
メディアで、今年の流行をコマ-シャルで流し、それを見た消費者達は、まんまとその流行にはめられ、知らないところで”おしきせ”にはまってしまい、流行に火を付けてしまう。
赤い服を着て似合う人と、似合わない人が居るが、
どちらも、流行を追いかけ、似合わない人も、流行色を身につける事で満足する。
本人は、個性を表に出さない人だと言われているが、
作り出す意識が薄らいでいく中で、ますます個性が失われ、個人個人が持つ色が薄らぎ、日本色を作り出す事になってしまう。