三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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2007/6/25

2000-03-04 22:04:28 | 映示作品データ
■スティーブ・ライヒ Steve Reich  1936~

 『エイト・ラインズ』Eight Lines (1983) ……『八重奏曲』Octet (1979) のアレンジ
 ジョナサン・ノット指揮 Jonathan Nott
 アンサンブル・アンテルコンタンポラン Ensemble Intercontemporain
 2000年 パリ シャトレ座でのライブ映像

 初期の『カム・アウト』Come Out (1966) 『ピアノ・フェイズ』Piano Phase (1967) 『バイオリン・フェイズ』Violin Phase (1967) などでは「反復とズレ」によるミニマルミュージックを実践していたが、70年代後半には「ズレ」は影を潜め、フェイズ(反復の単位)の形態をさらに大きな周期で変えていったり、アンサンブルの中で前景となる楽器を微妙に交代させたりする方法に移行している。アフリカのリズムに学んだため、ジャズとクラシックを融合させたような雰囲気も感じられる。
 ユダヤ系の出自にも関わる政治的メッセージを込めたオペラも書いているが(その一例が前回に観た『スリー・テイルズ』)、メッセージを表わすのに最適と思われる「メロディ」を排除して、あくまで平坦な、「引き延ばされた瞬間」のイメージで象徴的伝達がなされるところが特徴である。

■ジョン・ケージ  John Cage 1912~1992

インゴ・メッツマッハー指揮  Ingo Metzmacher
アンサンブル・モデルン  Ensemble Modern

 『プリペアド・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲』(1951)
Concerto for Prepared Piano and Chamber Orchestra
 ピアノの弦にいろいろな物を挟んで金属的な音を出すプリペアド・ピアノは、ピアノが打楽器であることを改めて思い出させてくれる。

 『ピアノと管弦楽のためのコンサート』(1957-58)
Concert for piano and orchestra
 すべての演奏者がソロとして、時計の針を演じる指揮者にのみ合わせてそれぞれが自由に演奏する。楽譜にはタイミングだけが指定。こうしたあからさまな実験芸術だけでなく、古典芸術も含めて芸術作品とはすべて偶然の産物なのだという事実が改めて思い起こされるだろう。

 アメリカというとハリウッド映画からコカコーラ、ハンバーガーに至るまで、大衆的通俗文化のるつぼのようなイメージを抱かれがちだが、世界最先端の実験的芸術の発信地でもあり続けている。ケージのような「わかりづらい」前衛音楽、ライヒのような「わかりやすい」前衛音楽を聴いていると、アメリカ文化の〈柔軟性と偏執性〉という対立性質の融合ぶりに今さらながら感服させられる。

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2007/6/18

2000-03-04 01:39:29 | 映示作品データ
スリー・テイルズ 1998-2002
Three Tales

音楽 スティーブ・ライヒ Steve Reich
映像 ベリル・コロット Beryl Korot
(↑この二人は夫婦)

第1部 Hindenburg  1937年5月6日、ドイツの硬式飛行船・ヒンデンブルク号が大西洋横断後、アメリカニュージャージー州レイクハーストで着陸時に突如爆発、炎上した事件をテーマに。実写フィルムとラジオ放送などで構成。1998年作。
第2部 Bikini 1946年から52年にかけてマーシャル諸島のビキニ環礁で行なわれた一連の原爆実験をテーマに。記録フィルムと交信記録を再構成。2001年作。
第3部 Dolly 1996年に生まれた(発表は1997年)クローン羊ドリーと、生命科学・ロボット工学をテーマに。進化生物学者、コンピュータ科学者、ロボット研究者ら多くの科学者へのインタビューで構成。2002年作。

 音楽に映像を合わせたのか、映像に音楽を合わせたのか、微妙なシンクロぶりが見もの。ビデオ・アートだが、ジャンルとしては「オペラ」に属する。普通の声(ニュース音声やインタビューなど)が断片化され、メロディ化しているありさまは、まさにオペラだと納得されるだろう。ジャンルを「オペラ」と書いた正解者は、1人だけでした。10人程度の人が「ミュージカル」と答えていたが、ミュージカルの場合はドラマ部分と歌の部分が分かれており、全体がもっと写実的かつ演劇的になる。この作品の場合は、全体が編集され尽くして音と映像が融合しきっているので、ミュージカルよりもずっと「様式的」になり、演劇よりは舞踏に近く、やはり「オペラ」としか言いようのない形態をとることになった。
 ただし、あらかじめ台本が書かれているのではなく、偶然与えられた音声のパターンを利用するように映像と音が配置されているので、「逆オペラ」とでも呼ぶべき新ジャンルをなしている。パフォーマーが楽譜に合わせるのではなく、楽譜と映像デザインのほうがパフォーマー(発言者)に合わせる仕組みである。
 さて、テクノロジーがテーマになっていることはわかりすぎるほどだが、この作品のメッセージは何だろう、観客に何を考えさせようとしているのだろう。
 少なくともこれはありがちなテクノロジー批判の作品ではない。それは、このビデオアートそのものがさまざまな映像処理・音響処理においてテクノロジーを利用しまくっていることでもわかる。「神の領域を侵す」と言って思考停止のまま新テクノロジーを拒否する人々はいつの時代にもいるが、そうした姿勢をこそ戒めているようでもある。とにかく考えることが重要であると。そのためには直接の語りかけ・プロパガンダよりも、音楽と映像デザインによる「象徴的な」表現が適しているのである。
 「ドリー」に出てきたロボット「キスメット」と開発者の女性がラストシーンで会話をしているが、オランウータンやチンパンジーとの手話の光景にそっくりである。「人間は、動物はマシーン」というフレーズが何度も反復された。「マシーン」という語が決して貶めるための悪口ではないことに注意したい。『スリー・テイルズ』ほど環境保護系のお説教から遠い作品はないのだから。