ayameじいちゃんの日記かな?

今日も今日とて、ayameじいちゃんはお暇な毎日…。
道端で拾った名古屋弁混じりのお話もいいんじゃないかな?

干支が一回りして・・・

2015-07-04 10:13:55 | 日記
 今日は7月4日、じいちゃんの誕生日です。

 生まれてから干支がぐるっと一回りして還暦という奴を迎えてしまいました。

 じいちゃんが生まれた昭和30年は、終戦から10年経って戦後復興も最終段階を迎えた頃でした。

 しかし、日本国民の多くはまだまだ裕福ではなくて、厳しい生活から抜け出してはいない状態でした。

 じいちゃんが生まれた実家は、今名古屋市緑区となっている住所も当時は愛知県知多郡・・・。

 戦後名古屋の中心街近くに住んでいた父親と祖母(祖父は父が少年の頃に亡くなっています)が、この地を手に入れて移り住んできました。

 じいちゃんが生を受ける3年ほど前に、小学校の事務員として働いていた母親とお見合い結婚・・・。

 母親は結婚後に教員免許を取得して、小学校教員になり、じいちゃんが誕生しました。

 父親は国鉄職員で、母親は教員・・・。

 この両親のお陰でじいちゃんの少年時代は比較的裕福だったかなぁ~。

 その後、有松絞りで有名な有松小学校へ越境入学(本当は大高小学校に入学し開ければいけなかったが、有松より遠かったので)し、同級生には桶狭間の田園の豪農や絞り関係(有松絞りは当時ものすごく繁盛していた)の家に育った裕福な友達がたくさんいました。

 もちろん中には給食費が払えない子供たちもいましたが・・・。

 新しものの好きな父親は、カメラが大好きで何台も抱えて夏には必ず家族旅行で記念撮影をし、小学校の低学年の頃には8ミリカメラと映写機を買ってきて旅行の時にはお城の前やキレイな庭園で「そっから歩いてこい!」という父親の指示で楽しそうに母親と手を繋いでいるところを撮影し、旅行の後には父親がフィルムを編集し、日曜日の夜に映写会をしていました。

 この父親の撮影から編集というのを見ていた経験が、映像ディレクターという仕事への基礎になったんじゃないでしょうか?

 まあ、いろいろあった60年でしたが、今は毎日ヘラヘラと楽しく生活しています。

 ayameちゃんやhotaruちゃん、息子たちと嫁、ばあちゃん・・・、みんな個性の強い独りよがりの家族(嫁は違うよ?ayameちゃんとhotaruちゃんは片鱗を見せつつある)ですが、何とか壊れずに持ちこたえているといった現状認識・・・、互いにあまり干渉し合わないところがいいのかもしれません。

 とにかく、ストレスのない生活を送っていると思ってるじいちゃんです。

 
コメント
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