『ロード・トゥ・トーキョー』Road to Tokyo (2006年、アメリカ)
全13話のうち第2、3話
戦後61年経って作られたドキュメンタリーであるだけに、戦争中に公開されたジョン・フォード作品(前回)とはかなり異なっている。
まず、真珠湾攻撃の体験者である元兵士へのインタビューの比重が大きい(戦争中の映画では、兵士への直接インタビューは考えられないだろう)。語り手たちは、事件当時十代の若者だったこともあり、今の十代の青少年に語りかけているような口調である。「戦艦の中がどうなっているか知っているかな? 喫水線より下のほうが大きくて、5、6階分もあるんだ」などと、いかにも戦争を知らぬ世代を想定した語りが迫真的である。
ヨーロッパ戦線との関係を語っているところはかなり客観的なレポート調だ。第二次大戦中の分岐点として注目を集めがちな真珠湾攻撃だが、その全く同じ頃に、モスクワ近郊でドイツ軍の退却が始まっていたという出来事を提示して、東部戦線=独ソ戦争の重要性を思い出させている(東部戦線は日本でもアメリカでもとかく見過ごされやすいが、第二次大戦の主戦場はモスクワとベルリンの間であったことは忘れてはならない)。
真珠湾攻撃の成功の前兆として、1921~3年にアメリカ陸軍准将ミッチェルが行なった実験に触れているのも独特である。飛行機によって戦艦など各種艦艇を撃沈するデモンストレーションをして、これからは航空兵力の充実を図らねばならないことを説いたのだった。ミッチェルの実験の実写映像は貴重である。
同様に、真珠湾攻撃の成功の前兆として、1940年11~12日に、イギリスの空母艦載機によるイタリアのタラント軍港に対する奇襲攻撃にもしっかり触れていた。イギリス機21機が、イタリア海軍の戦艦3隻などに大損害を与えたのだった。日本軍は、このタラント空襲でのイギリスの攻撃法を研究し、真珠湾攻撃に生かしたのである。
真珠湾攻撃とそれに続くマレー沖海戦(イギリス艦2隻撃沈)で、飛行機を主兵器とする戦法が有効であることを実証して見せた日本軍だったが、当の日本が戦艦大和などの大艦巨砲主義にこだわり続け、真珠湾で敗北を喫したアメリカがすばやく空母主体の航空主兵論に切り替えることができたのは、真珠湾攻撃の皮肉である。戦艦を破壊されて空母が生き残ったがゆえの自然な戦術転換でもあっただろうが、それよりも、攻撃を成功させた側よりも被害を受けた側のほうが教訓を学びやすい、ということではなかろうか。
原爆攻撃を受けた日本が核兵器の恐ろしさを痛感し核廃絶を訴えているのに対し、攻撃側のアメリカはいっこうに核戦略を放棄しようとしないのも、同じ構図のように思われる。
授業の最初で2回見比べた原爆投下と、最後に2回見比べた真珠湾攻撃とは、学ぶべき教訓に類似性があり、相補的な対応があるとも言えるだろう。
全13話のうち第2、3話
戦後61年経って作られたドキュメンタリーであるだけに、戦争中に公開されたジョン・フォード作品(前回)とはかなり異なっている。
まず、真珠湾攻撃の体験者である元兵士へのインタビューの比重が大きい(戦争中の映画では、兵士への直接インタビューは考えられないだろう)。語り手たちは、事件当時十代の若者だったこともあり、今の十代の青少年に語りかけているような口調である。「戦艦の中がどうなっているか知っているかな? 喫水線より下のほうが大きくて、5、6階分もあるんだ」などと、いかにも戦争を知らぬ世代を想定した語りが迫真的である。
ヨーロッパ戦線との関係を語っているところはかなり客観的なレポート調だ。第二次大戦中の分岐点として注目を集めがちな真珠湾攻撃だが、その全く同じ頃に、モスクワ近郊でドイツ軍の退却が始まっていたという出来事を提示して、東部戦線=独ソ戦争の重要性を思い出させている(東部戦線は日本でもアメリカでもとかく見過ごされやすいが、第二次大戦の主戦場はモスクワとベルリンの間であったことは忘れてはならない)。
真珠湾攻撃の成功の前兆として、1921~3年にアメリカ陸軍准将ミッチェルが行なった実験に触れているのも独特である。飛行機によって戦艦など各種艦艇を撃沈するデモンストレーションをして、これからは航空兵力の充実を図らねばならないことを説いたのだった。ミッチェルの実験の実写映像は貴重である。
同様に、真珠湾攻撃の成功の前兆として、1940年11~12日に、イギリスの空母艦載機によるイタリアのタラント軍港に対する奇襲攻撃にもしっかり触れていた。イギリス機21機が、イタリア海軍の戦艦3隻などに大損害を与えたのだった。日本軍は、このタラント空襲でのイギリスの攻撃法を研究し、真珠湾攻撃に生かしたのである。
真珠湾攻撃とそれに続くマレー沖海戦(イギリス艦2隻撃沈)で、飛行機を主兵器とする戦法が有効であることを実証して見せた日本軍だったが、当の日本が戦艦大和などの大艦巨砲主義にこだわり続け、真珠湾で敗北を喫したアメリカがすばやく空母主体の航空主兵論に切り替えることができたのは、真珠湾攻撃の皮肉である。戦艦を破壊されて空母が生き残ったがゆえの自然な戦術転換でもあっただろうが、それよりも、攻撃を成功させた側よりも被害を受けた側のほうが教訓を学びやすい、ということではなかろうか。
原爆攻撃を受けた日本が核兵器の恐ろしさを痛感し核廃絶を訴えているのに対し、攻撃側のアメリカはいっこうに核戦略を放棄しようとしないのも、同じ構図のように思われる。
授業の最初で2回見比べた原爆投下と、最後に2回見比べた真珠湾攻撃とは、学ぶべき教訓に類似性があり、相補的な対応があるとも言えるだろう。