【連載】頑張れ!ニッポン⑬
「セミコンジャパン」で時代の流れを知る
釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)
▲東京ビックサイト
今年は12月に東京ビッグサイトで
12月に入り今年も残り僅か。毎年この時期になると、月日の経つ早さを思い知らされる。ところで、12月は毎年「セミコンジャパン」という展示会が開催される時期だ。今年は12月11日(水)~13日(金)に東京ビッグサイトで開かれる。実は私が手伝っている社団法人もここに小さなブースを出しており、この3日間は応援でブースの「店番」をすることになっているのだ。
ちなみに、この展示会の主催者はセミジャパン。国際的な半導体・エレクトロニクス業界の団体であるSEMI(Semiconductor Equipment and Materials International)の日本支部である。SEMIは、日本以外にもサンフランシスコ(SEMICON West)、上海(SEMICON China)、台北(SEMICON Taiwan)、ソウル(SEMICON Korea)等の都市でも同様の展示会を開催している。
「セミコンジャパン」のホームページにアクセスして事前登録をすれば、誰でも無料で展示会に入場できるので、興味のある方は見学されては如何。とは言うものの、正直なところあまりお勧めは出来ない。何故なら展示内容が半導体関係者の私ですらあまり理解できないからである。
主要な半導体製造装置メーカが出展するほか、大小様々な材料・部品メーカや熊本県、鹿児島県などの地方自治体も出展しているので、それらを見て回ると半日かけて1万~2万歩は歩くことになるだろう。その割には余り中身が分からないので疲労感だけが残るかも。
それでも、露光装置、エッチング装置、組み立て装置などの本物を見ることができるかも知れない。しかし最近では、本体を展示するよりも、動画を見せるところが多いらしい。そんな中、いつも人だかりするのが、㈱ディスコのブースである。ダイシングマシーンのデモンストレーションを行うからだ。30㎝もあるシリコンウエハをチップ状に切り出す装置で、円盤状のダイヤモンドカッターで切り出す様子を見ることができる。
なぜか存在感が薄い韓国と台湾のブース
近年は半導体ユーザーである自動車メーカの出展も増えた。電動車世界トップのテスラー社が車体の中身を見られるようにして、バッテリーやインバーター装置を展示している。大勢の人だかりがしていたのは数年前の事だ。
海外企業の出展もあり、韓国、台湾、中国などからもブースを出しているが、あまり注目をされてない感じである。サムスンやTSMCという世界的な巨大企業を擁する韓国と台湾だが、セミコンジャパンでの存在感は何故か薄い。地味だが、ドイツやスイスからの出展も見かける。こちらは特殊な部品関係の展示が目立つが、物静かなブース内で商談をしている事が多い。
余談になるが、かつて「見本市」と呼ばれた時代から、日本のブースは水着姿のきれいなお姉さんが並んでいて、商談というよりは華やかなショーのような雰囲気であった。現役時代にドイツのハノーバーメッセのセビットという展示会を見る機会があった。
外国のブースは商談を中心に静かな雰囲気だったが、日本ブースでは相変わらず水着姿の綺麗なお姉さんが並んで愛嬌を振りまいていたが、少し恥ずかしい思いをしたことがある。さすがに最近は水着姿のお姉さんは余り見かけ無くなったが、ファッションモデルかと思うような綺麗なお姉さんが、難しい専門用語を使って製品の説明をしているのを見かける。
▲セミナー会場はいつも満席(「セミコンジャパン」HPより)
原稿も読まずに、専門的な内容をスラスラと説明するのを見て、感心しながらも「このお嬢さんは相当高いギャラを貰っているんだろうな」と余計な事を考えてしまう。「だから、お前は中身が理解できないのだ」と言われれば、「ハイ、その通りです!」と認めざるを得ないのだが…。
近年は若者の来場者が目立つ
▲広い会場を歩き回ると疲れる(「セミコンジャパン」HPより)
余談はさておき、20年以上も「セミコンジャパン」を見続けているので、時代の流れを感じてしまう。日本の半導体業界が衰退するにつれ、「セミコンジャパン」の出展数も減り、来場者も減少した時期が続いた。
近年、半導体の重要さが再認識され、熊本県のTSMC工場誘致やラピダスの北海道での工場建設などに対する国の支援がなされたことにより、世間の注目を浴びるようになった。このような背景のもとに「セミコンジャパン」の状況もこの2~3年で様変わりした。出展企業も増加し、来場者も増えてきたことが実感される。そして、何よりも嬉しいのは若者の来場者が目立つようになった事だ。
低迷期には来場者の高齢化が進み、私のような半導体OBと思われる人の姿が目立ったのである。10年ほど前の低迷期には、来場者同士が「イヤー、久し振り。元気だった?」と立ち話するのを、よく目撃したものである。
私が「店番」していたブースにも昔馴染が訪ねて来た。同様の会話を交わし、「これじゃ、まるで同窓会みたいだね」と嘆いたのだ。
一昨年は岸田総理も来場し、セミナー会場の壇上で半導体業界に力強いメッセージを送った。私は会場にいたが、「店番」していたので、そのメッセージは聞けず、後でテレビニュースを見たのだった。今は半導体には順風が吹いているが、ついこの間までアゲインストの風が吹いていた事を決して忘れてはならないと思っている。
【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】
昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)