人生100歳時代を生き抜いた中曽根康弘元総理が亡くなりました。
じいちゃんが最も働き盛りの頃の総理大臣で、現在の日本の社会を形作った人かなぁ~と思います。
彼が断行した国鉄や専売公社の民営化も20世紀後半のビジネスモデルになりました。
その決断が成功したかどうかは甚だ疑問ですが、それまで親方日の丸で大赤字だった国鉄や専売公社に喝を入れることになりました。
お陰で過疎地域の鉄道は廃線の憂き目にあい、煙草農家も外国産に押しまくられています。
一方でアメリカ頼みの政策でレーガン大統領とは良好な関係を保ち、「日本は不沈空母」というビックリするような発言もありました。
その言葉が発せられた時同時に「アメリカは日本の番犬」というような発言もありました。
「政界の風見鶏」と揶揄されていましたが、ご本人は「足は固定されていて、体は自由に動く」とご本人はお気に入りだったようです。
「風見鶏」とだけ聞くと、あっちへウロチョロ、こっちへウロチョロというイメージがありますが、ご本人としては「風を読んで今何が必要かを考えているんだ」ということでしょうね。
戦争で多くの部下を失った経験で、党より国民のためと言ってはばからなかった中曽根元総理に合掌。
じいちゃんが最も働き盛りの頃の総理大臣で、現在の日本の社会を形作った人かなぁ~と思います。
彼が断行した国鉄や専売公社の民営化も20世紀後半のビジネスモデルになりました。
その決断が成功したかどうかは甚だ疑問ですが、それまで親方日の丸で大赤字だった国鉄や専売公社に喝を入れることになりました。
お陰で過疎地域の鉄道は廃線の憂き目にあい、煙草農家も外国産に押しまくられています。
一方でアメリカ頼みの政策でレーガン大統領とは良好な関係を保ち、「日本は不沈空母」というビックリするような発言もありました。
その言葉が発せられた時同時に「アメリカは日本の番犬」というような発言もありました。
「政界の風見鶏」と揶揄されていましたが、ご本人は「足は固定されていて、体は自由に動く」とご本人はお気に入りだったようです。
「風見鶏」とだけ聞くと、あっちへウロチョロ、こっちへウロチョロというイメージがありますが、ご本人としては「風を読んで今何が必要かを考えているんだ」ということでしょうね。
戦争で多くの部下を失った経験で、党より国民のためと言ってはばからなかった中曽根元総理に合掌。