■『聖戦3年 聖戦4年』
1939~ 40年 日本 陸軍省情報部制作
1937年以降の中国戦線の様子を、ニュース映画のダイジェスト編集版で伝える戦記ドキュメンタリー。
ナレーションに「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」という言葉が頻出する。「膺懲」とは、「征伐してこらしめる」という意味。「我が方の不拡大方針、平和的解決の努力も暴戻支那側の不信に蹂躙され、ここに隠忍自重の我もついに正義人道のため、さらに東洋平和のために暴支膺懲の軍を進めたのであります」といったナレーションが得々と淡々と、日本軍進撃路を示す矢印アニメとともに進んでゆくこの映画を、当時の日本人は、ちょうどオリンピックやワールドカップで日本選手が大活躍しているのを見るような誇らしい気持ちで観ていたのだろう。満州事変以来の日本軍の暴走は、熱狂的な世論の支持によって行なわれた。新聞は、軍の行動を批判する記事を書くと購読者からそっぽを向かれて売れなくなってしまうので、次第に戦争賛美の記事を多く載せるようになっていった。
日本の戦争は決して政府や軍によって国民に押しつけられた苦難ではなく、一般の民衆自身が率先して後押しした戦争だったのである。
それにしても、明確な目的も持たずに中国奥地へ軍を進めて、それを「正義」「平和」などの抽象的なスローガンで正当化する日本帝国の無謀さは、いま見ると醜いの一言に尽きるが、当時は大多数の国民があれを「勇ましい」「美しい」「正しい」と感じていたのである。環境的文脈の変化による価値意識の変化は驚くべきものがある。
■『アリューシャン航空作戦』Report from Aleutians
1942~43年、アメリカ 陸軍省制作
42年6月に日本軍が占領したアリューシャン列島(とくにアッツ島、キスカ島)に対するアメリカ軍の反攻をカラーで記録した映画。人の住まない辺境の地を奪いあう虚しさが伝わるが、店も工場もない島に物資を運び込み飛行場を建設する努力が比較的明るいムードで描かれる。アリューシャン列島はアメリカの領土(アラスカ州の一部)なので、単に占領されているというだけで我慢のならないことだった。映画の中では、「戦略的にきわめて重要な地」というナレーションが何度か語られたが、実際は大戦中にアリューシャン列島が重要な役割を果たしたことは一度もなく、アメリカ領土を日本軍がしばらく奪っていたという象徴的な意味がもっぱら注目される。
前線での兵士の様子を同じく描いていても、皇族が画面に登場するたびに「脱帽」と文字が出る日本のニュース映画に比べ、上官も部下も隔てなく交流しているといったフレンドリーな感じを前面に出しているのがアメリカのニュース映画だ。しかし、敵の姿が一切映っておらず、戦闘の血生臭さが映像から消されているところは共通している。対空砲によって爆撃機の腹に空けられた穴などによって間接的に敵の存在が仄めかされるだけだ。
43年5月、アッツ島にアメリカ軍11000人が上陸し、日本軍守備隊2600人は全滅した。キスカ島は8月、すでに日本軍が撤退したことに気づかずにアメリカ軍航空隊は無人の島を一週間以上爆撃し続け、上陸したアメリカ・カナダ軍35000人は同士討ちなどで20人以上が死亡し、負傷者は300人にも及んだという。敵が一人もいなくてもこの有様なのだから、戦争とはつくづく愚かな行為であることがわかる。
ほとんど戦術的に重要でない土地を、単に国の誇りのためだけに奪いあい殺しあう不毛さがこの上なく伝わってくる戦線が、このアリューシャン戦線であると言えよう。
キスカ島撤退作戦を描いた日本映画に、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年、東宝)がある。
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1939~ 40年 日本 陸軍省情報部制作
1937年以降の中国戦線の様子を、ニュース映画のダイジェスト編集版で伝える戦記ドキュメンタリー。
ナレーションに「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」という言葉が頻出する。「膺懲」とは、「征伐してこらしめる」という意味。「我が方の不拡大方針、平和的解決の努力も暴戻支那側の不信に蹂躙され、ここに隠忍自重の我もついに正義人道のため、さらに東洋平和のために暴支膺懲の軍を進めたのであります」といったナレーションが得々と淡々と、日本軍進撃路を示す矢印アニメとともに進んでゆくこの映画を、当時の日本人は、ちょうどオリンピックやワールドカップで日本選手が大活躍しているのを見るような誇らしい気持ちで観ていたのだろう。満州事変以来の日本軍の暴走は、熱狂的な世論の支持によって行なわれた。新聞は、軍の行動を批判する記事を書くと購読者からそっぽを向かれて売れなくなってしまうので、次第に戦争賛美の記事を多く載せるようになっていった。
日本の戦争は決して政府や軍によって国民に押しつけられた苦難ではなく、一般の民衆自身が率先して後押しした戦争だったのである。
それにしても、明確な目的も持たずに中国奥地へ軍を進めて、それを「正義」「平和」などの抽象的なスローガンで正当化する日本帝国の無謀さは、いま見ると醜いの一言に尽きるが、当時は大多数の国民があれを「勇ましい」「美しい」「正しい」と感じていたのである。環境的文脈の変化による価値意識の変化は驚くべきものがある。
■『アリューシャン航空作戦』Report from Aleutians
1942~43年、アメリカ 陸軍省制作
42年6月に日本軍が占領したアリューシャン列島(とくにアッツ島、キスカ島)に対するアメリカ軍の反攻をカラーで記録した映画。人の住まない辺境の地を奪いあう虚しさが伝わるが、店も工場もない島に物資を運び込み飛行場を建設する努力が比較的明るいムードで描かれる。アリューシャン列島はアメリカの領土(アラスカ州の一部)なので、単に占領されているというだけで我慢のならないことだった。映画の中では、「戦略的にきわめて重要な地」というナレーションが何度か語られたが、実際は大戦中にアリューシャン列島が重要な役割を果たしたことは一度もなく、アメリカ領土を日本軍がしばらく奪っていたという象徴的な意味がもっぱら注目される。
前線での兵士の様子を同じく描いていても、皇族が画面に登場するたびに「脱帽」と文字が出る日本のニュース映画に比べ、上官も部下も隔てなく交流しているといったフレンドリーな感じを前面に出しているのがアメリカのニュース映画だ。しかし、敵の姿が一切映っておらず、戦闘の血生臭さが映像から消されているところは共通している。対空砲によって爆撃機の腹に空けられた穴などによって間接的に敵の存在が仄めかされるだけだ。
43年5月、アッツ島にアメリカ軍11000人が上陸し、日本軍守備隊2600人は全滅した。キスカ島は8月、すでに日本軍が撤退したことに気づかずにアメリカ軍航空隊は無人の島を一週間以上爆撃し続け、上陸したアメリカ・カナダ軍35000人は同士討ちなどで20人以上が死亡し、負傷者は300人にも及んだという。敵が一人もいなくてもこの有様なのだから、戦争とはつくづく愚かな行為であることがわかる。
ほとんど戦術的に重要でない土地を、単に国の誇りのためだけに奪いあい殺しあう不毛さがこの上なく伝わってくる戦線が、このアリューシャン戦線であると言えよう。
キスカ島撤退作戦を描いた日本映画に、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年、東宝)がある。
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