みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 介護人の危機その3

2018-12-09 03:59:21 | 日記
風の音で目が覚めた。川があって洞窟のようなトンネルの三叉路がありダムがある。私はあっちへ行ったりこっちへ来たり歩きさまよう、変な夢を見た。過去にも2〜3度よく似た夢を見た事がある。

介護人の日記の続きを見てみましょう。10月8日。私は下での用事を済ませて、雨で濃い霧の中、神山の峠を越えて午後6時半ごろに母親の実家に着いた。神山から電話をして戸を開けておくように言っておいたのに、玄関のカギは閉まっていた。「メシなんぼ炊こうか?」と母が聞いて来たので、「お前はもうメシはたけんわ、炊くな!」と言うと、「このウチはワシの家じゃ、メシはワシがたく」と反論してくる。「うるさい、ワシの言うこと聞け」と喧嘩になる。いつものように口論になり、母は興奮して頭が痛いという。毎回こうしたパターンが多い。

10月9日。気がつくと母親のパジャマ上衣にクソがついていた。ズボンの後ろにも黄色い物がついている。洗面台のタオルの裏にもついている。クソがついても分からなくなったのか。汚れたタオルを替えていないのは認知機能障害、これも新しい発見だ。

10月13日。神奈川へ、小学校3年の孫の運動会を見に新幹線で行った。長年の勤めた定職をやめたので、やっと念願かない運動会を見にいくことになった。孫は可愛い。孫は頑張り、徒競走で1番になった。家族みんなで楽しく昼弁当を食べた。 
 がんばれ!運動会

それにしても寒い1日だった。この間は、私の姉と妹が2泊3日で母の世話に実家へ来てくれていた。掃除や冬物の衣類を出してくれた。私が神奈川から木沢の実家へ帰って見ると、姉妹が実家を出た後、直ぐにまた母はご飯をいっぱい炊いていた。

10月16日。私の体重が89キロから下がらないもっと食べる量を減らさなければ、でもずいぶん元気になってきた。
母はこの9月ごろから、この家はどこじゃ、と聞いてくるようになった。朝起きた時も、夜の風呂から出た時も。しばらくして、仏壇があるからウチじゃのう、という。見当識障害だ。だんだんとアホにないじょる、とも言う。

今日は日曜日、休日。朝風呂に入りゆっくり休みます。ではこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 介護人の危機その2

2018-12-08 02:46:30 | 日記
昨日は金曜日、プラスチックゴミ出しの日。台所でゴミの仕分けしていたら梅やんの薬袋が出てきた。内服薬と外用薬だ。やっと出て来たか。

私の日記から、続けます。9月27日。月末集金で私は朝から山城、東西祖谷山へ出かけて、午後7時に帰宅した。家族で夕食後、母親が「ここの者は風呂わかさんのか」と聞いてくる。私は「わかさん、お前は昼にデイサービスで風呂に入っておる。もう寝なさい」と答えると、「ワシは入っとらん、入ったらおぼえとるわ」とふてくされて寝床へ行った。実際に、私は2日に一度しか風呂にははいらないが、母親は毎日のデイサービスで入浴している。

10月1日。台風24号が過ぎ去り、夜になって天気が良くなってから避難所から帰宅した。夜のテレビニュースは沖縄県知事選挙結果を放送している。今日の午後1時に役場から避難勧告が出たので、母親に避難するようにと言ったら、「避難せん、ここにおる」といって言う事をきかない。風雨が強まった午後3時に、私は母親の身体を抱え込んで自家用車に押し込み、避難所になっている坂州のデイサービスセンターに連れて行ったのだ。

屋根の排水路が完成!

10月2日。今朝は母親がおかしい。「この家はどこじゃ」と言い始めた。昨日は、ここはワシが働いて建てた家じゃ」と主張していたのに。夕べは安定剤は飲ましていないし、寝ていたのに。

10月4日。この頃は母親の問題行動がひどいから困る。「コラ、トイレのスリッパははいてくるな」「飯はたくな、お前はもうめしはたけんから」と毎日、毎回言わなければならない。常時監視している感覚になる。母親は「ここはワシのウチじゃ、飯ぐらいワシがたく」と言う。母親の人格が変わってしまった。わたしも尋常じゃない。「ワシの言う事を聞け、コラ」。

いつまでもつのでしょうか。この続きはまた明日。


みなみの梅やん介護日誌 介護人の危機

2018-12-07 04:03:39 | 日記
午前4時、何か夢を見ていたようだが思い出せない。

昨夜の梅やんは電話ボタンを押していたようでしたが、チイおばさんは出ないようでした。私は起きていき、さっき掛けて話した事をいうと、掛けた覚えはせんと言います。それでも、尿パットを手渡すと素直にトイレで当ててから、やっと布団にはいりました。午後9時のこと。
介護をしていると、介護人の方が危機的な状態になることがあります。過去の私の日記を記します。

9月17日「敬老の日」。私は家の裏の排水工事をした。吹き出るように汗をかいた。体重は89、2キロになった。夕方、しきびだに温泉に行こうとしたら、自家用車がパンクしていて、仕方なく歩いて行ってきた。梅やんは一日中、ウロウロしていた。温泉から帰って見ると、冷蔵庫の豆腐を全部入れて汁を炊いていた。明日の朝の味噌汁の豆腐がなくなった。コメは隠しておいたので炊かれてはなく無事だった。やれやれだ。アイツは私が居なくなるのを狙ってやっている!

9月20日。母親は夜中に飯を炊こうとして4合ぐらいのコメを研いであった。まだ電気釜にはご飯がたくさん残っているのに。認知機能障害、ご飯が目の前にあるのに、分からない。だから、またたこうとする。毎晩繰り返す。私が寝た後のことである。

9月24日。連休で湯河原の娘宅へ孫の病気の見舞いに行ってきた。埼玉の息子も来て、家族6人で小田原城公園に行ってきた。孫の神経症はまだ治っていなかった。新幹線で帰り、沖洲の姉宅に預けてあった母親を迎えに行き、そのまま木沢の実家へ着いた。しばらく横になって休んでから起きて見たら、母親は机に置いてあった私の髪の染料クリームチューブを舐めていた。コラ!そんなもの食べたら死ぬぞ、と優しくほほを叩いて、口すすぎに行かせた。異物摂食だ。いよいよここまで来たか。今までにも、台所用洗剤入りの野菜和え物、部分入れ歯入りのお汁、牛乳入りの白いみそ汁、ウイスキーのお茶漬けご飯がある。
私がブログを始めたのは、このままでは自分が陥ってしまう、と思ったからです。今日は私の移動日。また後日。




みなみの梅やん介護日誌 「坂州不整合」の看板の前で

2018-12-06 04:08:33 | 日記
午前4時、朝のご飯を仕掛けようと起きた。まだ1膳分あるからやめた。
私はパンにすればよい。昨夜の梅やんは、9時を過ぎてもジーッとデイサービスの連絡帳を見て起きていたので、取り上げて寝さしたのだ。私の胃の内視鏡検査結果はちゆしていた。医師は右の鼻からカメラを入れてうまく操作して、じょうずだ。胃薬は続けることにした。
上那賀病院が早く終わったので、坂州のデイサービスにより梅やんの紙オムツ代を支払い、その後、坂州木頭川の河原に降りてみました。「坂州不整合」という国指定の天然記念物の看板が目を引きます。
この地域は山々が深く切れ込み、底を清流が流れ、新緑や紅葉が美しい。石灰岩の白滝が高い所に露出しています。大雨が降れば大災害のじすべりになります。その地形を利用して那賀川の電源開発が行われ小規模のダムが各所にあります。これらは、大昔の地球の海底が盛り上がりシワのように大変動を起こして出来上がったものでしょう。

私は、看板が国の指定を受けた月、平成23年2月と看板が設置された月、平成24年3月に注目しました。平成23年2月から平成24年3月は梅やんが頭の病気を発症し、苦しみぬいた時期ではないか!永年の前駆症状があり、たまり、露出して一気に症状が悪化した時期ではないか。認知症長谷川式指数28から20へと一気に悪化した時期、頭の中の不整合が生じた。平成23年春。まったく関係の無い事ですが、当事者にはアレッと思えて、かきとめてみました。
国指定天然記念物看板『坂州不整合』

坂州河原の岩石群

折に触れて、この時期の梅やんのことを考えてみたいと思っています。今日はこの辺で、まだニワトリは鳴きません。梅やんも寝ていますが。

みなみの梅やん介護日誌 定期受診の1日

2018-12-05 05:12:42 | 日記
今朝は4時半にめがさめた。6時間余りねた。私が寝れたということは梅やんも寝れたということだ。今日は私が胃カメラ検査うける日、胃潰瘍がなおっているかみてもらう。コップに2杯の水を飲んだ。朝食は抜きで病院に行く予定だ。

昨夜のこと、梅やんは木沢診療所からもらった薬をカバンから引っ張り出して見ていました。私が起きて薬を取り上げると、「薬をどうして取り上げるのか」といいます。私が床についていると、茶の間で何度も何度も電話機のボタンを押している音がします。私が起きて、チィおばは今夜は徳島市へ出ているから電話しても居らんよ、早く寝ろ、と言うとやっとふとんに入りました。
多分、独りで居る夜はこのようにしてずっと起きているのでしょう。

昨日は一日中、曇り小雨でした。私は戸外での仕事が出来ないので、午前中は郵送された新聞をまとめ読みしてボーっと過ごし、午後から坂州へマッサージしてもらいに行きました。私より5つ6つ歳下の、中途失明した女性マッサージ師です。彼女は中学生の頃から眼が悪くなったそうで、徳島市の県立盲学校高等部に進学してマッサージ師の資格を取られた方です。その母親が認知症で梅やんと同じくらいの状態です。イズリハという山の中の家にいたけれど坂州に出て来ており、近くに妹さんが住まわれていて世話して下さるそうです。

木沢診療所での診察は15番目、遅い方ですが、デイサービスを終えてからちょうどいいのです。医師から梅やんが先月に上那賀病院で検査したCTとMRIの説明をしていただきました。大きな異常は見られないとのことでした。2週間分の薬をもらいました。が、骨粗しょう症の相談をするのを忘れてしまいました。次回にしよう。外に出ると、もう薄暗くなりかけて診療所の灯りがはっきり見えます。そのまま、近くのマツモト理容店に寄り、梅やんはひと月ぶりに散髪をしてもらいさっぱりしました。

夕暮れの木沢診療所

早朝にサルが来て鳴いています。ホーという短い鳴き声です。では、今日はこの辺で。