ロシアは生物・化学兵器を使うのか!?
トゥー博士が「悪魔の兵器」に言及
ウクライナでロシア軍が生物・化学兵器を使用する可能性は高いのか。もし「禁断の兵器」が現実に使われた場合、ウクライナの一般市民はどんな被害を被るのか。人道上でも使用が許されない生物・化学兵器の歴史や種類を、毒物研究で世界的に有名なアンソニー・トゥー(台湾名=杜祖健)博士が月刊『丸』(令和4年6月号)で解説しました。以下は同誌に掲載された記事を本ブログに転載したものです。
生物・化学兵器の脅威度調査
アンソニー・トゥー(コロラド州立大学名誉教授)
いま世界中の新聞やテレビがウクライナでロシア軍が生物・化学兵器を使用する可能性について報道し、世界中の人が注目している。
ロシアはウクライナが生物・化学兵器を準備しているという。アメリカ側と西側は、これはロシア自身がウクライナで使うためのいいわけでないかと案じている。万一使われたら大ニュースになる。確かにロシアは大量の生物・化学兵器を保持しているので使おうと思えばいつでも使えるのである。実際に使われるかどうかは現時点では未知数であるが、万が一使われた場合の予備知識としてこの文を書くことにした。
毒ガスの歴史
毒ガスは一九一五年四月二二日、ドイツが塩素ガスを使って連合軍に多大な損害を与えたのが嚆矢(こうし、意味=物事の始まり)であり、それから各国もこぞって多くの種類の毒ガスを作った。
第一次世界大戦はまさに化学兵器の黄金時代といっても過言ではない。第二次世界大戦ではほとんど使われなかった。その反面、ドイツが最強の毒ガス"神経毒ガス"を発明したことは有名な事実である。
第一次世界大戦後、イタリアがエチオピアで毒ガスを使い、その国をつぶしてイタリア領にした。イラクがいきなりイラン領内に侵入して、緒戦ではイラクが優勢であった。自国が他国に侵入されたので、イラン人はこぞって戦線に向かい、今度はイランがイラク領内に侵入して優勢を取り戻した。驚いたイラクは最後の切り札としてイランの攻勢を阻止するするために毒ガスを使用した。イラクが使った毒ガスは別に新型でなく、第一次世界大戦で使われた旧式なタイプであった。
また日本が中国大陸で使い、いまでは国連から遺棄して地面に埋めた毒ガスの処理を命ぜられている。その量が莫大なので、日本はいまでも中国でそれを処理している。
近年オウム真理教がサリンいう毒ガスを大量に松本市と東京の地下鉄で使い世界を震撼させた。神経剤であるサリンは上九一色村というところで秘密裏に製造された。このテロで化学兵器は戦争で国が使うだけでなく、一般市民に対しても使われたのでその教訓は大きい。
化学兵器は第一次世界大戦以来、各国で製造、貯蔵されていた。日本では一九一八年に毒ガスを作ることに決め、初めて使用したのは台湾であった。一九三〇年、差別待遇に憤慨した原住民の高砂族が日本人一三四人殺害。その討伐に日本軍は初めて毒ガスを使って反乱を鎮圧した。
BC兵器の現況
特殊兵器の中で生物・化学兵器は衆知のことで俗にBC Weaponsといわれている。ここではBCの特に目立つものを述べ、また近年、毒素兵器(Toxic Weapon)というのが出始めたのでこれについてもごく簡単に話そうと思う。
●化学兵器
化学兵器は化学物質を使って作られた毒ガスで、生物兵器や毒素兵器に較べて種類が少ない。化学兵器は比較的安く販売されている化学物質より作られ、製法が簡単なので多く作られ、かつ実際に多く使用された。多くの毒ガスは第一次世界大戦の時に作られたのが多いのであるが、古いからといって馬鹿にしてはいけない。一九八〇~八八年のイラン・イラク戦争では実際に大量に使われイランが大損害を受けた。化学兵器についてはすでに多くの文献があるのでここではこれ以上述べない。
●生物兵器
生物兵器は細菌、ウイルス、リケッチア等を使う。生物兵器の特徴は潜伏期があるのですぐに使われたことがわからない場合が多い。わかった時点ではすでに多くの人が感染して死亡したりする。
生物兵器は第二次世界大戦の頃から各国で研究された。特に顕著であったのは日本がハルビンで作っていた石井部隊の生物兵器であった。終戦後、日本は直ぐに施設を破壊し、研究開発に従事した人員をいち早く日本に送還した。日本に進駐したアメリカ軍は石井部隊の生物兵器がアメリカよりずっと進んでいるのに驚き、これらの人たちを保護して日本から習った。
石井部隊のデータはすべてアメリカ陸軍のフォート・ディトリックにある生物兵器研究所に収められていると聞いている。私はここから研究費を六年間もらっていたので二回ばかし訪れたことがある。設備はなかなか立派であった。
当時の石井部隊は確かに他国より研究が進んでいたが、解決できなかったのは作った細菌剤をいかにして爆弾や砲弾の中に入れて実戦化するかということであった。爆弾や砲弾が炸裂すると、高熱で中に入れた細菌が死んでしまうからである。しかしアメリカは石井部隊から習ったことをさらに続けて研究開発して立派な炭疽菌爆弾を作った。
アメリカは一九六七年頃ニクソン大統領の声明で生物兵器を作らないことにした。アメリカは通常兵器でも世界一と自負しているので、そういう人道に反する兵器はいらないからである。また自分は保持していないので、これらを作ろうとする国を譴責するようになった。
私は特にアメリカの生物兵器の製造とは関係がないが、生物・化学兵器には興味を持っており講義の時に教えていたので常にこの方面の文献を注意して見ていた。ある時、私は中国の軍事書を見て驚いたのは、アメリカの炭疽菌爆弾を詳細に報告していたことであった。私は中国に七回行ったが、人民解放軍の生物・化学兵器の規模が大きく、かつ非常に優秀なので驚いていた。
この中国の軍事書によるとアメリカの炭疽菌爆弾は爆薬を使っていない。中に液体の二酸化炭素があり、爆弾が落ち始めると炭酸ガスが出てきて粉末の炭疽菌と混合する。爆弾の下にスクリューがあり、落ちながら炭疽菌をばらまく仕掛けになっている。
以前のアメリカも他国もいろいろな生物兵器を開発していたが、炭疽菌爆弾は精巧で面白いと思ったのでここに述べる。もう一つ述べたいのは過去にアメリカはアラスカの貝からサキシトキシン(saxitoxin)という毒を作った。これはアメリカのスパイがつかまった時に素早く自殺できるようにするためと他国の要人暗殺のために使用した。これも私の著書「化学、生物兵器概論」(じほう社)に述べたのでここではこれ以上述べない。
▲アメリカの炭疽菌爆弾。爆弾は使っておらず、液体の二酸化炭素を使い、爆弾が落ち始めると、二酸化炭素が気化し、粉末の炭疽菌をスクリューでまき散らす(中国人民解放軍の教科書「化学、生物武器と防化装備」より)
●毒素兵器
天然の毒は人口の毒より毒性がずっと強い。これに目をつけて開発されたのが毒素兵器である。確かに毒の一部は昔から生物兵器として作られていたのもある。当時のソ連のオプチニコフが天然毒や細菌をエアロゾルとして吸わせて殺すようにしたのが毒素兵器である。
天然の毒や細菌は人体に侵入するのにある一定のルートがある。
例えば炭疽菌は腐敗した肉を食べたり、傷口から人体に入る。毒素兵器はそれらの人体侵入経路と関係なく、適当な溶媒に溶かして噴霧してエアロゾルにして吸わせて殺害する。
炭疽菌は重要な毒素兵器の一つである。もちろん炭疽菌は昔から生物兵器のひとつとして重んぜられていた。炭疽菌で死亡するのは炭疽菌が分泌した毒素によって死亡するのであって、細菌自体が繁殖して殺すのではない。それで多くの細菌が毒素兵器の方法として作られている。
前述したようにアメリカは一九六七年以来、生物・化学兵器を作らないことにして、どんどん破棄した。しかしソ連は研究開発を続け、二〇年後には種々の毒素兵器が開発された。アメリカがこれを知ったのが一九八三年でソ連の進歩が顕著なのに驚いた。はじめの一年間は茫然としてどう対応したらいいか分からなかった。しかし一九八四年にアメリカ政府は陸軍に命じて対応策を作るようにした。それですべての毒はアメリカ陸軍が責任をもって対処することになった。
ソ連がもつ多くの毒のひとつがウズベキスタンのコブラの神経毒であった。毒をウズベキスタンで抽出し、ロシアのシェムヤキン研究所で精製して、シベリアのサイエンスタウンのノボシビリスクでクローンした。クローンというのは同じ遺伝的生物をたくさん作りだすことをいう。一九八四年以来、私はアメリカ政府のお手伝いをするようになった。
一九九一年、私はワシントンDCで毒の学会を主催したのでドクター・グリッツィンをスピーカーとして呼んだ。彼は蜘蛛の毒で立派な論文を出し、私はそれを読んで感心していた。彼はそのことに非常に感謝して学会が終わった後、私をソ連に招待してくれた。私は当時のソ連の毒素研究所によばれて講演をした。ここの研究所はソ連にとって大事な研究所なのでここに勤めている人は俸給が他の研究所の人員より高く、かつ兵役を免除されていた。私は研究所内を参観したが設備は立派でアメリカ軍の研究所と較べても遜色がなかった。
ソ連が崩壊したあとウズベキスタンは独立した。アメリカはこれらの研究者が他の国に行って生物兵器を作らないようにするため、アメリカはウズベキスタンの元ソ連の生物兵器研究所の人たちに研究資金をあたえ、ウズベキスタン国内に残るようにした。それで私は国務省からウズベキスタンに派遣された。これらの人たちが平和な研究をするように指導するためである。
私の関係したのは主にヘビ毒関係であったが、ソ連時代の毒素兵器は多種に及んだ。要は天然毒や細菌をエアロゾルにして吸わせて殺すようにする。それで自然な入体経路と関係ない吸入方法で毒ガスとして使う。そのための基礎研究としてどんな溶媒を使い、いかにして安定したエアロゾルにするかがキーポイントである。
中国もロシアと同じように生物・化学兵器の他に独立した毒素研究所がある。アメリカでは毒素兵器は生物兵器の研究所が対処するようにしている。
実戦やテロに使われたBC兵器
一番大量に使われ多大な損害を与えたのはイラン・イラク戦争でのイラクによる使用である。二〇〇七年、私は国連の化学兵器の阻止の部門とイラン政府の招待でイランに行き、当時のイランの損害や対処法を見てきた。この時に多くの資料をイランの軍医サイド・アバス氏より提供され感謝に堪えない。緒戦ではイラクが不意打ちでイランを攻撃したので戦闘はイラン領内でなされた。しかしイランがやがて盛り返し戦線はイラク領内に入った。
危機感に襲われたイラクのフセイン大統領は切り札として一九八二年に毒ガスを大量に使った。イラクはこれらを五万四〇〇〇発の砲弾、二万七〇〇〇発のロケット弾、一万九五〇〇発の爆弾で計三七〇〇トンの毒ガスを使った。
▲イラク北部のクルド人はイラン・イラク戦争でイランに協力したので、イラクが報復としてハラブジャ村を毒ガスで攻撃し村民を無差別に殺害した(写真はイランの軍医Dr.Sayid Abbas氏より提供された)
予期しなかった毒ガスの使用でイラン兵士や人民が約一〇万人死亡または負傷した。イラク内に住む民族のクルド人はイラン・イラク戦争中、イラン側に協力したので、フセインはその報復としてクルド人の村ハラブジャを毒ガスで攻撃し、多数の民間人が死亡した。
▲上九一色村にあったオウムのサリン製造施設を視察したときの筆者
オウムは化学兵器のサリンで松本市や東京の地下鉄を襲ったので有名である。私は日本政府の特別許可を得て中川死刑囚と東京拘置所と広島拘置所で計一五回接見してオウムの化学兵器がいかにして作られ、また使用したかを調べた。案外知られていないのはオウムははじめ生物兵器、特に炭疽菌を大量に作ってばらまいたが、効果がなかった。それで化学兵器に移ったのである。オウムの化学兵器についてはすでに多くの本や論説があるのでここでは詳しく述べない。オウムによる化学兵器使用の教訓は毒ガスは戦地で使われるのみならず、一般社会もターゲットになることを示したことである。
最近ロシアがウクライナで白燐を使用しているとして西側が人道違反だと言っている。白燐は化学兵器の中に正式に入れられていないが、人の皮膚をただれさせる有害物質である。これに対してロシアは違反ではないと反論している。白燐は化学兵器条約の中に毒ガスと規定されていないからである。しかしこういう有害な化学物質は常識からみて使用すべきでないことはあきらかである。
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以上この稿で化学、生物、毒素兵器についてごく簡単に鳥瞰した。これらの特殊兵器はどの国も準備しているのが現状である。アメリカは今は製造、使用を禁止しているが、防御はおろそかにしていない。私はアメリカ、ロシア、インド、中国、台湾、日本、タイ、シンガポール、スイス、スウェーデンなどの生物・化学兵器研究所を参観した。各国の研究者や製造に関わる人たちと接触したが、みな自分の職業としてまじめに働いている人ばかりである。
現今ロシアがウクライナで使いそうだと盛んに報道されているが、実際に使用を決めるのは上にいる政治家であり、研究者やこれらを作っている人ではないと私は感じた。