四万温泉ドタバタ旅行記
白井健康元気村「秋の懇親旅行」
川鍋文明(自称「白井の寅さん」)
▲上野のバス乗場に集合
はい、全員集合! この日、集合場所の上野バス乗場に「白井健康元気村 秋の懇親旅行」(12月10日~11日)の参加者が集まった。玉井秀幸村長をはじめ、釜原紘一さん、能登昭博さん、柳橋三郎さん、根本保さん、林勝さん、笠井義久・まり子さんご夫妻、そして今回の世話人となった不肖、川鍋文明の総勢9人である。
当初、私と一緒に世話人をする予定だった副村長の吉田司さんが、体調不良で参加を取り止め。そんなわけで、私一人でこの大役をこなす羽目になった。
凡人なら緊張と不安で頭が混乱し、ちょっとしたことにも対処できず、逆上しまくってパニックに陥ることだろう。しかし、自称「白井の寅さん」こと、川鍋文明は男だ!
予期せぬ事態に直面しても、けっしてうろたえたりしない。参加者が道中、ケガをしないよう、周囲に耳を澄ませ、目を凝らす。こうして安全を確認するのが私の役目だ。
それだけではない。みんなが旅行を存分に楽しめるよう、参加者の声に耳を傾ける気配りも欠かさない。まさに冷静沈着を絵に描いたような男である。
うーん、ま、自分で言うのもなんだが、世話人としては理想的な人物ではないだろうか。「皆さん、心配はご無用。私にまかせない!」と心の中でつぶやく私であった。タイトルに「ドタバタ旅行記」とあるが、あくまでも謙遜しての命名である。なんて奥ゆかしいのか。うーん、自分を尊敬してしまう。
これで私の立派な人物像が分かっていただいたと思うので、前書きはその辺で止めておく。
送迎バスで上野を出発
▲博識の能登昭博さん(左)とバスの中で
さあ、出発だ。午前8時50分、宿泊するホテルの送迎バスが群馬県吾妻郡にある四万(しま)温泉に向かって動き始めた。私たちの乗ったバスは満席である。新型コロナもひと段落したので、旅行に行く人が多くなったのだろう。
バスの中でも話が弾む。断ることもないが、私たちのグループは皆さん上品な紳士淑女(女性は一人)ばかり。見るからに「全身下品」という人物は一人もいない。当然、品格を疑われるような下品な話題は皆無である。
しかも他のグループの迷惑にならないように静かな口調で国際情勢や世界の異常気象、人権問題、経済動向、果ては美術といった高尚な話題を語り合う。ん? そんな話題が出たのかどうか、今となっては定かでないが……。
それはともかく、皆さんと楽しく会話していると、あっという間に時間が経つ。目的地が近づくにつれ、バスの中から廃墟と化した宿泊施設があちこちに見受けられた。そんな寂しい光景を打ち消すかのように、見事な紅葉が目に飛び込む。
異常気象の影響で季節の変わり目が遅くなったことが幸いしたのだろう、なんて鮮やかな紅葉なのか。もう、うっとりする。谷川を見下ろすと、銀色に反射する川の流れがまぶしい。
「お待たせいたしました。間もなく到着です」
添乗員のアナウンスが車内に流れた。
各グループごとに宿泊するホテルが異なるので、伊香保グランドホテル、金太夫、とどろきの順に停車し、乗客が次々とバスを降りる。そして一番最後が私たちが泊まる伊藤園ホテル四万だ。
日本三大胃腸病の名湯につかる
ようやく伊藤園ホテル四万に到着した。老舗のホテルだが、伊藤園が買収して改装、格安の料金で運営しているという。笠井義久さんの話では、当時としては一ランク上のホテルだったらしい。
フロントでチェックインを無事終え、9人が3部屋(笠井夫婦は2人1部屋で水入らず)に分かれて着替えたり、お茶を飲んだりして小休止。
夕食まで時間がかなりあるので、まずは温泉につかることに。万病に効くと言われている四万温泉は、「日本三大胃腸病の名湯」と呼ばれている。
また、塩化物・硫酸塩泉なので、保湿や美肌にも効果があるのだそうだ。昭和29(1954)年に酸ヶ湯(青森県)・日光湯元温泉(栃木県)と共に国民保養温泉地の第1号に指定されている。
43度くらいある熱い湯舟につかった。うー、気持ちいい。極楽、極楽。露天風呂も最高だ。バスに長時間揺られていたので疲れが溜まっていたが、温泉で汗を流したおかげで気分はすっきり爽快。何と言っても、温泉は日本が世界に誇る文化である。いやあ、日本人に生まれてよかった。
▲伊藤園ホテル四万
カラオケは歌自慢ぞろい
風呂から上がった後は、夕食までカラオケで歌うことにした。玉井村長が、
「カラオケ・ルームでは酒の持ち込みはいいのか?」
と私に尋ねる。
「たぶん大丈夫でしょ」
「そうか。ならいいが、ダメならオレは行かない!」
村長に駄々をこねられたら困る。早速、フロントに確認すると、「ご自由に」という返事だったので。安心してカラオケ・ルームへ。
一番手は笠井義久さんだ。マイクを手にして歌い始めた笠井さんであるが、その歌声に一同驚愕した。
「うわー、なんて上手なんだ」
プロの歌手も顔負けの歌声ではないか。みんなが笠井さんに注目した。どこかおかしい。笠井さんはボケーっと突っ立ったままで、口も動いていないのである。笠井さんが選曲を間違えて、歌手が歌うバージョンにしたというわけだ。真相がわかったので、みんな大笑い。
笠井さんが気を取り戻して、フランク永井の『君恋し』を唄い始めた。な、なんだ、なんだ。すごいよ。笠井さん。本家本元のフランク永井もびっくりの歌声ではないか。笠井さんがこんなに上手とは思わなかった。拍手が鳴りやまない。
根本さんが歌が上手だという噂は前々から聞いていたが、その噂は本当だった。上手いのなんの、プロの歌手も逃げ出すほどだと言ったら大袈裟だろうか。
こうなったら、私もじっとしていられない。
笠井さんに「負けてはならじ」とマイクを固く握りしめる。選曲は鳥羽一郎の『兄弟船』だ。
波の谷間に命の花が
ふたつ並んで咲いている
兄弟船は親父のかたみ
型は古いがしけにはつよい
おれと兄貴のヨ夢の揺り篭さ
▲左から笠井久義さん、玉井秀幸村長、サブちゃん、そして『兄弟船』を熱唱する筆者
うーん、絶好調である。自分の歌声に感動さえ覚えた。カラオケ・ルームにいる皆さんも、私の美声に聴き惚れているに違いない。人々を感動させていると思うと、目にうれし涙がにじむ。私の絶唱が終わった。
これに刺激されたのか、玉井村長がマイクをさっと握った。なぜか選曲をしようとしない。伴奏なしで歌おうとしているのか。私の脳裏にいやな予感が走る。まさか玉井村長が得意の『ホーミ突っつく虫何の虫』を唄おうとしているのではないだろうか。
飲み会があるたびに、もう何十回と聴かされているので、耳にタコができている。それに紅一点の笠井夫人もいるので、世話人として、それだけは体を張ってでも阻止しなければならない。
ここまで言うと、その歌がどんな内容か、賢明な人ならお分かりになるだろう。そんなわけで、失礼を承知で玉井村長の首を絞めようと思った。
が、その前に何かと理由をつけて、断念させることに成功した。まずは最初の関門を突破したので、一安心である。楽しいカラオケ・タイムの1時間があっという間に終わった。世話役としては上出来である。
飲み放題・食べ放題でお腹パンパン
ようやく夕食の時間がやってきた。
同じ部屋の柳橋、能登の両氏と私の三人はいったん部屋に戻ってから夕食会場に向かう。
会場の入口に立っている受付の女性に、部屋番号が記入してあるチケットを見せたところ、こう言われた。
「お客様、それは明日の朝食用チケットです」
いかん、私としたことが。珍しくポカしてしまった。10年に一度あるかないかの失策である。
「大丈夫ですよ。お部屋がわかりますから」
肩を落とす私を受付嬢がなぐさめた。いいホテルだ。
▲左からサブちゃん、筆者、釜原さん、林さん、笠井さん
夕食会場には、すでに私たち3人を除く全員が座っていた。いよいよ待望の2時間の飲み放題・食べ放題である。日本酒、ワイン、ビール、ハイボール、焼酎が揃っており、呑兵衛にはたまらん。
「乾杯!」
地酒・樽酒がまた旨い。私なんか、大好きなハイボールや焼酎があるのをコロッと忘れて、日本酒ばかり。それほど地酒が美味かったのだ。
料理も豪華だった。寿司もあるし、中華もある。そして西洋料理も。大皿に和洋中の数え切れないほど料理が山盛りにされている。これを見て、日ごろは小食の高齢者も、この日ばかりは大食漢に変身した。まるで「最後の晩餐」のごとくである。いやあ、喰った、喰った。飲んだ、飲んだ。もう満腹である。
それにしても、感心したのはサブちゃん(柳橋三郎さんの愛称)の気配りである。私も気配りの人だが、サブちゃんは限界を超えた「気配りの達人」だ。「気配り界の大谷翔平」と表現したほうが分かりやすいかも。
夕食会場でもあたかもウエイターのごとく、日本酒や料理を満遍なく人数分運んだり大活躍である。「一家に一台」ではないが、一グループにサブちゃんのような人がいるだけで、どれだけ助かることか。サブちゃん、有難う。
「気配り界の大谷翔平」は誰だ?
夕食を終えた。一階のフロアを横切り、三階の部屋に行くため、エレベーターに向かっていると、サブちゃんが蒼ざめた表情で聞く。
「ナベさん(私のこと)、部屋の鍵は?」
そう言われて、私は自分のバッグの中を確認した。しかし、鍵はどこにもない。もしかして夕食会場に置き忘れたのかも。えー、やばい。
冷静な私であるが、このときばかりは落ち着き払ってはいられなかった。急いで夕食会場に戻ろうとした、そのときである。サブちゃんがズボンの後ろポケットに手を突っ込みながら言った。
「ここにあったよ」
あー、よかった。私じゃなかったのだ。ほんと人騒がせなサブちゃんである。
何事もなかったように、エレベーターに向かって廊下を歩くサブちゃんに、私は声をかけた。
「サブちゃん、何か言うことないの?」
「あっ、ゴメン」
そう言って、サブちゃんが照れくさそうな笑みを浮かべた。
部屋に戻って、サブちゃん、能登さんとひとしきり会話を楽しむ。能登さんは博学の人だ。どんな分野でも詳細を語ることができる。とくに法律に詳しい。あ、もう「良い子」の寝る時間だ。おとなしく寝ようっと。
そして翌朝―。
「ナベさん、寝言を言ってたよ」
「そう、そう」
「お客さんと会話しているような内容だったけど……」
「夢に見るほど仕事に熱心だね」
二人からそう言われた。でも、記憶にございません。多分、寝る前にしゃべり足りなかったのかも。サブちゃんは三人の布団をたたんでくれた。骨の髄から気配りの人だである。有難うございますだ。いやあ、頭が下がります。
朝食の前に部屋でテレビのスイッチを入れる。大リーグで大活躍の大谷翔平がロサンゼルス・ドジャースに移籍が決定したというニュースが流れていた。なんと10年契約で総額1015億円とか。やったぜ、大谷君。
大柄でハンサム、そして礼儀正しくて愛想がいい。いやあ、まるで私の若い頃とそっくりではないか。だから、ついつい親近感を抱いて大谷君と言ってしまう。いや、大谷君と言ったら失礼だ。やはり大谷様だな。
そこで大谷様。あのぉ、ささやかなお願いがあります。ほんの少しでもかまいません。1億でもいいから、あなたとよく似た私めにいただけないでしょうか。
いかん、いかん。日本の国宝ともいうべき大谷様にそんなことを頼むなんて。前言、取り消します。失礼しました。ああ、自分がみじめになってきた。それにしても、こんな日本人がいるなんて、素晴らしい。
朝食会場に向かう。昨夜の夕食会場と同じ場所だ。朝食なのでアルコールはないが、食事内容は圧巻のメニューである。食が進む。私はお茶碗3杯もお代わりした。
他の仲間も私同様、これが最後とばかりに、数えきれないほどのおかずをトレーに盛る。これが70過ぎの高齢者の食べる量か。恐ろしい。
出発まで時間がたっぷりある。
サブちゃんと林さんと一緒に国宝のお寺に参ってから、足湯につかる。うー、気持ちいい。足が軽くなってフットワークが著しく向上した。
▲仲のいい笠井さんご夫妻(日向見薬師堂で)
▲朝の新鮮な空気を吸う林さん
燗酒で最後の仕上げ
▲昼食はお休処「あずまや」で
仕上げは高台にあるお休処「あずまや」での昼食だ。サブちゃん、玉井村長、釜原さん、根本さん、そして私の5人が日本酒三合(2000円)をシェアした。岩魚の形をした陶器に入った燗酒である。各自がお猪口に酒を注ぎ「グビっ」と。
笠井さん夫婦が遅れて参加したので、日本酒を追加する。それにつられて、玉井村長と私が燗酒をもう1本。いやあ、昼間の燗酒は五臓六腑(表現が古いな)に染み渡る。美味い。
野菜のたっぷり入った鍋と味噌味の水団鍋、そして付き出しのキャラぶきのせいで、酒がすすむ。
ちなみに笠井義久は今年85歳、夫人のまり子さんは73歳。お二人とも寅年生まれだ。私も夫人と同じ73歳なので寅年である。そんな縁で寅年談議が始まった。その席で笠井夫人が面白いことを言った。
「こんなことを言うわね。『酒と女は二合(号)まで』と」
うまいことを言うなあ。私も誰かに使おうっと。この言葉で座がますます盛り上がった。
▲釜原さんと燗酒の入った岩魚形の陶器を持つ筆者
▲左から根本さん、サブちゃん、玉井村長、釜原さん、筆者
それにしても、素晴らしい一泊旅行だった。これも世話人が尽力したおかげである。いや、皆さんのおかげです。いかん。つい思ってもいないことを口走ってしまった。ごめんください。じゃなかった。ごめんなさい。どうかお許しを。
白井シニアライオンズクラブの会長だった釜原さんは、どこから見ても紳士である。寡黙でありながら、存在感をぷんぷんさせている。寡黙な私も、そうありたい。最後に会計担当の林さんにも最大限のお礼を。二日間の旅が滞りなく完結できたのも、陰で支えてくれた林さんのおかげです。皆さん、有難うございました。はい、終わりで~す。
川鍋文明さんのプロフィール
昭和25(1950)年11月、東京都荒川区生まれ。昭和第一高校卒業後、横浜ゴムに入社。その後、日本生命、コニカ・ミノルタなどでセールス畑を歩む。平成3(1991)年、白井の住民に。アイティ・ナベネットを設立、金属加工、特殊印刷、消火器販売・消火設備工事、なし坊をはじめとするキャラクターグッズの販売を手掛ける。白井市商工会会員、成田法人会(白井支部)会員、八千代青年会議OB(賛助会員)、グリーンレンジャー隊員。白井健康元気村では、公園清掃と慰安旅行の責任者を務める。趣味はゴルフと麻雀。堀込の自宅に苗子夫人と長男・慶太さんの3人暮らし。