発達障害の認知度が広まるにつれ、
”もしかしたら自分も発達障害なんじゃないか??”
と、病院を受診する人が増えている…
というような話題をよく目にするようになりました
なんでも、そういうことを言う人たち、書く人たちの言い分というのをよくよく見てみると、
彼彼女たちは、「あなたは発達障害じゃないですよ」と言われるとがっかりして肩を落として病院を後にする
つまり、多くの人が”発達障害なりたがっている”という現象が起きている
というようなことが書かれています
こういう話題を耳したり目にしたりするたびに、生きづらさに苦しんでいる人を、
厳しい視点からズバリと斬っているように感じてしまうのは、
わたしだけでしょうか?
わたし自身、発達障害の気があると分かってすごく安心したし、
それに実際に自分が発達障害なのだと分かって、胸をなでおろす人は多いと聞きます
(逆に、発達障害と分かって絶望する人もいるみたいだけど)
なぜ、彼彼女たちが発達障害になりたがるのか、
訳の分からない生きづらさに苦しんだことのある人間なら、理解できることでしょう
それを嫌味のようにズバリと斬る人は、当人の長年の苦しみなど、知る由もないからです…
(目の見えない人に、色彩というものを一生懸命伝えてみても、理解出来っこないもの)
そして、そんなことを言いまわっている人というのは、
近年、代謝障害と言われるようになった発達障害を全く理解していないと言えるし、(もちろんわたしも理解はしていないけど…)
代謝障害をフォローする方法があるということも知らないから、そんなことを言うのではないでしょうか
発達障害に甘えるな
自分で努力しろ
と、遠回しに厳しく批判しているようにも思えてしまうのです
けれど、これは大きな間違いです
これは、腕を逆方向に曲げようとするのと同じであり、方向を間違えているので、その言葉を鵜吞みにしてはいけません
そもそも、発達障害だと分かって、例えば障害者手帳を手に入れたからって、
人生が楽になるわけでもないし、これから一生の生活が保障されるわけでもありません
むしろ、発達障害の診断ははじめの一歩であり、
発達障害と分かったことで、本人はこれまでの生活を180度ガラリと変え、
山のようにあるやるべきことと、発達障害だからこその生きづらさを軽減するための対策というものに、
必死で挑戦していくことを意味しているのです
TVやゲーム、飲み会、ソファに寝転がってぐうたら生活などしている時間は、微塵も無くなる
あらゆる娯楽を自分できちんと制御し、
これまでの苦しみと少しでもおさらばするため、自分の人生向上のため、様々ことにこれから取り組んでいかねばならないというのに…
このことを分かっていれば、知っていれば、
発達障害という診断に甘える人がいる
発達障害になりたがる人がいる
などと、そんなこと決して言えないはずです
”発達障害になりたがる人がいる”などと、どこの口が言えたものでしょう
発達障害だと分かったのならば、当人たちはそれ相応の対策に挑んでいかねばならないわけで、
それを知らずして、発達障害になりたがる人が増えているなどと、何をとんちんかんなことを言っちゃっているのか…
発達障害と診断されることで、正しい方向に努力を向けられるようになることを意味しているのに、これのどこがいけないのか…
つづく