■スティーブ・ライヒ Steve Reich 1936~
『エイト・ラインズ』Eight Lines (1983) ……『八重奏曲』Octet (1979) のアレンジ
ジョナサン・ノット指揮 Jonathan Nott
アンサンブル・アンテルコンタンポラン Ensemble Intercontemporain
2000年 パリ シャトレ座でのライブ映像
初期の『カム・アウト』Come Out (1966) 『ピアノ・フェイズ』Piano Phase (1967) 『バイオリン・フェイズ』Violin Phase (1967) などでは「反復とズレ」によるミニマルミュージックを実践していたが、70年代後半には「ズレ」は影を潜め、フェイズ(反復の単位)の形態をさらに大きな周期で変えていったり、アンサンブルの中で前景となる楽器を微妙に交代させたりする方法に移行している。アフリカのリズムに学んだため、ジャズとクラシックを融合させたような雰囲気も感じられる。
ユダヤ系の出自にも関わる政治的メッセージを込めたオペラも書いているが(その一例が前回に観た『スリー・テイルズ』)、メッセージを表わすのに最適と思われる「メロディ」を排除して、あくまで平坦な、「引き延ばされた瞬間」のイメージで象徴的伝達がなされるところが特徴である。
■ジョン・ケージ John Cage 1912~1992
インゴ・メッツマッハー指揮 Ingo Metzmacher
アンサンブル・モデルン Ensemble Modern
『プリペアド・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲』(1951)
Concerto for Prepared Piano and Chamber Orchestra
ピアノの弦にいろいろな物を挟んで金属的な音を出すプリペアド・ピアノは、ピアノが打楽器であることを改めて思い出させてくれる。
『ピアノと管弦楽のためのコンサート』(1957-58)
Concert for piano and orchestra
すべての演奏者がソロとして、時計の針を演じる指揮者にのみ合わせてそれぞれが自由に演奏する。楽譜にはタイミングだけが指定。こうしたあからさまな実験芸術だけでなく、古典芸術も含めて芸術作品とはすべて偶然の産物なのだという事実が改めて思い起こされるだろう。
アメリカというとハリウッド映画からコカコーラ、ハンバーガーに至るまで、大衆的通俗文化のるつぼのようなイメージを抱かれがちだが、世界最先端の実験的芸術の発信地でもあり続けている。ケージのような「わかりづらい」前衛音楽、ライヒのような「わかりやすい」前衛音楽を聴いていると、アメリカ文化の〈柔軟性と偏執性〉という対立性質の融合ぶりに今さらながら感服させられる。
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なお、レポート提出の要領については、↓のコメントをクリックしてご覧ください。
『エイト・ラインズ』Eight Lines (1983) ……『八重奏曲』Octet (1979) のアレンジ
ジョナサン・ノット指揮 Jonathan Nott
アンサンブル・アンテルコンタンポラン Ensemble Intercontemporain
2000年 パリ シャトレ座でのライブ映像
初期の『カム・アウト』Come Out (1966) 『ピアノ・フェイズ』Piano Phase (1967) 『バイオリン・フェイズ』Violin Phase (1967) などでは「反復とズレ」によるミニマルミュージックを実践していたが、70年代後半には「ズレ」は影を潜め、フェイズ(反復の単位)の形態をさらに大きな周期で変えていったり、アンサンブルの中で前景となる楽器を微妙に交代させたりする方法に移行している。アフリカのリズムに学んだため、ジャズとクラシックを融合させたような雰囲気も感じられる。
ユダヤ系の出自にも関わる政治的メッセージを込めたオペラも書いているが(その一例が前回に観た『スリー・テイルズ』)、メッセージを表わすのに最適と思われる「メロディ」を排除して、あくまで平坦な、「引き延ばされた瞬間」のイメージで象徴的伝達がなされるところが特徴である。
■ジョン・ケージ John Cage 1912~1992
インゴ・メッツマッハー指揮 Ingo Metzmacher
アンサンブル・モデルン Ensemble Modern
『プリペアド・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲』(1951)
Concerto for Prepared Piano and Chamber Orchestra
ピアノの弦にいろいろな物を挟んで金属的な音を出すプリペアド・ピアノは、ピアノが打楽器であることを改めて思い出させてくれる。
『ピアノと管弦楽のためのコンサート』(1957-58)
Concert for piano and orchestra
すべての演奏者がソロとして、時計の針を演じる指揮者にのみ合わせてそれぞれが自由に演奏する。楽譜にはタイミングだけが指定。こうしたあからさまな実験芸術だけでなく、古典芸術も含めて芸術作品とはすべて偶然の産物なのだという事実が改めて思い起こされるだろう。
アメリカというとハリウッド映画からコカコーラ、ハンバーガーに至るまで、大衆的通俗文化のるつぼのようなイメージを抱かれがちだが、世界最先端の実験的芸術の発信地でもあり続けている。ケージのような「わかりづらい」前衛音楽、ライヒのような「わかりやすい」前衛音楽を聴いていると、アメリカ文化の〈柔軟性と偏執性〉という対立性質の融合ぶりに今さらながら感服させられる。
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