昨日の梅やんは無事にデイサービスにいてきました。私は午前中草刈りをして、四季美谷温泉で昼食を食べ、山の景色を写しに西三子山のふもとの北浦へいてきました。2時から高校野球決勝戦のテレビ観戦です。
剣山一ノ森方面、母校跡の裏山から
年金暮らしになると、このような生活が出来るとは若い頃は思いもよらないものです。
やがて、8月25日、梅やんは満90歳になります。これも思いもよらないものです。
平成23年8月のケアプラン左部分
平成23年8月のケアプラン右部分
これは梅やんの第1回目の居宅介護支援計画です。私は、週1回のデイサービスで経過を見てもらい、土日に私が帰って薬の管理や買い物をすれば良い、8月は盆もあるし、いけると考えていました。ヘルパー派遣の事業所からは片道40分かかる山奥なので使えませんでした。けれど、このプランは実践してみてまったく無理でした。自分で処方通りに薬を飲むことも食事をとることも出来ず、9月に熱発して入院になりました。せん妄状態でした。
退院して、ヒソウネへ行く
退院後の梅やんはボーっとしています。ヒソウネを訪ねて従姉妹と写した写真です。2011年10月。
現在のケアプランは随分と進化しています。
令和元年9月のケアプラン
まだ2つのデイサービス事業所を併用して三好市と那賀町を行ったり来たり出来ています。遠いようですが両自治体は剣山を境にして隣なのです。
山の向こうは三好市東祖谷
昔、平家の残党は屋島沖の合戦に敗れて、讃岐山地を越えて井川町井内谷から祖谷山へ入り剣山周辺に移動して文化をもたらしたようです。木沢の岩倉集落には平家を祀る祠があります。
午後11時、まだ寝ないで洗い物する梅やん
梅やんは82歳から90歳まで8年間、木沢診療所の自治医大出身の先生方にお世話になりながら、那賀町社会福祉協議会のケアプランにより、三好市の通所介護事業所と木沢の通所介護事業所との併用で何とかやってこれました。みなさんのおかげです。山深い故郷に文化をもたらせてくれた先人のご苦労を思えば、これからもまだしばらくはやっていけるでしょう。
それでは今日はこの辺で。週末の私だけの移動日です。
剣山一ノ森方面、母校跡の裏山から
年金暮らしになると、このような生活が出来るとは若い頃は思いもよらないものです。
やがて、8月25日、梅やんは満90歳になります。これも思いもよらないものです。
平成23年8月のケアプラン左部分
平成23年8月のケアプラン右部分
これは梅やんの第1回目の居宅介護支援計画です。私は、週1回のデイサービスで経過を見てもらい、土日に私が帰って薬の管理や買い物をすれば良い、8月は盆もあるし、いけると考えていました。ヘルパー派遣の事業所からは片道40分かかる山奥なので使えませんでした。けれど、このプランは実践してみてまったく無理でした。自分で処方通りに薬を飲むことも食事をとることも出来ず、9月に熱発して入院になりました。せん妄状態でした。
退院して、ヒソウネへ行く
退院後の梅やんはボーっとしています。ヒソウネを訪ねて従姉妹と写した写真です。2011年10月。
現在のケアプランは随分と進化しています。
令和元年9月のケアプラン
まだ2つのデイサービス事業所を併用して三好市と那賀町を行ったり来たり出来ています。遠いようですが両自治体は剣山を境にして隣なのです。
山の向こうは三好市東祖谷
昔、平家の残党は屋島沖の合戦に敗れて、讃岐山地を越えて井川町井内谷から祖谷山へ入り剣山周辺に移動して文化をもたらしたようです。木沢の岩倉集落には平家を祀る祠があります。
午後11時、まだ寝ないで洗い物する梅やん
梅やんは82歳から90歳まで8年間、木沢診療所の自治医大出身の先生方にお世話になりながら、那賀町社会福祉協議会のケアプランにより、三好市の通所介護事業所と木沢の通所介護事業所との併用で何とかやってこれました。みなさんのおかげです。山深い故郷に文化をもたらせてくれた先人のご苦労を思えば、これからもまだしばらくはやっていけるでしょう。
それでは今日はこの辺で。週末の私だけの移動日です。