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気になるインテルの不調 【連載】頑張れ!ニッポン⑭

2024-12-12 05:30:05 | 【連載】頑張れ!ニッポン

【連載】頑張れ!ニッポン⑭

気になるインテルの不調

 

釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)

 

 

▲インテルのマイクロプロセッサー

 

首位の座から滑り落ちたインテル

 最近インテルの不調が伝えられている。インテルと言えば、およそ20年もの間半導体売上世界ナンバーワンの座を守ってきた会社だ。以前紹介したように、インテルはフェアチャイルドからスピンアウトして誕生した会社である。そのフェアチャイルドもショックレー(トランジスタ発明者のひとり)がつくった「半導体研究所」からスピンアウトした会社だった。
 半導体黎明期から大きく成長するダイナミックなうねりの中で、世界1の半導体企業となったインテルは、注目を浴び続けた会社だと思う。インテルは半導体メモリのDRAM(ディーラム)を最初に開発した会社だったが、そのDRAM市場から追い出されて新たな居場所を求めた先がマイクロプロセッサーだった。
 インテルをDRAM市場から追い出したのは、ほかならぬNECなどの日本企業だったことはすでに述べた通りである。インテルはマイクロプロセッサーに特化することで圧倒的シェアを確保し、あらゆる手立てでそれを維持する事により、半導体売上世界1の座をNECから奪い取ったのである。この時期はパソコンの普及が進んだ時期であり、プロセッサーの需要が飛躍的に伸びた事が幸いし、20年近くもトップの座を守り続けたのだ。

4位に転落したインテル

 ところが、インテルは2022年に韓国のサムスンに抜かれて2位に後退する。2023年にトップに返り咲いたものの、2024年の第3四半期の速報値では、エヌヴィディアがダントツのトップになり、インテルはサムスン、ブロードコム等にも抜かれ、4位に転落した(調査会社のSemiconductor Intelligenceによる)。
 インテルがこのように業績悪化した要因の一つとして、パソコン向けプロセッサー市場においてAMD(Advanced Micro Devices)、アップルなどとの競争が激化したことがあげられる。一般にプロセッサーの高性能化が進むと、チップ内の温度が上昇する傾向があるが、インテルは消費電力を抑えて性能を上げる技術で、AMDやアップルに後れをとったと言われている。  
 また、7nm(ナノメータ)以下の微細化技術の確立にも遅れ、TSMCに水をあけられた。市場の変化への対応にも遅れが生じていることも指摘されている。パソコンの伸びが鈍化する一方で、AIやデータセンター向けの半導体需要が急上昇しているが、インテルはそれにも対応できていないようだ。このように、これまで盤石に見えていたインテルも、ここへきてあちらこちらでボロが出て来た。
 インテルの2024年4~6月期の最終利益は、約16億ドル(約2300億円)の赤字となったという。これまでインテルは半導体製造の初めから最後までを自社で行う垂直統合型のメーカとして紹介してきたが、実は受託製造事業(ファンドリービジネス)もやっており、その部門で巨額の赤字を出したと言われている。最先端のウエハプロセスには巨額の設備投資が必要であり、構築したラインの稼働率をできるだけ上げて投資の回収を早めたいという事情がある。

ンテルCEOのゲルシンガー氏が12月1日付で退任

 そこで自社の分だけでなく、他社の分の製造も受託する事になった。これを拡大させてファンドリービジネスを続けたが、うまく行かなかったようだ。インテルは赤字を続けるこの受託製造事業を分社化する事を表明した。今年の8月には従業員1万5000人を削減することも発表しており、CEOのパット・ゲルシンガー氏は12月1日付で退任した。が、これは事実上の解任と見ら
れている。
 一方で、TSMCやエヌヴィディアなどは業績を大きく伸ばしておりインテルと明暗を分ける形になっている。エヌヴィディアのAI向けGPU(画像処理用プロセッサー)は、データセンターやAI開発向けに大きく伸びていると伝えられている。対照的にインテルのプロセッサーはこの分野で伸び悩んでいるとの事である。
 ついにインテルの時代が終わりエヌヴィディアの時代が到来するのか。今後の動きから目が離せないところだが、老体の私には、そのような動きについて行くのは無理だろう。考えてみると、当ブログではもっぱら体験談などを中心に過去の事ばかりを話題にしてきたが、気が付くと、直近では飛んでもないことが起こっていたのだ。
 半導体事業における時の流れは、世間より3倍は早く流れるので、「ドッグイヤー」と呼ぶなどと言った。しかし、そうすると私が30.年前の事を回顧するのは、世間的に見れば1世紀も昔のことを述べているのに等しいのではないか。だから、「そんな昔の話をしても意味があるのか」と思うようになった。高額報酬を得ている証券アナリストさん達の様には行かないが、少しは直近の情報も調べねばならないかなと思う次第である。

 

【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】

昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)


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