みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 明日の敬老会前に散髪をする梅やん

2019-09-13 03:24:22 | 日記
昨日、私は家の杉垣の剪定作業をした後、梅やんをデイサービスへ迎えに行きそのまま、マツモトで梅やんの散髪をしてもらいました。
すんがきの散髪
実家の杉垣は梅やんが80歳位までは自らしておりました。短くしても2〜3年でいっぱいに生えてきます。
庭鳥を追う梅やん
散髪をした梅やんは家に帰ると、冬のセーターを着て冬のモンペイを履いています。
六郎山1287mの月
昔、木地師がいたロクロウ山
夜になって、私は散歩に出ました。六郎山に丸い月が出ています。昔、私が中学生の冬休みの頃、夏切り山の父リキさんの仕事場へ手伝いに行ったのを思い出しました。その日、六郎山に夕陽が陰る日没までチェンソーを使っていたリキさん。リキさんは94歳で亡くなり、梅やんも90歳の敬老会に出られるようになるまで生きてきました。20離れていた年月があと4つまで近づいて来ました。
四国電力の街灯が照らす梅やんの家
今日は那賀町主催の木沢地区敬老会です。3人きょうだい、梅やん、フミ叔母、チイ叔母そろって出席します。
それでは今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 アホでボケた梅やん

2019-09-11 20:16:40 | 日記
今夜のこと、梅やんに明後日は敬老会だと、告げたら変な記憶をしていて、夜用の紙パンツ排尿5回分をはけといっても、「こんなの履いても明後日までは持つまい!」と言って履こうとしませんでした。アホでボケた梅やんしか居りません。
夕食後の薬を飲む梅やん
風邪は大したことない様です。
それでは今日はこの辺で。 夏切り山の夜


みなみの梅やん介護日誌 あん橋

2019-09-11 06:03:07 | 日記
昨日の朝は沢谷のススキが綺麗な穂をつけて並んでいました。この辺りに同級生の家があったはずです。川底に近いところを国道193号線が通っています。
私は上板町で所用を済ませて、また木沢へ峠道を往復しました。 高城山
雨上がりのあん橋
あん橋は山の上の学校へ通った懐かしい橋です。
梅やんはデイサービスの後、木沢診療所で骨粗しょう症の注射と風邪の薬をもらいました。
チイ叔母が坂州の診療所まで来てくれて、カキマゼ寿司をいただきました。しばらくの間、3人でアイスキャンデーを食べながら話ししました。
カキマゼを食べる梅やん
夜には「明日の飯が無い。探してもコメがない。ああしんどい!」と探し回ってあきらめて11時前に寝ました。カキマゼがあるし、残りの飯も冷蔵庫にあるのに。
今日もデイサービスがあり、昼間は預かってくれます。同じような昼と夜が秋になっても続きます。
9月13日は敬老会です。今日はこの辺で。

みなみの梅やん介護日誌 私の休日は月曜日

2019-09-09 16:03:50 | 日記
今日は朝8時過ぎまで寝ました。味噌汁はたかずに梅やんの朝食をパンと牛乳にしてすませて、梅やんの体温計は35度8分で咳は少なく鼻汁程度なので、デイサービスに行ってもらいました。
台風が千葉県に上陸した影響で、木沢も蒸し暑い1日でした。私は扇風機をかけて横になり休憩の1日でした。
2018年平成30年3月のケアプラン
梅やんの古い記録を見てみました。
同じ梅やんのケアプラン
当時83歳の梅やんは2011年、平成23年10月から那賀町に住民票を置いたままで、月の大半を三好市井川町の次男の家に移り毎日、日中預かりしてもらいました。そこは認知症専門のデイサービスセンターです。同時に月1〜2回は従来からの木沢社会福祉協議会デイサービスに預けています。7年間続けました。
六郎山の月
櫁谷の水蒸気が雲になる夕空
主治医は町立木沢診療所長です。1〜2年で変わりますが引き継いでもらいます。月1〜2回の受診です。

投薬は、アリセプト錠、すなわち塩酸ドネプシドです。6年間飲みました。椎体外路障害や便失禁、便秘がひどくなり、その後約半年、薬なしで休みました。状態が良くなり気分も良好になりました。平成30年5月からイクセロンパッチ13、5mg、すなわちリバスチグミンを貼っています。今回、メマリー錠、すなわちメマンチンを追加して飲み始めました。イクセロンパッチとメマリーの併用です。9年目の治療に入ります。90歳になりました。
テレビを見る梅やん
『認知症疾患診療ガイドライン』では、アルツハイマー型認知症の治療のアルゴリズム ②の項で「コリンエステラーゼ阻害薬とメマンチンが併用されていない場合には併用を考慮する。」との記載があります。
『認知症診療ガイドライン』から
椎体外路障害ツイタイガイロショウガイというのは、手足が震えたり、小刻みに歩行する様になったりし始めたことです。今はほとんど見立たなくなりました。

今夜の梅やんは、デイサービスから帰り、「ああ、せこい。頭が痛い」と言っていますが、いつもの訴えなのでそのままにしておきます。明日はデイサービスの後、木沢診療所です。それでは今日はこの辺で。


みなみの梅やん介護日誌 小便せず、咳をする梅やん

2019-09-09 04:56:52 | 日記
神山の神輿かき
昨日は日曜。
梅やんを迎えに行った時、敬老会は13日だよ、と告げました。すると梅やんは半時間余りの間に「敬老会はいつあるんか?」と5回も聞いてきました。13日、13日、13日、13日、13日。梅やんは敬老会は覚えられるのか?次の13日が覚えられません。最初のことは覚えられるんだ。次がダメなんだ。
梅やんは午後3時半過ぎに徳島市のセツ姉宅から、かつての有料道路を渡り、新浜で右折して佐那河内経由の神山道から木沢へ帰りました。途中、神山で神輿担ぎに会いました。若い人ばかりです。
那賀町へ
ドス峠は涼しい
市内は蒸し暑くても神山に入るとそうでもなくなり、山の道は気分がそう快です。6時過ぎに家に着きました。雨が降った後のようです。庭の地面はぬかるんでいて、軒下の洗濯物は湿っています。
梅やんの夕食
梅やんは奇妙なことに途中の小便をしないで家まで着きました。時々、咳はしているから夏風邪かもしれません。
夕食は、セツ姉がカボチャや椎茸のおかずを作って持たせてくれたのでおかずが沢山ありました。カボチャはフミ叔母に頂いた物です。
リキさん死後の8年間は、梅やんの独り暮らしでした。写真のような食事風景だったのでしょう。今日のデイサービスはどうするか。すでに、朝のニワトリが鳴いています。
それでは今日はこの辺で。