この写真を見た後に聞いてください。(これは知らない人のカメラをお借りしてカメラで写しました)それでも勇姿が写真だけでも見れて嬉しいです。
午前中の3時間納戸を掃除をした後ゆっくりと炬燵に入り休んでいました。
息子からの電話で(主人が電話はとりました)間寛平さんが家からも近いデオデオ電化店の前を走っているというので主人とすぐ家を出ました。(そこまでは順調でした)
携帯が普及しているので私たち188号線(走ってくるとばかり思っていた国道)まで小走りで行きました。(もうワクワク状態です。)
もちろんカメラをちゃんとセットしています。
少し待っていましたがなかなか来ません? おかしいと思いつつも2年間走ってきた姿を一目でも見たいと思って小雪がチラホラしていましたが待っていました。
30分待っていても来ません。ちょうど息子の車が来たので聞くと手前の広場で休憩しているとのことでした。(その時にその場所まで歩いて行ってもいけない距離ではなかったのです)
待てども待てども…・1時間以上待っていました。(私は待てるのですが主人はすぐ帰っていきました)
もう歩道にはすごい人数の人たちが応援しようとまっています。(こういう時には便利ですね~携帯)
するとある車から何か言っているようなのです。それを又聞きすると消防の道から2号線に向かって走っているとの情報に聞いた人全員北側の国道に向かって走り始めました。(その時は運よくも見れるかなと思っていまし。)
私も家から携帯も持っていっていないので主人に車で来てくれとも言えず、ひたすら膝の悪い私でも一生懸命に国道に向かって走りました。自分でこんな距離を走った(見た人は走っていないというでしょうね。ただ小走りだと)ことないです。
痛い膝をかばいながら走りました~が何やら遠くから人が帰っていく様子に……もしや…と思いながらも・・・・少し期待感もあり・・・・でもだめでした。
女性2人が帰ってきていたので声をかけました。もう通り過ぎたとのことでした。
そこで私はカメラに写真撮っていませんか?と聞くとポケットからデジカメと取り出して見せてくれました。本当に失礼だとは承知の上でその上から撮らして貰いました。
その写真が上の写真1枚です。それでも私は感激しました。その写真は私たちの前の町で撮ったとのことでした。
それでも貸していただいた人にも寛平さんの勇姿見れませんでしたが感動しました。
テレビで中国から日本に着いたとき、泣きながら走られていた姿を見てぜひ走っている姿を見たかったのです。
確か20日ごろには大阪に着く予定と聞いていますがこれからも無事で走ってほしいものです。 2年間ですよ~毎日走ってそして荒海を航海して、どれだけ家族の人たちは心配していたでしょうがサポートされている人たちにもご苦労様と言いたいですね。
寛平さん一人では成しえないことですが寛平さんだからスポンサーも着いたのと思います。人格ですね。 ぜも残念ーーーーーです。ショック
成人の日、祭日なので昨日から納戸の掃除を少しでもしようと7時から3時間納戸の整理をしました。
ゴミの山です。段ボールは全部綺麗にして廊下に置いているいます。資源ごみに出します。
少しはスッキリしたでしょうがこれからまだ奥の刺繍の本などを資源ごみに出した後のカラーボックスは狭い納戸に置いて今度は押し花の本を入れようと思っています。
ゲージは狭い場所から広い納戸に移動する予定ですがまだ数回は掃除しないといけないので来月ぐらいには掃除完了となればいいのですけどね。
ゆっくり、焦らないでしたいのです。私なんでもイライラしてやるのがだめなのでプールの時間でもなんでも余裕もって時間を計算して行動するようにしています。
これは整理前です。
奥の障子は何と思いますか?これ新築してどうも狭く感じるのですぐ外してしまった障子です。
キッチンと居間の場所に和風感覚で障子を作ってもらいましたがどうも狭く感じるのですぐ取り外しました。
この前の台は母が若い時から和裁をしていました。女学校の時に習って父と結婚して少しでも家庭の足しになるように縫っていたみたいですし母は几帳面な縫い方で多くの人から注文を受けていました。
だから母の背中はよく見ていました。私たちの和服や娘たちの和服も全部母が仕立ててくれていました。これは本当に感謝です。だから母の着物も思い出もあるのですが捨てることができません。
机の傷というか着物を仕立てるときのしるしをつけた後ですね~ これもあまりに母の思い出深いので捨てる事できないし、一枚板でできてる貴重品です。
そういうことで母は結婚しても手に職があればということで高卒後、私h専門学校(洋裁)に3年間通いました。
両親には感謝以外なにもないです、子供の為に親はなんでもするのですね。
私はそれが子供の為にできているのかと考えてしまいます。何せケセラセラ主婦ですから。
こんなに整理する前は置いていました。
母の両親の形見のお盆です。
弟夫婦が跡を継いだのでこれを義妹からいただいたみたいです。
漆なので綺麗に磨いてあげればいいのでしょうが、最近は家ですることもなくなったので使い道ないですがこれも捨てることができません。
いつかは処分しないといけないのでしょうね~ 着物も・・・・でも・・・・
整理していると木彫りの未完成の作品です。ほとんど完成しているので仕上げればいいのですけどなかなか後少しができません。
木彫りを習う前は一種類の刀は一つで良いと思っていましたが彫っていて、切れなくなることがあるので同じ種類の刀が最低2本はいります。
そういうことでこのぐらいの刀の数になってしまいました。これも使うことないでしょうがまだ捨てる事で着ません。
この籐でできた籠の中には洋裁一式を入れて洋裁学校に通っていました。懐かしいと時間を忘れて中を見たりしました~
箱の中に子供たちの初節句の着物が入っていました。母がビニール袋に入れて紐でくくっていましたがやはり気になって紐を切り見てしまいました。
長女の初節句、両親が買ってくれました~
息子の初節句の着物も綺麗に保存されていました。懐かしいと同時にもう40歳前の子供たちですが健康だったのが一番の救いだったような気がします。
(もう少し勉強をしてくれればと思ったこともありましたが今思うと健康が一番です)
これは父が倒れて家で介護しているときに車いすを購入して家の中、私が北海道から帰った時にはそれを外に出してお散歩しました。
これも思い出深いですが母の時には急だったので使わなかったです。こういう長い闘病がいいのか母のように倒れて(その数か月は病院通いはしていました)2週間で天国にいったのが良いのか
でも今思えば両親には本当に子孝行だったとおもいます。
あまり介護も何年もせずただただいい思い出ばかり、残っています。
私たちもいずれはいつかはなるでしょうが子供の世話にならないようにとは考えていますがこれは考えてもどうしようもないですね。
納戸の掃除もあと数回で終了しそうです。掃除はもともと大好きなのでルンルンでしました。