みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 オニユリの季節

2019-08-01 22:01:58 | 日記
昨日はリキさんの命日。15年が経ちました。明治42年生まれの人でした。
梅やんはいつものようにデイサービスへ行きました。

夕方帰ると、墓の掃除を少ししてから、線香をあげて水をやりました。もちろん、私が指示してのことです。
松寿円覚信士

草を引く

オニユリの季節

南高城山

夜の食事は昨日のチイ叔母からいただいた野菜の天ぷらのおかずです。
天ぷら
ご飯を食べながら、私がリキさんが死んでもう15年経ったよと言うと、「父やんはどこで死んだんぞ、わたしゃアホになって分からん」と言いました。
さらに梅やんは、「シゲフミはどこで死んだんか」、「瀨津のジイさんは生きとるのか」と聞いてきました。私は、もう黙っとれ!と言って、音楽を聴いていました。

段々と梅やんの記憶は遠くなるようです。
平成23年夏、オニユリと眼鏡を持つ梅やん。
梅やんが認知症の治療を始めてから丸8年が過ぎました。その頃の梅やんは、母の眼鏡と一緒に私の眼鏡をも買ってくれました。また年末には私の娘の奨学金返済金を出してくれました。そういう気遣いができる人でした。今は怒りやすくなり、夫や子や孫の記憶が遠のいているのです。

かつて私が子どもの頃、実家の周囲はオニユリがいっぱい咲いていました。リキさんが亡くなり梅やんが一人暮らしの頃に、ニホンジカがいっぱい増えて全てのオニユリを絶滅させてしまいました。今、金網で囲った畑と庭の片隅にだけわずかに残っていたオニユリが近くのリキさんの墓の辺りに再び咲き始めています。

リキさんは亡くなる前に入退院を繰り返していましたが、子どもたち3人を病院のベッドサイドに呼び、「お母さんを頼むよ」としっかりと言い遺しました。

それでは今日はこの辺で。梅やんは今日もデイサービスです。私は移動日です。天気が良いので川成峠から木屋平経由で穴吹へ出るようにします。