三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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2007/11/26

2000-03-11 00:54:48 | 映示作品データ
前回『オテサーネク』と同じシュワンクマイエル監督の『アリス』前半だけをまず観ていただきました。

■ヤン・シュワンクマイエル『アリス』1988年
      (スイス、西ドイツ、イギリス合作)←監督はチェコ人だが、しばしば外国資本に頼って制作する(思想的理由もあるらしい)
監督 : Jan Svankmajer
原作 : Lewis Carroll
脚本 : Jan Svankmajer
キャスト  Kristyna Kohoutova (Alice)

 アリスはほとんど表情を見せないまま、淡々と事件に遭遇してゆく。夢の中だから無感情なのかというと、夢の前後の、お姉さんといっしょにいるところでも無表情。(ただし、アリスが一度だけ「ウフフッ」と笑うシーンがあります。前半にはなかったが、気になる人はレンタルでもして全編を観てください)。
 『オテサーネク』のアルジュビェトカがやたらあれこれと大人顔負けの深読みや詮索をする「考えすぎ」の早熟少女であるのに対し、アリスは、機械的にナレーションを語りつつ現場では犬か猫のように場当たり的に反応してゆく「心なきマシーン」のような一種ゲームキャラ。超リアルなアルジュビェトカに対して、脱リアルというのか、超虚構的なアリス。このいずれの子どもキャラクターも、ハリウッド映画では見られないものである(あるいは極端なデフォルメとしてのみ採用されうる類型である)。
 ハリウッド的な子どもキャラクターは、被害者、天真爛漫などいくつかの類型があるが、いずれも、アルジュビェトカとアリスの中間に位置する、「いかにも子どもらしい感情表現」を豊かにあるいはバランスよくあるいは合理的に行なう「大人目線での子ども像」の代表といった感じ。
 そこで、改めてハリウッド的子どもを思い出していただくために、『オテサーネク』と同分野のホラー映画から実例を一作、冒頭だけ観ていただきました。

■『ゴーストシップ』 2002年 (アメリカ)
監督 Steve Beck
キャスト
Ron Eldard
Desmond Harrington
Isaiah Washington
Gabriel Byrne
Alex Dimitriades
Karl Urban
Emily Browning (少女)

 ホラー界では有名なシーンで、『ゴーストシップ』全編はこのオープニングの力だけによって引っ張られていたようなもの。ほんの5分に満たない時間の中に、「子どもが1人だけでつま~んない」→「老船員の心遣いでほぐれる」→「楽しい」→「超笑顔」→「驚愕」→「恐怖」と多種多様な感情を有機的に詰め込んでいる。状況や感情の激変による対照効果は、『アリス』にも『オテサーネク』にも見られなかった手法である。
 こうしてみるとつくづくハリウッド映画は、効率的に「感情」を描くのがうまいことを思い知ることができよう。「感情」は、映像内に描かれる感情のことでもあり、観客にもたらす感情的効果のことでもある。そして「感情」に焦点を絞っているということは、人間の最も原始的な、遺伝的本能の部分にアピールして効率的に効果を得ようとするのがハリウッド的手法だということである。
 遺伝的本能にアピールするのは、ハリウッド映画に限らず、ポップス音楽、スポーツ、オカルト、ミステリー、通俗小説、ヒューマンドキュメンタリーなど、大衆芸術の特徴である(芸術的純芸術と対比した意味での大衆芸術)。