みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 誕生日おめでとう!

2019-08-26 03:25:07 | 日記
お茶を飲む梅やん
昨日は梅やん90歳の誕生日でした。みずから家族介護に当たっている友人から祝いのメールを頂き、涙するものが有りました。チイ叔母親子が梅やんが希望していたナタネを持って来てくれました。ユキ妹からも電話を頂き、梅やんは上機嫌でした。
坂州槍戸川の清流
お昼は四季美谷温泉に行き食事だけしました。
キョロキョロする梅やん
お客さんが満員でした。少し順番待ちで盛況でした。梅やんは食事よりも周りのお客さんの方を無遠慮にジッと見てキョロキョロします。よその人を見るな、と注意しても効果がありません。
自分の山を見る梅やん
食事を終えて外に出ると梅やんは、「ウチの山を見て行く」と言いました。温泉の向こうに梅やんの畑跡があり、それは今では杉林になっていますが、戦後すぐに畑や採草地として農地解放自作農支援策として国が仲介し、夫のリキさんが安く購入したものです。梅やんは「そろそろ枝打ちをせないかん」と言います。
私は、この山は工事のために近く土地も木も売る事になっている、代金は梅やんの介護の費用に当てる、と言いました。梅やんはすでに承諾の判をついているのですが、「勝手に売るな、惜しい。夫婦の介護のお金も無いのならお前は出て行け」と怒りだしました。実のところ、国民年金の梅やんの貯金は毎年毎年減り、92歳末で底を尽きる予定です。認知症高齢者の寿命と老後のお金との矛盾は政治の課題です。

庭の草むしりする梅やん
夕方には梅やんは庭の草引きを、私は家裏の草刈りをしました。
夕食は軒下の炭火でスープカレーを作りました。
カレーの具を煮込む
1日が暮れていきます。

今日は月末の移動日です。梅やんは明日から三好市池田のデイサービスに。9月1日からまた木沢、その頃は涼しくなっているでしょう。それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 梅やん90歳の誕生日

2019-08-25 07:25:16 | 日記
木沢の朝
昨日の梅やんは、私が午後6時半過ぎに帰ってみると、弁当もお寿司も、パンも大方食べていました。残っているだろうと私は思い、何も買い物をしないで来たのでサバの缶詰を開けて夕食にしました。89歳最後の日は貧しいおかずになりました。

今日は梅やんの誕生日です。昨日とは違って良い天気です。この山深い木沢では徳島新聞は通常日は郵送のため10時半過ぎて来ます。日曜は郵送も休みなのですが、この奥の四季美谷温泉には日曜は早朝に配達されていたので、先日交渉して我が家にも日曜配達が早朝にされるようになりました。
徳島新聞2019年8月25日

梅やんが、中川クニヒサとコリンさんの間に生命を受けて誕生したのは今から90年前、1929年昭和4年の世界経済恐慌の時です。 型紙箱 昭和22年 中川梅子のもの
今日、2019年までよく生きてくれたものです。今朝起きて、今日は25日、誕生日、90ぞと言うと、「ほうか、モリのおかげじゃ」と愛そうを言いました。今日は四季美谷温泉で昼食はご馳走を食べることにしようと思います。
それでは今日はこの辺で。また明日。

みなみの梅やん介護日誌 梅やんの冷蔵庫

2019-08-24 09:02:10 | 日記
昨日は朝、梅やんをデイサービスへ送ってから、農協の店で弁当と寿司を買い、家の冷蔵庫に用意して、9時半に私の車は出発しました。梅やんは金曜夜から土曜夕方までは一人で過ごします。
梅やんの冷蔵庫
食べ物はパンでも寿司でも弁当でもあります。心配なのは尿失禁ですが、これは布団は濡れないようにシートを敷いておきます。
朝食の時、たまには一人暮らしがきやすうてよかろうと、聞いてみました。すると「自身親子じゃから気苦労はせん」と言いました。
  川成集落

9時から雨が降り始めましたが、大したことはないので今日は川成峠を越えるコースで穴吹へ出ることにしました。
  スーパー林道から木沢の山


川成峠

家から40分で峠に着きます。脇町方面は晴れ曇りです。



木屋平
途中、工事の通行止めのため10分間休憩。
穴吹川を下り、貞光のカレー専門店で昼食です。11時50分。

休みなく走ればだいたい2時間10分で貞光道の駅ゆうゆう館に来ます。
三好市井川町の自宅までは90キロメートルでした。
今日の私は、午後から徳島市で団体の理事会に出て、夕方に梅やんの介護の泊りに木沢へ向かいます。
明日は梅やんの誕生日です。満90歳になります。それでは今日はこの辺で。



みなみの梅やん介護日誌 2つのケアプラン

2019-08-23 04:41:27 | 日記
昨日の梅やんは無事にデイサービスにいてきました。私は午前中草刈りをして、四季美谷温泉で昼食を食べ、山の景色を写しに西三子山のふもとの北浦へいてきました。2時から高校野球決勝戦のテレビ観戦です。
剣山一ノ森方面、母校跡の裏山から

年金暮らしになると、このような生活が出来るとは若い頃は思いもよらないものです。
やがて、8月25日、梅やんは満90歳になります。これも思いもよらないものです。
平成23年8月のケアプラン左部分
平成23年8月のケアプラン右部分
これは梅やんの第1回目の居宅介護支援計画です。私は、週1回のデイサービスで経過を見てもらい、土日に私が帰って薬の管理や買い物をすれば良い、8月は盆もあるし、いけると考えていました。ヘルパー派遣の事業所からは片道40分かかる山奥なので使えませんでした。けれど、このプランは実践してみてまったく無理でした。自分で処方通りに薬を飲むことも食事をとることも出来ず、9月に熱発して入院になりました。せん妄状態でした。
退院して、ヒソウネへ行く
退院後の梅やんはボーっとしています。ヒソウネを訪ねて従姉妹と写した写真です。2011年10月。

現在のケアプランは随分と進化しています。

令和元年9月のケアプラン
まだ2つのデイサービス事業所を併用して三好市と那賀町を行ったり来たり出来ています。遠いようですが両自治体は剣山を境にして隣なのです。
山の向こうは三好市東祖谷
昔、平家の残党は屋島沖の合戦に敗れて、讃岐山地を越えて井川町井内谷から祖谷山へ入り剣山周辺に移動して文化をもたらしたようです。木沢の岩倉集落には平家を祀る祠があります。
午後11時、まだ寝ないで洗い物する梅やん
梅やんは82歳から90歳まで8年間、木沢診療所の自治医大出身の先生方にお世話になりながら、那賀町社会福祉協議会のケアプランにより、三好市の通所介護事業所と木沢の通所介護事業所との併用で何とかやってこれました。みなさんのおかげです。山深い故郷に文化をもたらせてくれた先人のご苦労を思えば、これからもまだしばらくはやっていけるでしょう。

それでは今日はこの辺で。週末の私だけの移動日です。



みなみの梅やん介護日誌 会話にならない梅やん

2019-08-22 05:10:23 | 日記
昨日は梅やんと私が上那賀病院で胃カメラと腹部エコーの検査をしました。梅やんは年相応の状態、私はエコーは太り過ぎで深いところは見えない、胃カメラはタコイボ胃炎で組織採取でした。鼻から管を入れる手技で、梅やんはまったく平気でした。
上那賀病院を出る梅やん
正午前に終えて、途中、フミ叔母宅によりカボチャときゅうりのおかずをもらい、社協にて来月のケアプランを作って、帰宅しました。
庭の掃除
蒸し暑い午後でした。居間にクーラーをつけて私が寝ていると、梅やんが3回も「飯を炊こうか、飯が足らん!」と言うてきます。しまいには麦茶を飲んだ空の500ccのペットボトルを投げつけると、「出ていてくれ、ここはワシのウチじゃ、生活保護受けても1人でおる」と怒り出しました。やはり日中預かりがないと親子ゲンカが絶えません。
会話にならない。「この家建てるのに瀬津のじいさんが1万円もくれた」と更に言うてきます。それは66年前の事だと、私が言うと、「そんなことはない、じいさんは最近死んだ」と言います。会話にならないことが最近は増えました。
夕方の山
夕方になると気温が下がり涼しくなりました。夕食後の薬を出してあげると、錠剤が多いからといって半分残してありました。このように時々、薬を残すことがあります。何とか、平穏に1日が終わりました。

今日は、私は家の草刈りをします。梅やんはデイサービスです。朝にはコオロギが鳴いています。立秋を過ぎたらやはり秋です。それでは今日はこの辺で。