輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

不愉快な朝日新聞のお詫び文

2014年09月18日 22時53分33秒 | ことば

謹啓

初秋の候、朝日新聞の読者のみなさまにおかれましてはご清栄のこととお喜び申し上げます。いつも朝日新聞をお読みいただいで、ありがとうございます。このたびは弊社の「慰安婦問題特集」「池上彰さんのコラム『新聞ななめ読み』」「福島第一原発事故に関する吉田調書の記事」をめぐる問題で、大変なご心配をおかけするとともに、紙面に対するみなさまの信頼を損ねる結果となり、ご迷惑をおかけいたしました。あらためて深くおわびいたします。申し訳ございませんでした。

 

 このたびの件を反省し、弊社は、「信頼回復と再生のための委員会」を立ち上げ、取材・報道上の問題点を早急に点検・検証し、紙面づくりにいかしてまいります。また、慰安婦報道につきましては社外の有識者による第三者委員会を新設して、過去の記事の作成や訂正に至る経緯、今回の特集記事の妥当性、朝日新聞の記事が国際社会に与えた影響などについて検証いたします。吉田調書につきましては、誤った記事がもたらした影響などについて、弊社の第三者機関である「報道と人権委員会」に審理をお願いしました。朝日新聞社外の目でも厳しくご審議をいただき、その結果は紙面でお知らせいたします。

 

朝日新聞社は、今回の一連の事態を大きな教訓として胸に刻みます。さまざまなご意見やご批判に謙虚に耳を傾け、初心に帰って、みなさまの信頼を回復できるように、全社一丸となって精進してまいります。どうか、弊紙と弊社の今後の取り組みを厳しく見守っていただけますよう、切にお願い申し上げます。

これからますます秋が深まります。どうかご自愛のうえお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。

謹白

 

 

俺たち読者は何を思う。

いまさらお詫び文を配布されても何を思う。

相手にしないことだと思う。

真実が掲載されていない新聞を読む義務は全くない。

朝日新聞を憎むが販売所を憎めない。

雨の日も風の日も雪の日も暑い日も休まず配達してくれる人を憎めない。

申し訳なくて「止める」とは言えないのが現実。

このような事態を起こした責任者はさっさと辞めてほしい。

 

 

輝ちゃんの9月18日 久しぶりに涙が

 

ミュージックポートレート 再放送を見た

http://www.nhk.or.jp/portrait/ 

仕事があるから早く寝ないといのだがついつい惹きこまれてしまった。とくに8曲目の震災のところで画面を見ているだけで涙がこぼれてきた。力を振り絞って復興に取り組まないと。なにも出来なかったら背中を押すだけでいいではないか。

 

8曲目<震災>
「Birthdayさだまさし
さだ「(東日本大震災後、笑福亭鶴瓶の願いにより、被災地で『Birthday』を歌った時、)まぁ、音楽って無力だと思ってたから、何の役にも立たないと思ったし、自分がもしも被災した立場だったら、歌い手が来て『歌います!』って言ったら、『うるせぇ』って言うと思ったのね、僕は。だからすごく怖かった、行くのが。で、行ったらね、みんな嬉しそうに笑ってくれるんだよな。何かくだらないこと言うと、げらげらって笑って、で何か歌うと、ふっと涙ぐんだりする人があるのを見ててね…
『ああ、俺にも居場所がある』って思ったな。ああ、そうか、さだまさしはこういうときのために有名になったんだなと思うし、避難所で歌っているときに生まれて初めて、ヒット曲っていうのはこういう時のためにあるんだと、『ヒットがなければだめだ。もっと欲しい!』って初めて思った。」

 

8曲目<震災>
「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ

箭内道彦「(東日本大震災が起きて、)すごく焦ったんですよね。何をしたら福島の人にこう心強いと思ってもらえるだろっていう。」
さだ「そういうときにこうエールっていうのは送るのも勇気がいるし、つい、頑張ってね、とか言っちゃうよね。頑張っている人に。頑張っている人に言っちゃいけないよね。」
箭内「だから僕らのこの歌は『好き』としか言ってないんですよね。もちろん原発のことも歌ってないし『頑張ろう』っても言ってないし。ただそれを福島の人たちに届けていく中で、忘れられないのが6月ごろなんですけど、福島に住んでいた女性の方と話をしたときに『この歌はちょっと辛いんです。』と。『この歌を聞くとずっとずっと福島で頑張らなきゃいけないと思ってしまうんだ。』って言われて。だから歌っていろんな届き方がするんだなってそのとき思ったんですね。『この歌ずっと歌ってください』って言ってくれる方もいれば、『もうあのころ思い出すから聞きたくない』っていう人もいるし、いろんな人にとっての、いろんな歌にこの曲がなっているんだなっていうのを感じましたね。」
さだ「それはもう歌の非常に重要な横顔だよね。」
箭内「福島でこれを歌ったときにね、若い人だけじゃないんですよ。こう、わーっと、それこそおじいちゃん、おばあちゃんもいれば、子どもたちもいて。」

 

朝のバス停で何となく周りを見渡すとススキが

 

 

 

寒くなった。夏スタイルともお別れか。

今日もお昼はお寿司屋さんでちょっと贅沢に鉄火丼。

蒟蒻閻魔の源覚寺で一息を。

お百度石のタテカンを見たら寛永五年夏と書いてある。

ペリーの来航のちょっと前ではないか。

思わず天を見上げた。秋空と白い雲。躍動感があるな。

夕方はいつものようにシビックセンター25階展望ラウンジへ。

1週間に2回訪れる小石川。この秋ちょっと寄り道してみよう。

 

      

      

 

LEOクンもいつものように

 

    


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