前回は、最先端の認知行動療法は行動分析の技法も認知療法による技法も、
その両方をカバー出来ちゃう優れものであるということについて書いてきました
最先端認知行動療法において、わたしの中にあった確固なる信念(時には歪んだ信念・)の、その内容が重要だとは考えていない
ということが少し分かって頂けたかと思います
だからべつに、その内容を無理に変えようっていうんではないんですね
ただ、変えようとする必要はなくとも、考えの幅を広げることは出来ます
PCで例えるならば、
(今回はこのプログラミングを組んでいるから、出力がこういう結果になったのだな…うむうむ…)
(じゃあ、このプログラミングにしたら今度はどうなるだろう?ちょいと試してみようかね)
となるわけです
プログラマーですから、プログラミングの組み方は自由自在です
別に、そのプログラミングが悪い、無くせとは言わないんです
(あなたにとってそのプログラミングは大のお気に入りだということは、重々承知している)
だからそのプログラミング、それはそれで別に構わないけど、
他のプログラミングもあるわよと言うことです
ちょっと考えてもみてください
信念によって、プログラミングによって、出力結果はいくらでも変わるというのに、
果たしてその結果に執着する必要ってあるのでしょうか?
(沢山のプログラミングを持ち、沢山の情報処理に対応出来るプログラマーの方が優秀に決まってます)
確かに、自分の中に様々な確固たる信念やルールがあるかもしれませんが、
その信念は都度同じとは限らないし、変えたって別にいいわけです
そのプログラミングに執着する必要なんてないし、そんなプログラマーは時代に乗り遅れてしまうことでしょう
(そのプログラミング、もう時代遅れだよ、古いよ、いつまでそのプログラミング使ってんのってね…)
プログラマーは様々なケースによってプログラミングを変え、色々試してみることでしょうが、
その時はいたって冷静です
なぜならば、自分の開発した、設定したプログラミングの全体像がいつも分かっているからです
どこをどういじればいいのかも大概は分かっています
数学も、方程式が分かっていないとお話になりませんよね
逆に方程式をしっかりマスターしていれば、テストで沢山の問題が出ようとも、そんなに焦ることもないでしょう
わたしたち人間のなかで湧いては消える様々な感情や思考ってやつが、
ただ、それぞれのその時その瞬間のPC(脳)のプログラミングによる出力結果であることが分かれば、
いちいちそれに飲み込まれたり、振り回されたりはしなくなります
出力結果を無くすことは出来ないですから、もちろん感情や思考がなくなるということもありません
いちいち出力結果に振り回されないということです
A→B→C
Bを変えると、おのずとCは変わります
どれが正しい、間違っているということではありません
沢山のBやCが存在し、その組み合わせも無数に存在し、それぞれの方程式がある…
ただそれだけのことです
プログラマーはBをいじりますが、
それが出来るようになるには、全体のプロセス、つまり全体の図式が見えないことには無理です
これまでは出力結果にしか目が向いておらず、プログラミングがどう組まれているのか?ということにすら気づいていませんでした、、が
プログラマーが自分であり、プログラミングは自由自在なのだと気づけば、色々なプログラミングを試してみればいいのです
出力プロセスの図式が分かるようになるには、常に自分を客観視する姿勢が大切であることが分かると思います
みなプログラマーにならなくてはなりません
そして、たまには自分のなかのルールを変えてみたり、違う角度や視点から物事を考えてみる
考えの幅を広げる
沢山の考えを持つことが出来るよう意識する(つまりは考えの幅を広げる)こと、これが大切です
これはまさにプログラミングをいじるプログラマーの仕事です
今自分が何を思っていて、何に不快を感じているのか、
その都度その都度、自分の考えや思考や感情に意識的に気付けるようになること
これこそが、周りの状況や出来事によって都度沸き上がる様々な感情や思考に振り回されずに、セルフコントロール出来る術なのです
これが最先端の認知行動療法で行わている介入、技法です