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【連載】呑んで喰って、また呑んで㉘
事故直後に呑んだ罰
●タイ・バンコク
「あー、危ないなあ。ジグザグに運転しているし、スピードが速すぎる。このバスの運ちゃん、酒でも呑んでるのか、それともクスリでもやってるかも」
私は傍らに鎮座する、ライター仲間の宮本孝さんに注意を呼び掛けた。
「えーっ。やばいじゃない」
と、宮本さんは体を固くした。
二人ともバスの後部座席に座っていたが、一つ前の座席には、タイ人のピーラサックが座っている。私兵軍団「赤い野牛」の書記長だ。
私たちはこの日の早朝、ラオス国境の街から深夜バスでバンコクに到着し、バスターミナルから市バスに乗り換えたばかり。朝が早いせいか、他の乗客は2、3人いるだけである。
バスはさらに速度を増す。縦揺れも横揺れも激しい。
「いつ何かにぶつかるかも知れないから、しっかり手すりにつかまっときましょう」
私がそう言った直後である。ドカーンっという衝撃音とともに私の体は宙に浮いた。そして、そのまま勢いよく前方に。着地したのは前から3列目ぐらいだったから、4メートルは飛行しただろうか。
運転席のほうを見ると、フロントガラスが飛び散り、ポッカリと大きな穴が開いている。運転手の姿はまるで見えない。はて、どこに消えてしまったのか。
幸いなことに、上手に着地したようで、痛みはほとんど感じない。宮本さんのほうを振り返ると、ぐったりとして座席に横たわっているではないか。
死んだかも。恐る恐る近寄ると、息をしていたので一安心。が、完全に気を失っている。あとで知ったが、道路わきの電柱にぶつかり、その衝撃で運転手はフロントガラスをぶち破って路上に放り出され、即死したという。
ピーラサックは顔から血を流していたが、
「ノー・プロブレム。マイペンラーイ(気にしないで)」
と、元気そう。大したことがないらしい。
気絶した宮本さんを担いでバスを降りた。野次馬がこちらを見て、ニタニタと笑っている。誰も助けようとはしない。タクシーを停めて、警察病院へ。宮本さんを診察室に放り込んで待合室で待っていると、美人の看護師がやってきた。
「私の友だち、死にましたか?」
「いいえ、あの人、ピンピンしていますよ」
「えーっ」
「バスがぶつかったショックで気を失っただけ」
まったく、人騒がせな。
「わぁー、あなた、脚、どうしたの! 血が流れてるわよ!」
と、看護師が私の右脚を指さして叫ぶ。
すぐに病室に。無傷だと思っていたのに、骨が見えるほどの裂傷だった。包帯でぐるぐる巻きにされたのだが、その夜はスッサイ将軍の誕生パーティーに招かれている。断るわけにもいかない。
なにしろタイでクーデター騒ぎが起きると、「スッサイ将軍が背後にいるのではないか」と、いつも噂される陸軍の曲者である。それに「赤い野牛」の黒幕とも言うべき人物だった。
夕方になると、脚の痛みもまったく気にしなくなった。ピーラサックがホテルに迎えに来たので、パーティー会場に向かう。場所はバンコクの高級住宅街にある将軍の大邸宅だ。会場の庭には内外からの招待客が200人ほどいただろうか。警備が厳しい。ピーラサックが言う。、
「あなたから外国人記者を代表して将軍に花束を手渡してほしい」
と、何だが名前もわからない花束を押し付けられた。仕方がない。数分後、
「将軍、お誕生日、おめでとうございます」
私が将軍に花束を贈呈すると、知り合いの特派員連中が「えー、なんでアイツが」という表情で口をポカーンと開けていた。
「こっちに来てください」
ピーラサックが離れに私たちを案内した。若い連中が10人ほど酒を酌み交わしている。
「将軍からあなたたちにブランデーの差し入れです」
私の好きなレミー・マタンをピーラサックが差し出す。それも2本だ。それから若者たちと呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎが始まった。
翌朝、二日酔いで目覚めた。この日は香港に飛び立つことになっていた。ベッドから起き上がろうとすると、脚がおかしい。痺れている。右脚がパンパンに腫れていた。
負傷したのにブランデーを呑みすぎのが良くなかったらしい。傷口が化膿したようだ。どうにか空港までたどり着き、飛行機に乗ったのだが、香港に着いたときには、もうぐったり。翌朝、香港の総合病院に直行した。医者が脅す。
「こんな大怪我をしているのに、どうして酒なんか呑んだんですか。この病院に来るのが遅かったら、脚を切断していたかも知れませんよ!」
マレーシアで交通事故に巻き込まれたバドミントンの桃田選手に私から忠告したい。怪我をしたらしばらくはお酒を控えましょう。ま、余計なお世話か。