BLACKTOP
1952年
10:49
監督:チャールズ&レイ・イームズ Charles & Ray Eames
●DVD
EAMES FILMS:チャールズ&レイ・イームズの映像世界
家具などのインダストリアル・デザインの世界で有名なイームズ夫妻の実験映像。
「ブラックトップ」とはアスファルトの舗装道路という意味だが、文字通り、どこにでもあるアスファルトの庭だか駐車場だか道路だかの上を流れてゆく水と洗剤の泡を撮っただけの作品。
簡素すぎるほどのミニマリズムだが、バッハのハープシコード曲のBGMと水の流れとが微妙にマッチして、不思議な陶酔感を醸し出す。太陽がときおり映って、まるで大海原か雲海のように見える瞬間もある。しかししょせんは路上の汚水なので、枯葉や汚れがいっしょに流れてきたりして、ふと我に返らされたりする。ロマンチックな幻想と俗っぽい日常感覚とが、ミクロな視線の中で交錯する。
「汚れた水なので見ていて美しいと感じられず、楽しくなかった」と書いている人がいた。もちろん、「美」や「快」とは程遠い作品である。「美」や「快」はもともと、クジャクの羽やウグイスの声のような、オスがメスを誘惑するときに用いる生理学的性質であり、生物学的本能にもとづいた原初的芸術の特質でもある。現代芸術は、原初的芸術とは異なり、生物学的な必要性の束縛から自由になったところに展開してきた。もちろん、ハリウッド映画のように、金と技術をつぎ込んで、「美」「快」を量的極限まで高めて観客サービスに徹し、興業的成功を勝ち取ろうという「芸術の進化論的初心」を保った保守的分野も現在盛況をきわめている。しかし現代の芸術的実験の大半は、オスがメスの気を惹くために使ったお定まりの手練手管とは違う、文明世界独自の新しい価値を見出そうと「質的な」工夫を凝らしている。その一例が、今回のミニマリズム映像「BLACKTOP」である。
世界的にハリウッド映画が最も成功しているのは、文明化された人間にとっても、生物学的・本能的生理の占める重要性が依然として大きいことの証明だろう。多くの人の目には、物理学者や数学者や哲学者よりも、スポーツ選手やポピュラー歌手のほうが「カッコよく」見えるのも進化論的本能ゆえである。しかしだからこそ、じっと路上を見つめる視線に意義を見出すような、反ハリウッド的・反本能的価値観に目覚めるところに、文化的自意識の未知の可能性があるのではなかろうか。生物学的生理にもとづいた「美」「快」とは別のレベルに成立する非ハリウッド的諸作品をこれから見ていこう。
↑ここからが、
2007年後期「文学講義【ノン・フィクション】D-2」「言語と社会」です。
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1952年
10:49
監督:チャールズ&レイ・イームズ Charles & Ray Eames
●DVD
EAMES FILMS:チャールズ&レイ・イームズの映像世界
家具などのインダストリアル・デザインの世界で有名なイームズ夫妻の実験映像。
「ブラックトップ」とはアスファルトの舗装道路という意味だが、文字通り、どこにでもあるアスファルトの庭だか駐車場だか道路だかの上を流れてゆく水と洗剤の泡を撮っただけの作品。
簡素すぎるほどのミニマリズムだが、バッハのハープシコード曲のBGMと水の流れとが微妙にマッチして、不思議な陶酔感を醸し出す。太陽がときおり映って、まるで大海原か雲海のように見える瞬間もある。しかししょせんは路上の汚水なので、枯葉や汚れがいっしょに流れてきたりして、ふと我に返らされたりする。ロマンチックな幻想と俗っぽい日常感覚とが、ミクロな視線の中で交錯する。
「汚れた水なので見ていて美しいと感じられず、楽しくなかった」と書いている人がいた。もちろん、「美」や「快」とは程遠い作品である。「美」や「快」はもともと、クジャクの羽やウグイスの声のような、オスがメスを誘惑するときに用いる生理学的性質であり、生物学的本能にもとづいた原初的芸術の特質でもある。現代芸術は、原初的芸術とは異なり、生物学的な必要性の束縛から自由になったところに展開してきた。もちろん、ハリウッド映画のように、金と技術をつぎ込んで、「美」「快」を量的極限まで高めて観客サービスに徹し、興業的成功を勝ち取ろうという「芸術の進化論的初心」を保った保守的分野も現在盛況をきわめている。しかし現代の芸術的実験の大半は、オスがメスの気を惹くために使ったお定まりの手練手管とは違う、文明世界独自の新しい価値を見出そうと「質的な」工夫を凝らしている。その一例が、今回のミニマリズム映像「BLACKTOP」である。
世界的にハリウッド映画が最も成功しているのは、文明化された人間にとっても、生物学的・本能的生理の占める重要性が依然として大きいことの証明だろう。多くの人の目には、物理学者や数学者や哲学者よりも、スポーツ選手やポピュラー歌手のほうが「カッコよく」見えるのも進化論的本能ゆえである。しかしだからこそ、じっと路上を見つめる視線に意義を見出すような、反ハリウッド的・反本能的価値観に目覚めるところに、文化的自意識の未知の可能性があるのではなかろうか。生物学的生理にもとづいた「美」「快」とは別のレベルに成立する非ハリウッド的諸作品をこれから見ていこう。
↑ここからが、
2007年後期「文学講義【ノン・フィクション】D-2」「言語と社会」です。
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