テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

例え倫理や慣習法、成文法に反していても、有罪とするに足る証拠が無いこと

2012-11-12 23:22:33 | シロートの戯言
無罪の規定で云えば、記事タイトルの様になるのかもしれません。
ただ、一連の脅迫書き込みで逮捕、処分された無辜の人たちと、今日二審でも有罪とならなかった恐竜政治家とを、同様に無罪とすることに、さらには、東電OL殺人で服役、再審を経て無罪となった外国の人も、地検特捜の証拠改竄が発覚して無罪となった厚労キャリアのひとにも、ほぼ同じ違和感がある。

自己の中に、職業倫理、私人それぞれの立場(夫、妻その他)としての倫理、宗教上の倫理、いろんなものが、行動規範としてあるかと思うのですが、4億円というお金も、被害者のOLの死も、郵便法を悪用した結果(実際事件後、障害者団体の割引郵便が93%減ったとの事)も、きちんと残っている。
古くは、弾劾裁判を逃れるために当時の公職選挙法を悪用した法曹もいます。議員秘書給与という形で歳費をねこばばして、指南役の名を明かすことなく(つまりは、罪を悔いることなく)復帰し、離党してまで腐敗与党に擦り寄る人もいます。
独自の倫理観というか、足り無さ加減には、澱のような濁ったものを感じます。
もっとも、中には、ワタシなどの窺いようのない事情があった方もおられるのでしょうが、少なくとも、恥を知る人なら、残っている結果に対して、何らかの責を負うべきだと思います。
もちろん、上記のいくつかに関わった警察検察の有象無象ぶりは、更に深刻なことではあるのですが。