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やはり破綻したか、日産・ホンダの統合 【連載】頑張れ!ニッポン㉓

2025-02-20 05:30:32 | 【連載】頑張れ!ニッポン

【連載】頑張れ!ニッポン㉓

やはり破綻したか、日産・ホンダの統合

 

釜原紘一(日本電子デバイス産業協会監事)

 

▲上から日立、NEC、三菱電機の本社ビル(各社HP等より)

 

日産のプライドが許さなかった

 昨年12月26日の本ブログ記事でも取り上げたが、僅か1カ月半で日産とホンダの統合の話は破綻してしまった。大企業同士の統合は衝撃的で、日本でもこういう思い切った動きが出てきたのか、と半ば好意的に受け止めていたのだが、「やはりだめだったか」と非常に残念に思う。
 半導体分野でも今まで業界再編の動きはいろいろあったが、なかなかうまくいかないのを何回も見てきているので、今回の話もどうなるかなと懸念していたのだが…。ホンダから子会社化の提案を受けて、プライド高き日産の経営陣が反発したとの報道があるが、さもありなんである。日産は1911年の創業で100年以上の歴史を持つ。
 一方、ホンダは敗戦翌年の昭和21(1946)年の創業だ。当初はオートバイ事業からスタートし、普通乗用車市場に本格参入したのは、昭47(1972)年に「シビック」を投入した時だろう。
 日産からすれば、「そんな後発会社の子会社になるなんて到底我慢できない」と思うのかも知れない。気持ちはわかるが、今はそんな事を言っている場合ではないと思う。50人ほど居ると言われる日産の取締役陣はどう考えているのだろうか。
 日本の経済を支える重要な産業とされる自動車業界だが、電動化やSDV(ソフトウエアデファインドヴィークル:ソフトウエア定義車両)において世界の趨勢から遅れていると言われている。業界トップのトヨタすら将来への対応を求められているのだ。ましてや赤字を計上している日産が危機的な状況にあることは明らかではないだろうか。

 

気になる鴻海(ホンハイ)の動き

 余談になるが、私が初めてマイカーを購入したのは中古の日産ブルーバードで昭和44(1969)年の事だ。当時のブルーバードはかなり評判の良い車で、私の中古車もエンジンは静かで極めてよく走ったものである。その後、ホンダからシビックが発売されると、ホンダ初の普通乗用車だという事でかなり話題になった。  
何にでも新しいものに飛びつく「持病」を持つ私は直ちにそれを購入したのだった。
 その車で自宅のある宝塚市から実家のある新宿牛込まで帰省した時の事はよく覚えている。吹田インターチェンジから名神・東名高速を走り、用賀の東京インターについた時の感動は忘れられない。一家4人が乗った車で500㎞強を完走したので、チョットした達成感を味わったものだ。
 話は横道にそれてしまったが、日産はこれからどんな道を辿るのか気になる。シャープを買収した台湾の鴻海(ホンハイ)が日産に興味を示しており、筆頭株主のルノーと接触したと伝えられている。ホンハイは日産を買収する気持ちは無いと言っているようだが、成り行き次第でどうなるか分からないと思う。
 日本企業同士だとうまく行かないものが、相手が台湾企業だと気にならないと言うのであればおかしな話だ。近い将来起こるかも知れないと言われている台湾有事で、もし中国が台湾を併合しようものなら、日産は中国が支配する会社になるではないか! とまあこれは私の妄想ではあるが…。

消滅した日本のDRAMメーカー

 半導体業界は長期間低迷が続いていたので業界再編の動きは何回もあった。その中で失敗に終わったものを当時の報道記事などを拾ってひとつ紹介したい。
 1990年代に韓国のサムスンなどの追い上げにより日本のメモリメーカーは業績の低迷にあえいでいた。その状況を打破するため、平成11(1999)年にNECと日立製作所のDRAM事業を統合する形でエルピーダメモリが設立された。平成12(2000)年には三菱電機のDRAM部門も統合され、純粋なDRAM専業メーカーとして本格的に事業を開始した。

▲エルピーダメモリの工場(ウィキペディアより)

▲経営破綻で謝罪するエルピーダ経営陣(「東洋経済」より)


 設立当初は技術力を活かして高性能なDRAM製品を開発し、事業を拡大していく。そして、平成20(2008)年にはDRAMで世界市場のトップ5に入った。エルピーダは特にモバイル向けDRAM(スマートフォンやノートPC向け)の開発に強みを持ち成長を遂げた。しかし、韓国のサムスン電子やハイニックス(現SKハイニックス)、台湾のDRAMメーカとの価格競争が激しくなり、徐々に経営が苦しくなった。
 それに追い打ちをかけたのが、2008年のリーマンショック後の世界的な景気低迷である。これにより同社の収益状況は悪化し約1800億円の赤字に転落した。翌2009年に産業活力再生法の適用を受け、300億円の公的支援を受けることになった。
 韓国のサムスンやハイニックス、米国のマイクロンは、より先進的な製造技術を導入し、生産コストを下げることに成功。エルピーダは技術力では一定の強みを持っていたものの、量産技術やコスト競争力で劣っていた。同社は平成24(2012)年2月に会社更生法の適用を申請し、経営破綻する。負債総額は約4480億円に達し、日本の製造業では戦後最大級の倒産となった。
 破綻後、エルピーダはスポンサー企業を探すことになり、最終的に平成25(2013)年に米国のマイクロン・テクノロジーが約2000億円でエルピーダを買収した。日本からDRAMメーカーが消滅したのだ。
 以上、駆け足で半導体産業におけるひとつの失敗事例を紹介したが、自動車産業が半導体と同じ道を歩むことの無いよう祈るばかりだ。

 

 

【釜原紘一(かまはら こういち)さんのプロフィール】

昭和15(1940)年12月、高知県室戸市に生まれる。父親の仕事の関係で幼少期に福岡(博多)、東京(世田谷上馬)、埼玉(浦和)、新京(旧満洲国の首都、現在の中国吉林省・長春)などを転々とし、昭和19(1944)年に帰国、室戸市で終戦を迎える。小学2年の時に上京し、少年期から大学卒業までを東京で過ごす。昭和39(1964)年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業。同年4月、三菱電機(株)に入社後、兵庫県伊丹市の半導体工場に配属され、電力用半導体の開発・設計・製造に携わる。昭和57(1982)年3月、福岡市に電力半導体工場が移転したことで福岡へ。昭和60(1985)年10月、電力半導体製造課長を最後に本社に移り、半導体マーケティング部長として半導体全般のグローバルな調査・分析に従事。同時に業界活動にも携わり、EIAJ(社団法人日本電子機械工業会)の調査統計委員長、中国半導体調査団団長、WSTS(世界半導体市場統計)日本協議会会長などを務めた。平成13(2001)年3月に定年退職後、社団法人日本半導体ベンチャー協会常務理事・事務局長に就任。平成25(2013)年10月、同協会が発展的解消となり、(一社)日本電子デバイス産業協会が発足すると同時に監事を拝命し今日に至る。白井市では白井稲門会副会長、白井シニアライオンズクラブ会長などを務めた。本ブログには、平成6年5月23日~8月31日まで「【連載】半導体一筋60年」(平成6年5月23日~8月31日)を15回にわたって執筆し好評を博す。趣味は、音楽鑑賞(クラシックから演歌まで)、旅行(国内、海外)。好きな食べ物は、麺類(蕎麦、ラーメン、うどん、そうめん、パスタなど長いもの全般)とカツオのたたき(但しスーパーで売っているものは食べない)


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