田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、カード収集、旅、日々のあれこれなど。

江川邸:伊豆の国市

2018年06月04日 | 古民家っていいなぁ。(県外)

6月1日、昼食後「江川邸」(伊豆の国市)に行って来ました。

江川邸は主屋を中心に、付属の書院、仏間、門、蔵、鎮守社及び境内地が国指定の重要文化財。

また、重要文化財を含む江川邸一帯は、韮山役所跡として国の史跡に指定されています。

主屋は桁行13間(約24m)・梁間(約18m)・軒高12mもある大規模なものです。
関ヶ原の戦いがあった1,600年前後に建てられたと推定されており、現在は茅葺屋根から銅板葺きに改修されています。

江川家36代の「江川英龍」はお台場・韮山反射炉を立案・建設するなど様々な偉業を成した人物です。

江川家は江戸時代のほぼ全期間、幕府直轄地であった伊豆を統治する徳川幕府の代官を世襲して勤めました。

表門(1,696年築)、三間一戸の薬医門

なんと約50坪もある主屋の土間

天井が張られていない為、屋根裏の小屋組みをそのまま見ることができます。

土間の北側中央にかまど、

東側には「生き柱」(ケヤキの木をそのまま柱として利用されたとされる柱)

台所

火棚

家紋(菊)の瓦

レトロな雰囲気がいいですね。

主屋の中から見た玄関

玄関を側面から

西蔵(肥料蔵)、正面から見ると将棋の駒のような形をしていることから「駒蔵」とも呼ばれる。

南米蔵、北米蔵

井戸

「パン祖の碑」。昭和28年に全国パン協会は英龍を「パンの祖」として顕彰

武器蔵

裏門

「ビランジュ(毘蘭樹)」。バラ科の常緑樹(別名:ばくちのき)。葉を煎じて咳止めや鎮静剤として利用。

「キササゲ」。ノウゼンカズラ科の落葉高木。マメ科の「ささげ」に似た細長い莢(さや)をつけ、実は利尿薬として利用。

この後、韮山反射炉へ




旧五十嵐歯科医院、志田邸など:静岡市(蒲原宿)

2018年05月16日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
5月13日(日)、静岡市清水区蒲原(JR東海道線新蒲原駅徒歩7分)にある「旧五十嵐歯科医院(旧五十嵐邸)」(H12年:国登録有形文化財)を訪れました。
午後から強雨で翌日仕事がある娘夫婦は帰宅しましたが、毎日が日曜日の我々夫婦はもう1泊沼津で宿泊して帰ることにし、蒲原宿に来ました。
「由比宿」には何度か来たことがありますが「蒲原宿」は初めて。

旧五十嵐邸は旧東海道蒲原宿の街道沿いにあり、大正期以前に町屋建築として建てられ、当主の故五十嵐準氏が東京歯科専門学校(現東京歯科大学)を卒業した大正3年(1914年)頃に歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。



その後、西側部分を増築、更に東側を増築し、一体的な洋館として改築。敷地面積は546㎡、延床面積355㎡

中庭から見た母屋。

四室が縦に並ぶ町家の間取り

1階の中の間に設置された金庫。入れ歯に使用する金などが保管されていたそうです。

富士と松原の欄間に花鳥風月が描かれた襖。



1階の通り土間を持つ純粋な町家。2階の診療室には洋風の階段を上がる。

2階の診療室。ガラス窓が多い構造で、採光・換気が良く、開放的な空間。床はリノリウムで和洋折衷の造り。

診察椅子

2階西側の座敷。特別な人の待合室に使用されていた部屋。

中庭には診療用の水を組み上げたポンプや池などがあります。

中庭。

2階から見た北側の中庭。蔵と赤いトタン屋根の建物(非公開)までが五十嵐家。更に奥に見えるのが東名高速道路。
ウナギの寝床のように奥行きがあります。

トイレの外壁「なまこ壁」と装飾が施された窓ガラス。今では作れる人がいないそうです。

御勝手(おかって)

かまど(へっつい)

五右衛門風呂・・・。洗出しの流し、氷を入れる冷蔵庫、網戸入りの食器棚などの装置もありました。

「志田邸」
志田邸は木造2階建、切妻造、平入で、西側の平屋部は昭和初期の増築。土間の戸口に大戸の痕跡、道路に面した開口部に蔀度を残し、蒲原宿の往時の佇まいを今に伝えています。

安政年間(1855年頃)に再建された元商家で、国登録有形文化財。屋号を「やま六」といい、しょう油・味噌・油などを扱っていました。

玄関横の部屋は「店の間」と呼ばれる「商いの部屋」で箱階段や火鉢などな備えられている。
今日まで電気を引いたことのない、安政建築そのままの部屋です。

「蔀戸(しとみど)」や店の間・中の間など商家の面影がよく残されています。
(蔀戸は風雨と陽を遮る戸で、上から3分の2は吊り、下3分の1は取り外す方式)

明治時代の五月飾り。中の間は一間半(一畳半)の縁なしの畳が使用されている。

昔のお膳、食器類など。

明治年間に増設された西側平屋の8畳の座敷。

醤油の醸造所の土壁。下は三和土(タタキ)、周囲は竹を芯にした土壁で囲み、外側は石積の防火構造となっています。

屋号の「やま六」の看板。この醤油工場は東海道の宿場内でほぼ当時のまま現存・公開されている唯一の工場と言われているそうです。
この日は、東京在住のオーナー(志田威さん)がちょうどいらっしゃって、展示物などを詳細に解説してくれました。
東海道は五十三次ではなく、実は五十七次だそうです。初めて知りました。

志田邸の後は、旧五十嵐歯科医院のガイドボランティアの方に紹介して頂いた蒲原の味処「よし川」で昼食。
この時間は土砂降りで往生しました。

定番の「桜海老としらすの紅白定食」、あーちゃんは「桜えびの黄金丼」を注文。

桜えびは由比の揚げ方と違うとのことで食べやすい物でした。(桜海老としらすが水揚げされたのは由比漁港です。)

和泉屋

江戸時代「和泉屋」の屋号で旅籠として使われていた国登録有形文化財。看板かけや2階の手すりは天保年間当時のままのもの。

右側のみ、「お休みどころ」として無料開放されています。

玄関を入ったところ。館内では織り・染め・銀細工・粘土クラフトなどの体験もできるそうです。

昔の排煙口?。現在はトップライト(明り取り)になっています。

この日は生憎の雨で寒い日でしたが「蒲原宿」を堪能することが出来ました。
これから「静岡県富士山世界遺産センター」へ向かいます。(別ページで後日紹介します)

宮本家:つくば市

2018年03月02日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
昨年の9月に友人たちとつくば市北条の「宮本家」を見学しました。

宮本家は筑波山南方にあり、醤油の醸造・販売を行っていた老舗で現存する建物8棟全てが国の登録有形文化財です。
敷地北側の街路に面して建つ店蔵は丁寧な漆喰塗で重量感のある土蔵造商家建築です。

店蔵南側にある一部2階建の居宅、大規模な台所の炊事場、店蔵東に塀で連結された薬医門形式の門など、大規模屋敷の構えをよくかたちづくっていいます。
離れは数奇屋風意匠の平屋建で、下屋庇を共有する新蔵と大蔵は、ともに丁寧な漆喰塗の2階建土蔵です。

宮本家の見世蔵は江戸末期の1,847年に建てられました。店内には商売道具をはじめ、行灯や手鏡などの生活用品も並んでいました。



江戸時代の「揚戸」









階段箪笥、長火鉢、半纏(はんてん)、大正時代のキャッシュレジスターなど

一番大きな蔵は江戸後期に建てられた穀物蔵。

通常の土蔵は、2間×3間という大きさですが、この穀物蔵は3間×5間(5.4m×9m)と一回り大きい造りになっています。

穀物蔵(米蔵)の中、ウイーン・ピアノ五重奏団の演奏が行われた。

コンサートホールとして改修されています。



敷地面積は約700坪です。






椎名家住宅:かすみがうら市

2018年01月30日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
椎名家(国の重要文化財)は、代々茂右衛門を襲名する旧家で、江戸時代には加茂村の村役を務めていたそうです。

建物は、桁行15.3m、梁間9.6mの茅葺き寄棟造りの直屋(すごや)で、西側に土間、東側に部屋を配置しています。(直屋:一般的な長方形の住宅)
曲がり材を用いた梁組が特徴で年代が明らかな民家としては日本最古と言われている茅葺の民家です。

西側の側面。
昭和45~46年にかけて行われた解体修理(総工事費1357万円)では、鴨居の枘(ほぞ)から「延宝2年(1674)」の墨書(すみがき)が発見され、建築年が判明しました。

北側に回ってみましたが鍵がかかっていました。敷地内は個人の住宅とのことなので仕方ないか。
土間に面して板敷きの広間があり、千葉県北部から茨城県南部にかけて分布する「広間型民家」の典型であると言われています。
曲がり材を用いた梁組や、主要な柱を蛤刃(はまぐりば)の手斧仕上げしていること、また、仕切り戸の板に槍鉋(やりがんな)を使用するなど、古い要素を見ることができます。

今回(H27.9.30土)は、なぜか閉まっていて、建物の内部を見ることができませんでした。残念!
(金土日は空いているはずなのにおかしいな?看板にもそのような書いてあります)
藪蚊にも刺され、すごすごと退参しました。

矢口家住宅:土浦市

2018年01月28日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
矢口家住宅(県指定文化財)は、旧水戸街道に面した土蔵造りで、店蔵、袖蔵、元蔵、米蔵の4蔵より構成されています。

茨城県内に現存する土蔵造りの商家建築のなかでは特に貴重なものであリ、現在も矢口酒店として営業(裏の別棟にて)をしています。

旧水戸街道に面した店蔵・袖蔵の間口は合わせて七間半(13.6m)もあります。

土浦では天保12年(1841年)9月12日の大火後、町屋に十蔵造りと瓦葺屋根が出現し、矢口家住宅はその代表的な建物です。

東日本大震災で被災しましたが、解体修理され往年の姿が甦りました。壁は黒漆喰が塗られており、大変美しい仕上がりです。
修復工事は平成24年夏から約4年間かけて行われ、総事業費は約2億1750万円とのこと。

屋敷全体が土蔵造の建物で囲まれていて、茨城県の土蔵造を代表する建物です。

立派な階段箪笥(二階に登る階段で収納を兼ねている)。金庫は元の場所と違うのかも?







開口部は分厚い観音開きの扉が用いられるなど、防火をかなり意識した造りになっています。

裏側から見た店蔵(左)と袖蔵(右)

袖蔵の上部。



白と黒の漆喰塗りのコントラストが美しいですね。

元蔵には江戸時代から現存する金庫があり、かつては、常陽銀行の前身の銀行の金庫として使用されていました。(誰かの足が写ってしましました)

<追録>矢口家と同じ並びにあります。

この日の昼食は「吾妻庵総本店」で冷し蕎麦を頂きました。この建物もかなり歴史があるようですが、詳しいことはわかりません。

うだつ(卯建・宇立)型の「行灯看板」は明治6年(1873年)に建築されたそうですが、平成10年の火災で焼失し日光東照宮を参考にしながら翌年復元したそうです。



現在は5代目が100年前の機械を使って蕎麦を作っているとのこと。気さくな女将さんがいる創業140有余年の名店です。