田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、カード収集、旅、日々のあれこれなど。

あかり家:下妻市

2018年10月30日 | 古民家っていいなぁ。(県外)

27日(土)、見世蔵巡り(結城市)の後、昼食を予約していた下妻市の「Gallery&Cafe あかり家」に向かいました。

あかり家は昭和4年(1929年)に建てられた元材木商の店舗兼住宅をリノベーションし、2004年にオープンしたカフェです。

外観は築約90年の昭和レトロな趣きのある2階建ての古民家です。国道125号線に面しており、右側の妻側中央に玄関があります。(妻入り)
ランチを予約した際に予め建物を見学したい旨、お願いしたら快く了承して頂き、先ずは建物探訪から。

玄関を中に入るとホールが吹き抜けになっていて、正面上には神棚が置かれています。照明が点いているところが2階和室。

玄関を内側から見たところ。

玄関ホール。

中央の一段上がったところが和室、左がギャラリー、手前のホールにもテーブル席があります。古民具などがディスプレイされていて雰囲気いいですね。

幅が1間(1.8m)もある古い神棚。

玄関を入って右側にある薪ストーブ。奥がキッチンです。

私達は1階の和室のテーブル席に通されました。こちらの陶器のランプシェードはご主人の作だそうです。
こちらの部屋は床の間と書院のある和室に絨毯を敷いてあり、書院欄間には無垢の杉柾に「富士山と松林」の透かし彫り加工(絵柄を切り抜く工法)を施してあります。書院の組子障子も年代を感じさせる趣があります。

1階の座敷と玄関ホールの間の欄間にも「透かし彫り欄間」があり、「波と千鳥」の図柄が彫られています。

また、和室を囲むように庭側が縁側になっています。木の引戸が年代を感じさせます。

縁側のコーナーに藤の椅子が置かれ、お洒落なカップが飾られていました。

建物の正面にあたる元店舗だった部屋。作家さんの益子焼を販売しているギャラリーがあり、こちらにもテーブル席があります。

ご主人が作られた陶器も展示されています。

玄関ホール左手にある階段を2階に上がるとこちらは出書院(別名:付書院)、床、床脇のある本格的な座敷。書院障子(組子障子)の桟の繊細な図柄も見ものです。

2階和室から見た吹き抜け。

2階から吹き抜けを見下ろしたところ。この部分は元々床があり部屋だったのですが、吹き抜けにする為、床・天井部分を取り払ったそうです。

2階の天井も取り払ってあるので、小屋組みが見え、開放感のある素晴らしい空間になっています。

2階廊下のレトロな乳白色の照明がいいですね。窓は模様のあるガラスになっています。

日替わりランチは、2段重ねの弁当箱(左の2つ)で1,100円(コーヒー付)。量が少ないかもと心配していましたが杞憂に終わりました。
なお、料理は奥様が作られる家庭料理が中心で、コーヒーはご主人が焙煎しているそうです。因みにこちらの建物はご主人の生家です。

この後、常総市にある「長塚節の生家」に。続きは別ページで。


見世蔵めぐり:結城市

2018年10月29日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
「結城紬(重要無形文化財)」で有名な「結城市(人口:5.2万人)」に友人5人と出かけました。この日は生憎の曇天でしたが雨が降らなくてラッキーでした。
今回の目的は主に「見世蔵(店蔵)」巡りです。結城市には国の「登録有形文化財(建造物)」になっている「見世蔵」が沢山残っています。
「見世蔵」は蔵の一種で江戸期からの商店建築様式のひとつで店舗・住居を兼ねるものです。
用途は倉庫ではなく店であるため妻入りではなく、桁方向を前面開口とし、三和土(たたき)と畳座敷で構成されています。
「土蔵造り・蔵造り」と言われる米穀、酒、繭などの倉庫や保管庫として建てられるものとは分化して発展してきました。
日本語における「みせ」の語源は、「見世棚(みせだな)」に由来しています。「見世棚」とは商品を陳列する棚のことであり、鎌倉末期より言葉自体は存在し、台を高くして「見せる」ことから「見世」となり、室町期に至って、「店」の字が当てられるようになったとのことです(Wikipediaより)

結城市には現存する「見世蔵」が30棟、うち「登録有形文化財(建造物)」は12棟です。見世蔵以外も含めると15件、31棟あります。(カウントミスはご容赦を!)

この日、結城市役所で「結城市観光ボランティアガイド」の方と落ち合い、2時間かけて街なかを案内して頂きました。
今はすっかり復旧していますが、瓦屋根の見世蔵などは、3.11の大地震で、瓦がかなり落ちる被害があったそうです。


「鈴木紡績見世蔵」。明治39(1906)年に奥の座敷(住居部分)とともに建設。

「お休み処ふじの蔵」。切妻平入・木造2階建ての見世蔵で、現在は無人休憩処です。

「結真紬」(切妻・平入り、土蔵造・2階建・瓦葺)。外壁全体を黒漆喰仕上げとした典型的な関東の見世蔵。

結真紬看板。もと呉服屋と見世蔵の住居で、昭和26(1951)年に紬問屋となり,同55年から現在の結真紬の店舗になりました

結真紬の壁面に付いている頑丈な太い鉤型の釘を「折れ釘」といい、土蔵の壁の塗り替えや屋根の補修をするとき足場を組みやすいように、また火事のときには火消しが屋根にあがる足掛かりになるように取り付けてあるのだとか。

「赤荻本店見世蔵」(土蔵造2階建、瓦葺)。明治初年以来、この地でお茶の販売を続けてきた老舗。

「小倉商店店舗兼主屋」。店舗は木造2階建、切妻・平入・桟瓦葺,桁行4間・梁間5間。

「結城紬郷土館」。結城紬の歴史、生産工程等に関する資料の展示など。

1階は結城紬資料室。2階で機織りの実演を見学しました。

「秋葉麹味噌醸造見世蔵」。見世蔵の奥に続く工場で味噌の醸造をし、見世蔵でその販売を行っています。

内外装ともに当初の姿とはかなり異なる。現在の正面外観は、昭和9年、結城駅に通じる県道拡張の際に、前面1間半を切り取ったため出来上がったもの。

蔵の中には大きな木の味噌樽。竹の箍(タガ)で締めた木の樽ですが、現在ではこんなに大きな箍(タガ)を作れる人がいないそうです。
味噌汁、漬物をサービスで頂き、お土産に、なめみそ(辛口)「繁盛ナス」を購入。ご主人商売うまいよ!

「称名寺二条門」。寛永3(1626)年に建造された総欅造りの平屋根瓦葺の門(市指定文化財:建造物)

地震前は常時開門していましたが、地震で傾いたため裏側に支柱をし、常時閉門状態。

「武勇見世蔵」。銘酒「武勇」で知られる(株)武勇。(土蔵造2階建,瓦葺)建設時期:幕末。

武勇脇蔵、旧釜蔵

「結城酒造」。安政6(1859)年の酒造鑑札を持つ、老舗の酒蔵。高さ10メートルの煉瓦煙突は、安政蔵の北側にあり,、治36(1903)年の建設と伝わります。

「弘経寺(ぐぎょうじ)」三門(山門)。浄土宗の学問所 関東18壇林の1つ。

本堂。1595年、秀康の長女松姫の菩提を弔うために創建された寺院で創建以来一度も焼失していない。

結城家18代秀康(徳川家康の次男)の長女松姫の墓。

境内にある江戸時代の俳人、与謝無村の句碑。

「奥庄店舗兼主屋」。奥庄の創業は1831年と伝えられ、以後、澤屋庄兵衛商店の名で代々紬問屋を営んでいました。「奥庄」と改称したのは昭和38年。

「奥順」店舗(木造2階一部平屋建、瓦葺)大正初期建造。

奥順壱ノ蔵。建物の造りから明治期に建設されたものと考えられています。現在はギャラリー喫茶として利用。お茶をする予定でしたが時間が足りずパス。(弁当も予約できます)

奥順見世蔵(土蔵造2階建,瓦葺)。結城澤屋、結城紬の専門店「弐ノ蔵」を改装

「キヌヤ薬舗」。見づらいですが薬の看板(お宝?)。店舗は2階建の切妻・平入り・桟瓦葺で,前面に半間の下屋庇。

奥順離れ(室内)。見世蔵と同じ明治19(1886)年の建てられる。

「古民家陳列館」。常時200点以上の結城紬を展示。150年にわたり風雪に耐えてきた重厚な古民家を、結城紬の陳列場として移築。

本場結城紬 染織資料館「手緒里」

結城紬ミュージアム「つむぎの館」。奥順(株)が、創業100周年を記念して、より多くの方に結城紬を知ってもらいたいという想いから作られた施設。

「結城蔵美館」。本蔵,袖蔵の2棟から構成される観光スポット。

小屋組み。

「旧黒川米穀店」。明治45(1912)年に建設。現在はパン屋として利用されている。


「市立結城小学校」。茨城県内で創立が2番目に古い小学校。
ここは、「結城行在所(あんざいしょ)跡」で、明治40年に大本営が設けられ、7日間、明治天皇、総理大臣など政府高官が滞在し、執務したところです。

今回は中をじっくり見学できる建物も少なく、時間も足りず、駆け足で巡ったので、今度またゆっくり来たいと思います。
この後、市役所に戻り、昼食を予約したgallery&café「あかり家(下妻市)」へ。続きは別ページで。



一之江名主屋敷:江戸川区

2018年08月17日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
今日、次女と孫を迎えに行くついでに江戸川区春江二丁目の「一之江名主屋敷(旧田島家)」(都指定史跡、区登録史跡)に行って来ました。
23区内にもこんな古民家があるのですね。敷地面積は約2,000坪(展示棟除く)、主屋は84坪の「曲がり家」です。
田島家は江戸時代のはじめに一之江新田を開発し、元禄年間(1688~1704年)以降、名主を務めていました。

長屋門(江戸時代後期築)

主屋全景(築240年)。屋根は住まいの部分(左)が寄棟造り、土間の部分(右)が入母屋造りの茅葺です。
主屋の屋根は平成18年に新しく葺き替えたとのこと。材料はススキで御殿場から採取し、長岡の職人が葺いたそうです。
葺き替えには数千万円かかるそうなので維持するだけでも大変です。約15年で葺き替えるとのこと。

土間の大黒柱。太く黒光りしています。

囲炉裏。虫が入り込んで茅を傷めるので、夏でも火を焚いて燻しています。

囲炉裏上の小屋組み。燻した煙で霞んでいます。

囲炉裏のある板の間

台所

次の間。仏壇と神棚は東を向いています。

裏側。移動できる仏壇と神棚で元々はこちら側の仏の間(ホトケノマ)にあったそうです。

中の間から次の間方向を望む。

棹縁(さおぶち)天井と床の間

次の間から玄関を望む。玄関に面した座敷は名主を務めている時は公用の場所でした。

玄関から長屋門方向を

玄関、式台

入側(イリカワ)と濡れ縁

敷居の溝が3本。江戸時代の特徴だとか。

四方柾目の高価な柱

玄関付近

南側側面

池泉回遊式の庭園(南庭)、このほか竹林、屋敷林など広大な森が。

展示棟

展示棟には一斗桝、手鈎、長持、篩などの古民具や資料などが展示されています。
入館料は100円。都営新宿線瑞江駅から徒歩14分。
今日は久しぶりに涼しくなり、古民家の中は風が通り抜け更に快適でした。



古民家レストラン「テンサン」:取手市

2018年06月09日 | 古民家っていいなぁ。(県外)
「旧取手宿本陣染野家住宅」を見学した後、田畑が広がる田園地帯の中に佇む古民家レストラン「季節野菜のごはんやさん テンサン」にランチに行って来ました。

こちらの建物の築年数は不明ですが、天保という棟札があったそうなので築200年近いのかもしれません。少なくとも100年以上はゆうに経っているそうです。(屋根は茅葺から瓦葺に改修)

開店して約2年。店主一人で切り盛りしていて、無理せず一人で対応できる範囲で営業しているそうです。店名は店主の名前(天=たかし)を音読みして、それに敬称(さん)を付けているそうです。テンサンの文字の上にある● ● ●も点が三つでテンサンという洒落の様ですね?

店主が自ら古民家をリフォームし、店の内外にある古民具は元々この家にあった物をそのまま展示したり、費用をかけずにリメイクしたりして再利用しているそうです。

欅の大黒柱が立派ですね。板の引戸も綺麗に磨かれています。

いまでもリフォームを続けているとのこと。

黒板をリメイクしてメニューに。

椅子になっている桐ダンス。こんなの初めて見ました。

取手の旬の野菜を煮込んでいる「季節野菜のカレー(中辛、辛口、激辛)」がお勧めです。

店主の出身地である山梨の家庭で食べている本場の野菜たっぷりの「田舎風やさい甲州ほうとう」もお勧め。
家庭で作るほうとうは山梨に行くとよく見かける「〇作」や「〇動」とは味も見かけもぜんぜん違うそうです。

私達は取手の季節野菜を使った「山盛りのサラダ」と「ランチドリンク」付きのサラダセット(+200円)に

私は「季節野菜のチキンカレー」を、

あーちゃんは「牛スジのトマト煮ハヤシ」を頂きました。美味かったなあ!

この後、店主に紹介して頂いた「東漸寺(取手市本郷3-9-19)」に。





旧取手宿本陣染野家住宅:取手市

2018年06月09日 | 古民家っていいなぁ。(県外)

6月8日、取手市の「旧取手宿本陣染野家住宅(茨城県指定有形文化財)」を見学してきました。(JR常磐線取手駅から徒歩8分)
以前、友人と来たので今回で2回目。前回はカメラのバッテリーが切れて写真が撮れなかったので、今回はあーちゃんと再来です。
染野家の主屋、土蔵、表門、徳川斉昭の歌碑は染野家から昭和62年に取手市に寄贈され、同年から解体修理がはじまり、平成8年度に完了。平成9年9月から一般に公開されています。(敷地は今でも染谷家が所有)

主屋。平面積約312㎡。1795年築
水戸街道は千住と水戸を結び、取手は千住から数えて6番目の宿場。貞享4年(1687)、染野家は水戸徳川家から本陣に指定され、歴代の水戸藩主をはじめ多くの大名や武士たちが、宿泊や休憩に利用しました。

表門は桟瓦葺(さんがわらふき)の薬医門(やくいもん)で1805年に建てられたと推定されています。

土間の天井の梁組。

染野家の人々が通常出入りしていた大戸(建物右側)を入ると土間になっていて、奥には調理に使った「石くど(かまど)」があります。

広間から見た中の間、三の間。

広間から見た茶の間。

明治時代に家を直した時に広間と茶の間の間に設置されたガラス戸。板ガラスは当時のもので中に空気の泡があり、表面が波打つています。

中の間。式台から玄関に上がると、正面が中の間。中の間から西側の部屋が、本陣として武士が利用する部分。

主屋のほぼ正面に堂々とした入母屋造りの玄関があります。
本陣を利用する大名など身分の高い武士が、籠を横付けして直接建物の中に入れるように玄関には式台が付いています。

三の間(8畳)

上段の間は、大名など身分の高い武士が利用する部屋で、ゆかが框1本分(約20cm)高い。

奥には床(左側)と違棚・天袋は付き、左側に平書院が付いている。

西側①

西側②

北側。正面が新座敷。

明治初期に郵便局として使用した郵便窓口の跡。建物の外側に馬蹄形の窓口があり、全国で4か所しか現存していない内の1つで貴重なものです。

土蔵。18世紀から19世紀初めに建てられたと推定。

「徳川斉昭(水戸藩第9代藩主)の歌碑」。主屋西側の裏山と呼ばれている小高い場所に今も残っています。

歌碑に行く通路の脇にある巨大な「むくのき」

見上げるとこんな感じ。

この後、近くの「長禅寺(ちょうぜんじ)」にも立ち寄りました。承平元年(931年)平将門が祈願寺として創建したと伝えられています。
棟札によれば、宝暦13年(1763)に建立された堂が大破したため、享和元年(1801)に再建されたとのこと。

石段の上にある山門。

南側の石段を登りきると、正面に建つのが茨城県指定文化財の三世堂(さんせどう)です。

外観は2層ですが内部3層で、「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっています。
「さざえ堂」は他には、群馬県太田市の「曹源寺」、埼玉県本庄市の「成身院」、福島県会津若松市の「旧正宗寺」、青森県弘前市の「蘭庭院」と、「長禅寺」を含めて全国で5棟しか残っておらず、大変に貴重な建物だそうです。

この後、昼食を食べに古民家レストラン「テンサン」(染野家から車で約10分)に。