田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

松江城(№3):松江市

2019年06月21日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

№3は「松江」です。高校の「修学旅行」(S47.11.9撮影)で訪れました。その時の写真がこれです。写真の裏に「城の名前」と「簡単な解説」「日付」と「当時の市の人口」」まで書いてありました。

「松江城(別名:千鳥城)」は、1,607年築城の平山城。現存12天守のひとつ。国宝。

四重五階の望楼型天守。関ヶ原の合戦の論功行賞で「堀尾吉晴」が入封して築城。

 

余談ですが、

因みに当時の人口は「松江市:11.4万人」、「静岡市:40.0万人」、「札幌市:87.7万人」(間違っているかもしれませんが。)

なぜ、比較の対象が「札幌市」なのでしょうか?本人でも判りません。今は、「松江市:20.6万人」、「静岡市:69.2万人」(清水市などと合併)、「札幌市:196.9万人」です。まあ、細かいことは置いといて。


江戸城(№5):千代田区

2019年06月20日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

№5は、日本100名城「江戸城(別名:千代田城)」(2010.4.3撮影)(平城)

「天守台」。天守は1657年の明暦の大火で焼失。石垣がまだらなのは焼けた伊豆石を外し、小豆島の御影石を加えて石積みをやり直したからだそうです。

 

天守台から見た本丸(芝生地)

堀の向こうに見えるのが「伏見櫓(ふしみやぐら)」。伏見櫓は江戸城に現存する3棟の櫓(富士見多聞櫓・桜田巽櫓・伏見櫓)のうちの一つ。

西の丸の大手門(現在の皇居正門)。天皇誕生日と新年一般参賀の際はこの正門から入場。

桜田門前から見る桜田濠。中央左が国会議事堂。

「桜田門(内側の渡櫓門)」。江戸時代初期の建築で「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財に指定されている。

なお、「内桜田門」は「桔梗門」とも呼ばれている。

「三の丸大手門」「高麗門」と「渡櫓門」で構成された典型的な枡形門の形式。江戸城の正門で、諸大名はここから登城し三の丸に入りました。

大手門の渡櫓門石垣の間を抜けると、長さ50メートルを超える百人番所(江戸城最大の検問所)が見えてきます。 この建物は数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構です。

「田安門」。現在、「北の丸公園」の入口になっていて、「日本武道館」のそばにあります。江戸時代初期の1636年に建てられた門で、江戸城の総構えが完成した当時から残る唯一の遺構です。

「二の丸庭園」。9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した「池泉回遊式庭園」。昭和43年(1968)に「皇居東御苑」の整備ともに庭園が改めて造られた。


駿府城(№1):静岡市

2019年06月20日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

№1は、日本100名城「駿府城」(2018.5.14撮影)(平城)

1607年に将軍職を辞した家康が駿府に戻る。1610年に天守完成(六重七階?)→1635年に焼失

焼失した天守は再建されず。「巽櫓」(平成元年復元)と二の丸「東御門」(平成8年復元)

「巽櫓」と「中堀」

東御門

東御門

「徳川家康公」の像と本丸跡(令和2年まで発掘調査中)

内堀

内堀

二の丸の南西隅にある2層3階の「坤櫓(ひつじさるやぐら)」。

平成26年に復元し、内部はスケルトンになっていて、櫓の構造が見れる。

 

このところ、「気になる物(乗物、建造物、構造物など)のカテゴリーに「」をUPしています。

「日本100名城」や「続日本100名城」を見て回って、その城や時代背景などを探求したり、スタンプを集め、全ての城を巡り、制覇(登城)しようなどとは全く思っていません。

最近は若干ですが、「現存天守12城カード」「日本100名城スタンプ」なども収集してはいます。

私は建造物(構造物)としての「城」に魅力を感じ、興味深く見て周っています。

 ①優れた文化財であり、歴史や時代の舞台である。

 ②大変美しい建造物であり、建築物としての価値も高い。

 ③当時の職人(匠)の優れた技が素晴らしい。など

私がこれまでに見てきた「城」を「訪れた順(古い順)」に簡単に紹介しいきます。

№1は、なんといっても私の出身地:静岡市の駿府城です。今のように「巽櫓」などはありませんでした。

№2は「」です。高校の「修学旅行」(S47.11.8撮影)で訪れました。以降、修学旅行で訪れた「松江城(№3)」→「姫路城(№4)」の写真を順次UPします。

 

 

 


二本松城:二本松市

2019年06月19日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

日本100名城「二本松城(別名:霞ケ城)」(2018.12.01撮影)

山上に中世山城、山麓に近世城郭と二つの顔を持っています。

「箕輪門」・「二階櫓」。昭和57年に再建。

「二本松少年隊群像」

本丸跡の石垣

本丸の天守台石垣

天守台からの絶景

詳しくは「日本っていいなぁ。」「旅の思い出」「男旅②:二本松市:大七酒造・二本松城」をご覧下さい。


会津若松城:会津若松市

2019年06月19日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

日本100名城「会津若松城(別名:鶴ヶ城)」(2006.11.19撮影)(築城年:1384年)

幕末の「戊辰戦争」の激戦地としてあまりにも有名。

 

地元では「鶴ヶ城」と呼ぶが、同名の城が他(上総国など)にあるため、地元以外では「会津若松城」呼ばれることが多いそうです。

「日本110名城に行こう」でも「会津若松城」であり、国の「史跡」としては、「若松城跡」で指定されています。

地元ではありませんが、私も「鶴ヶ城」と呼んでいました。

明治年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が復元されました。

平成23年には「赤瓦」への葺き替えが完了し、幕末当時の姿を再現し、国内唯一の「赤瓦の天守」となっています。

 ※写真は「黒瓦」の時代です。