「水俣の漁師、杉本家の記憶より」と、副題が付いているように、
「チッソ」による水俣病に苦しんだ一家の話が中心になっている。
数十万人という被害者を出した水俣病は、34年もの間、無処理で流された有機水銀によるもので、公害病と認定されるまで、今のようにテレビ・ラジオなどのない時代、どんなことが起こったか・・・。
集落で最初に発病したのが杉本雄の義母であった。壮絶な差別といじめの中、「のさり」という不知火海のあたりの言葉のように生きた杉本家。
「のさり」とは、よいこともわるいことも、自分が求めなくても天から授かったものだという言葉で、この境地によって救われた一家の壮絶な日々の生活が書かれている
個人史として書かれているが、チッソ城下町といわれるほどで、税金も、半分はチッソと言う会社があるおかげという水俣であった。
杉本家の様子は、思わず涙がでてしまうほどのものだが、
福島第一原発のこととダブることが多く、汚染水もれの状況など、はっきりと調べて教えてほしいものだ。